すごい本でした。自閉症の著者よりも、定型発達者として「普通」や「人間らしい」とされる私たちの「当たり前」の方が、争いを誘発するような決めつけに満ちておかしい場合もあるかも。感情に振り回されず、ニュートラルな彼の心を旅するうちに、ハイヤーセルフの視点との共通性を感じたんです。
普通ってなんなのかな?
「普通」とは、ありふれていること、通常であること。
世間の多数派であることを指しますね。
でも多数派の認識がズレていたとしたら、その普通はおかしいっていうことかも?
そう気づかせてくれたのが、最近読んでいて強く心を動かされた『「普通」ってなんなのかな-自閉症の僕が案内するこの世界の歩き方』です。
この本の語り手は、複数の障がいを持つジョリー・フレミングさん。
彼は5歳で自閉症と診断され、他にも軽い脳性麻痺やミトコンドリア病などを患っています。
ジョリーさんは、障がいのため、普通の小学校には受け入れてもらえませんでした。
しかし、お母さんによるホームスクーリングを経た彼は、奨学金を得てイギリスの名門オックスフォード大学で地理環境学の修士を取得。
現在は、母校サウスカロライナ大学の研究員に就任。学部の講義も担当しています。
すごいですよね!
とはいえ、本書は彼とお母さんの努力によるサクセスストーリーを語りたいわけではありません。
そうではなく、この本で体験できるのは、自閉症であるジョリーさんの心の中を旅することです。
そんな本書は、彼が執筆・編集したのではなく、ライター・編集者のリリック・ウィニックさんがジョリーさんの話を丁寧に傾聴・執筆し、誕生しました。
二人の共同作業で生まれた、今の私にとって、贈り物のような本でした。
タイトルにも、普通ってなんなのかな?という問いがありますが、
ジョリーさんは、自閉症である自分のことを「普通ではない」と思っています。
ツィッターのプロフィールにも、「謎に包まれた、風変わりな思想家 (Enigmatic and eccentric thinker.)」とあります。
けれども、それが悪いことだとは思っていません。
人に比べてできないことがあったり、できることがあったりする自分の個性に胸を張っていて、素敵だなと思います。
「治療」や「矯正」によって、自閉症で生まれる課題だけでなく、強みを備えた自分を変えたくないと言うんですね。
だから研究者たちが、自閉症の治療法をあれこれ探し出そうとすることに、違和感を覚えると言います。
この言葉にはとてもハッとさせられました。
ノーマルであること、周りの期待や基準値から外れないように、人と比べたり、無理をしたり、無意識に頑張りすぎて疲れてしまう私たち。
私は、今年の頭に父を癌で亡くしたのですが、彼の病気が再発したとき、彼と私たちの視点は、少しずつ「癌を寛解させねば(でもできない=ダメだ、悪い、負け)」から、「癌とうまく付き合っていこう」に変わっていきました。
癌も含めての父となった彼のおかげで、「普通じゃない状態」や、できないことを人と比べても仕方がないという委ねの境地に、少しは慣れることができたかなと思っていたのですが。
つい最近、私も体調で気になる点があり、検査をしたり、薬を飲んだりしていたのですが、やっぱり「ノーマルじゃなくなるかもしれない自分」への強い恐怖や根強い抵抗感が出てきたんですね。
私の場合、ありがたいことに大事にいたらず大丈夫なのですが(ありがとうございます🙏)、この1ヶ月間、ジョリーさんの心の中を旅することが、不思議な支えになったんです。
そこで、皆さんにもお話ししたいなと、ちょっと書くのに時間がかかってしまいましたが、現時点でのシェアをと、こちらに綴ってみました。
ねぇ、そんなに「普通」であること、一般的な基準値を満たすことって、大切?
それらに固執することのほうが、私たち一人ひとりがユニークで存在していることだけで価値があるっていう大前提から見れば、だいぶズレてない?
そんなふうに、純粋な言葉で語りかけてくれる本書が、優しく寄り添ってくれたんです。
こんなことでももがいてきた私:マガジンハウス社員からホームレス編集者へ。 アメリカの禅センターで体験したお金を交わさない豊かな暮らし。 交通事故、顔面マヒで入院し気づいた私のお金のブロックを解除する
自閉症とは?
では、自閉症であるジョリーさんは、どんな心を生きているのか。
そこで彼という人となりを構成する大切な要素、自閉症について知っておきましょう。
自閉症(自閉症スペクトラム障害(Autism Spectrum Disorder; ASD))は、先天性の発達障害のひとつです。
自閉症の現れ方は、人が一人ひとり違うように、本当に一人ひとり異なります。
ひとことで言い表すのは難しいというのが大前提ですが、主に「人とのコミュニケーションが苦手」「物事に強いこだわりがある」といった特徴を持つことが多いです。
私が初めて自閉症の方を身近に感じたのは、会社を辞めて暮らしたアメリカでのこと。
最初のホームステイ先の娘さんが自閉症だったんですね。
母娘二人暮らしの彼女は、私より2歳年上のユダヤ系アメリカ人女性でした。
彼女は毎日同じロックスター・エナジードリンクを飲み、台所でテレビを大音量で観ていました。
それが朝からだいたい深夜0時ぐらいまでつづきます。
私の部屋は台所の隣だったので、語学学校の帰りは、図書館で勉強していました。
学生としては、結構大変な環境だったと思います。
でも振り返れば、彼女は、私のとても良い英語の先生でした。
ホストマザーと違って、彼女はいつも同じスタンスで、英語がうまく話せない私をうとましいともせず、
いろんなことを教えてくれたからです。
たとえば、ギルティー・プレジャー (認めたくないが実は好きな対象、恥ずかしい趣味)など、語学学校では教わることのない、生きた英単語を教えてくれもしました。
一方で、ホストマザーは機嫌の良い日は、語学学校近くの和菓子屋で見つけたと「Aya」と書かれたお菓子を買ってくれたりしました。
けれども、そういう日が一日あると、あとの6日間は、理由をつけて(特定の洗剤を買わないダメ、今日は火曜日だから、明日は来客があるからetc…謎の理由)洗濯をさせてくれなかったり…。
「さすがに替えの洋服がなくなるので、そろそろ洗濯したい」と、10日経って頼むと、「なんでクソ洋服をもっと持ってないんだよ!」と突然ブチ切れられたり。
すごく浮き沈みが激しい人だったんです。
そんななか、自閉症である彼女の私への変わらない接し方は、とても助かったんですね。
母親と結託して、英語ができない私をいじめるみたいなところがまったくなかったので。
一方で、自閉症である彼女のストレートな物言いや、ときどき起きるパニックで、ホストマザーは、よくヒステリーを起こしました。
その後、私が呼び出され、「英語のリスニングになるから、まぁいいか…」と、大泣きするホストマザーの話をえんえんと聞き…(とはいえ、当時の私の語学力では、半分以上理解できていなかったと思います)。
けれども、自閉症だからといって、すべての人が同じ課題を抱えているわけではありません。
自閉症のスペクトラムは広範で、一人ひとり本当に違います。
たとえばジョリーさんのインタビュー映像を見ると、私が出会った自閉症の女性とはまったく違う印象がします。
終始笑顔だし、一つひとつの質問に対しても、聞き手の心を推しはかるように話しています。
彼の質問者の問いに寄り添う姿勢を見ると、自閉症である事実を忘れてしまいそうです。
それでも、ジョリーさん自身は、自分は、人とコミュニケーションがうまく取れないし、相手の感情もうまく読めないと言います。
ほかの人のように感情を表すことがないともよく言われるそうです。
さらに子どもの頃は、今よりもずっと自分のことがコントロールできず、魔術師に脳を操作されているようだったとも。
そして今でも、相手が感じていることを、自分が過去に感じていることと同じように感じ取って、感情移入することはできないそうです。
でも、この本を読んだり、彼のインタビュー映像を観ると、その言葉が信じられないです。
なぜなら、ジョリーさんの言葉は一つひとつ、とても誠実で温かいんですね。
感情で結びつくことができない人が、どうしてこんなふうに思いやりに満ちているんだろう?!と。
ジョリーさんは、その答えを本書で明かしています。
それがなぜかというと、感情で結びつくことができなくても、より深く詳細に考えて、論理的に相手に共感できるからだと。
そのように深く考えた末の論理的な感情移入は、感情的な共感に比べて、より深く長く持ち続けることができるんだと。
これは確かにそうかもしれない。
私は、イライラしたり、心が落ち込んだときの自分に振り回されないようにと、瞑想やマインドフルネス、禅などに取り組んできました。
これらは、大脳皮質の働きを鍛えて、感情をコントロールするためのトレーニングです。
ある意味ジョリーさんが行っていることは、鍛え抜かれた大脳皮質の持ち主のように、理性的に相手の心に寄り添うことなんです。
相手の感情を同じように感じとることはできなくても、脳がその感情を持つ相手と、冷静に、視点を高くして、向き合える状態なんですね。
ジョリーさんが考える自閉症の強みとハイヤーセルフの視点
一般的に自閉症の方は社交性が劣っていたり、おかしなことをする、会話を満足にこなせない、感情がコントロールできない、と思われても、ジョリーさんは自閉症である自分の特性を失いたくないと言います。
彼自身、無意識に唇を引っ張ってしまって血だらけになってしまったりすることもあって、それがおかしいことを自覚しています。
でも、いつもそうなわけじゃないと言います。
そして、物事には必ず、悪い面と良い面の両方があります。
たとえば、感情を持つことでとてもいいことが起きることもわかっているけれど、感情や記憶に簡単に影響を受けないことで、物事の本質をクリアに見えることもある。
また、人よりも視覚的に物事が考えられる自分の特性も、ジョリーさんは、失いたくないと言います。
彼は、自閉症である自分の強みを大切にしたいのです。
感情で傷つくようなことがあったら、僕の人生はひどいものになっちゃうと思う。
悪口を言われたり、感情的に対立しあったりすることで、今までなかったおそろしい次元に至ってしまうと思う。僕はそんなことは何もせずに、ただ見てればいい。
ー『「普通」ってなんなのかな-自閉症の僕が案内するこの世界の歩き方』より
ジョリーさんにも感覚や感情はあるけれども、それをたいてい遮断できるそうです。
強い感情を持っても、気持ちが大きくぶれないようにして無視していれば、いつのまにか消えてしまうそうです。
感情を無視することはないけれども、観察し続けることでいつのまにかその力を弱め、消滅させていくという、まるでヴィパッサナー瞑想で行うことのようですよね。
参考:これでわかる!マインドフルネスとは何をするのか、どういう状態か。ヴィパッサナーとの違いは?
文化、世界観、イデオロギーといったものが、僕は昔からうまく理解できない。
特定の考えを持ってしまえば、別の考え方を自然に受け入れることができなくなるから、自分の考え方を狭めてしまうんじゃないかな。自分と正反対の考え方には、すごく感情的に反応してしまうこともあるかもしれない。意味がないことだと思う。
ー『「普通」ってなんなのかな-自閉症の僕が案内するこの世界の歩き方』より
文化、世界観、イデオロギー(その人の行動を決める根本的な物の考え方の体系のこと)。
そういったものは、私たちに多様な世界を見せて、体験させてくれます。
けれども、愛とか憎しみとか、好きとか嫌いとか、感情的なものと結びつくと、感情は知性として働くよりもむしろ、分断や紛争を生む武器になりかねません。
ジョリーさんには、感情を交えず、目の前の人や情報を理性的に判断できるので、そういった恐れから自由な世界に在れる。
文化、イデオロギー、アイデンティティにとらわれず、フラットなんですね。
だから、単に有名だからという理由だけで、有名でない人の言葉には見向きもしないのに、知らない有名人の言葉に反応したりチェックする大衆の気持ちもよくわからないと。
その視点は、プラクリティ、神の視点にも近い感じがします。
そんなふうに、ちょっと人とは違う自分の視点を失いたくないとジョリーさんは言います。
それはユニークな自分の視点だけを守りたいという理由ではなく、自分の視点とともに、他の人の考え方を聞くことで2倍情報が得られるからと。
本当に視点が高いんですね。
ある種、長年修行を積んだ僧侶のようでもあり、感情によって生まれてしまう、視点の偏りがとても少ないのです。
感情は、私たちにどういった言動をとるのが正しいのかという大切な道しるべを与えてくれます。
とても大切なものです。
たとえば怒りがわくから、私たちは不正を正そうとするものだし、悲しみがあるから、人の心に寄り添ったり思いやりの心も芽生えます。
愛情も、とても美しい感情です。
けれども、ときに強い感情が暴走することで、判断が狂うこともありますね。
とくに私たちは、「怒り」や「悲しみ」、「不安」などといった、ネガティブな感情をなるべく感じないようにしたり、感じる自分を責めたりします。それによって、正常な判断が下せなくなることもあります。
また、紛争や戦争は、「嫌い」「自分の方が正しい」「これを守りたい」「あれは排他したい」「これは自分のものだ」という、憎しみや不安、欲望がエスカレートして生まれます。
それに対して、自閉症のジョリーさんには、感情の暴走に振り回されることが少なく、とてもニュートラルなんですね。
これは、ハイヤーセルフの視点じゃないかなと感じたんです。
参考:ハイヤーセルフと繋がる方法とは? あなたの問題や不安がみるみる解決する自分を超える答えの受け取り方
人間らしい在り方
この本の英語のタイトルは、「HOW TO BE HUMAN」、つまり、人間らしい在り方です。
自閉症の人たちは、そうではない人たちに比べて、社交性が劣っていたり、おかしなことをするから、人間らしくない。
ジョリーさんの心の中を旅するうちに、この本は、そういった一般常識に対するアンチテーゼでもあるなと感じました。
ジョリーさんもすごいですが、お母さんのサポートなしには、達成できなかったことです。
とはいえ、この本が語るところは、血のにじむような努力や苦労を経てのサクセスストーリではありません。
そこが本書がユニークなところで、しんどいときの私が、スッと彼の心の中の旅にむかえた理由なのかもしれません。
彼もリリックさんも、この本で自閉症を克服したお手本のような人と思われ、悩みを抱える人たちにアドバイスしようとか、自閉症を代弁しようという意図がないんですね。
本書は、彼の心の中の視点を、良いとか悪いとかではなく、ストレートに伝えようとしているんです。
「そういうふうに世界が見えているんだな」「捉えているんだな」と、彼の世界の捉え方をガイドしてくれるんです。
その世界の捉え方の客観性、ニュートラルさに、私はなんだかホッとしたんです。
この本の日本語のタイトルには、自閉症の僕が案内するこの世界の歩き方というサブタイトルがつきます。
歩き方というと、学生時代に『地球の歩き方』というガイドブックをリュックにつめてバックパッカー旅行をよくしました。
通貨や飲み水、交通機関、治安など、土地ごとに違う「普通」を知っておくことで、初めての国でひとりで歩くことができたんですね。
いつもとは、違う当たり前を知っておくことで、ときに事件がありつつも、その街を深く体験できたんです。
この『「普通」ってなんなのかな-自閉症の僕が案内するこの世界の歩き方』でガイドするのは、自閉症であるジョリー・フレミングさんが捉える世界の歩き方です。
その世界に旅をするということは、彼の心の中に入り込むということです。
それは、たくさんの発見がある、とても素敵な旅でした。
なにが素敵だったかというと、定型発達者とされる私の「普通」よりも、ジョリーさんの方がずっとまともだと感じる点をたくさん発見できたこと。
つまり、新しい発見と視野を広げてくれたこと。
それは、ジョリーさんが言う、自分の視点と他の人の考え方を聞くことで2倍情報が得られるということです。
そして、ジョリーさんが「おかしい」と、世間一般の人たちが共有する「普通」について指摘する様子に、「そうだよね」と、なんだか安心したんです。
つまり、同じ考え方の人がいるなと、ホッとできたということ。
ジョリーさんの、好きなこと、嫌いなことのQ&Aの答えも、面白いですよ。
(ジョリーさんの嫌いなことの一つに、ユーモアがあげられているけど…笑)。
私もこんなふうに深く洞察し、自分の意見をはっきり言える人になりたいなと、心から思います。
あなたもジョリーさんの心の中を旅しながら、ご自分の心と新しい出会いや発見をしてみませんか。