次元上昇と、未来のなりたい自分と繋がるために必要な「許し」について

forgiveness

次のステージに進む(次元上昇する)には、過去の痛みを手放すこと。そのためには「許し(赦し)」が必要です。許しは、起こったことを忘れることでも、相手の仕打ちを見逃すことでもありません。自分を犠牲にすることではなく、力を取り戻すことです。そこで、心が自由になって新しい次元に移行できる「許し」について、お話ししたいと思います。

次元上昇と、未来のなりたい自分と繋がるために必要な「許し」について

並行世界(パラレルワールド)に生きる私たち。

一見すると、私たちはたったひとつの同じ世界を生きているように感じますよね。
さらには過去の自分が今を定め、今の自分が未来をつくる。
そんなふうに時間の流れも、自分の変化も直線上に起こるように思います。

けれども量子力学的な観点からみた、並行世界(パラレルワールド)という考えでは、世界の成り立ちはそのようではありません。

あなたや私も、たくさんの次元世界に同時に存在しているともいわれています。

つまり、同じ花子さんであっても、花子A、花子B、花子C、花子D…が無限に存在するということ。

そして花子Aが生きるA世界と、花子Bが生きるB世界は同時に存在しているけれども次元が違うので、それぞれの花子さんは「世界はひとつ」と信じて生活しています。

それはつまり、未来のなりたい自分とつながる自分を生きることも、未来のなりたくない自分とつながる自分を生きることも、今ここで叶うということ。

そんな、いろんな次元の自分が同時に存在しているということです。

けれども私は私の次元の世界をがむしゃらに生きていて、その枠組み(制限)の中のドラマを演じています。

そこでいろんな自分が別の次元では生きているとは、にわかに信じられませんね。

究極的な物理の世界ではそうかもしれない。
スピリチュアルな概念ではそうかもしれない。
でも、現実に置き換えての実感は得られない。

そんな感じです。

でもたとえばこう考えてみましょう。

A: 今目の前の家族に対して、面倒くさそうに話を流して聞く。
あるいは、
B: じっくりと目をみて、ジャッジをせず心を込めて言い分に耳を傾ける。

とても些細なことに見えますが、Aを選択するか、Bを選択するかで、私たちは別の次元(世界)の自分を生きることになります。

そしてその後に生きるのは、その選択につながる未来の自分です。

もちろん、Aを選んだ後に、またCやDという選択があります。
そこでBを選んだ未来の自分とつながる場合もあります。

つまり私たちは、毎瞬、自分の反応、選択、行動によって、あらゆる次元を行き来していることになります。

次元上昇(アセンション)とは?

そこで次元上昇というのは、より高い次元(世界)にある自分を生きるようになることです。

高いとは、一体どういうことでしょうか?
イエス・キリストのような、聖人になるということなのでしょうか?

次元上昇では、視点が高くなります。
これまでの捉え方が見えつつ、新しい価値観を共有しているような状態です。

それはケン・ウィルバーの言葉では、統合された意識。
マトリョーシカのように、A、そしてBを内包したCのような状態です。

💓この記事はMakiwari Radioで観ることもできます。

参考:ケン・ウィルバーのおすすめ本を紹介しています

つまり、AもBも体験して知っている。
そしてAかBではなく、AもBも見通す先のCという状態です。

小学生のころは必死だった掛け算も、中学生になると簡単に解けますよね。
すると、今後取り組むのは、因数分解になります。

それと同じように次元上昇でも、これまでのことはたやすくなり、前よりも少し難解な出来事も起きます。
けれども中学生に成長している(次元が上昇している)ので、取り組むことができるのです。

そしてそんな中学生の自分は、小学生の自分の知識が土台にあるからこそ、その問題に向かうことができるのです。

だから、高いから良い、低いから悪いという話ではないんです。
高いものがなければ低いものもないし、低いものがなければ高いものも存在しないのです。

そして宇宙は上昇しつづけ、最終的に向かう先は、意識の深化(統合と拡大)です。

私たちもまた、その宇宙の旅に参加を表明していなくても(魂の時点では表明しているのですが)、全員上昇の流れにあります。

では、上昇した状態はどんなものかというと、私たちが認識しやすい言葉だと、どんな気持ちでいるか、で言い表せます。

それは、エイブラハムの感情の22段階でいえば、愛、喜び、智、あふれる活力、自由を感じている状態です。

参考:感情の22段階と現実の7次元について。忘却のゲームから抜けて、統合に向かうためには

行動でいえば、受け入れる、楽しむ、情熱を燃やす、という3つのモードです。

そして、次元が上昇するということは実感として、見晴らしがよくなります。
これまで、わからなかったことがわかる、気づかなかったことに気づきます。

それは必ずしも良いことばかりではありませんが、以前よりも感情の波にさらわれず、冷静に受け止められるようになります。

たとえば大迷路を真上からみると、「左に行った方がいい」「右に曲がると行き止まりだ」とわかりますよね。

でも大迷路の渦中では、それがわからない。

一方で次元が上昇すると視野が高くなります。そこで、今までは気づかなかった相手の振る舞いや、その奥の意図も見えるようにもなります。また、それに対して自分はどうしたいのか。どうしたらいいのかに気づく余裕も生まれたりします。

見通しが高くなる上に、より大きな愛に包まれていくという状態。
それが次元上昇している実感です。
ハイヤーセルフとつながっている感覚ともいえます。

参考:ハイヤーセルフと繋がる方法とは? 問題を解決する、自分を超えた答えのダウンロード法

このようなスピリチュアルな話は苦手、という方もいらっしゃるかもしれません。

そこでぐっと身近な例でお話しします。

私は小学生の頃、よく兄とテレビのチャンネル争いをしていたんです(身近すぎ?)

でも今の子どもたちはどうでしょう?
スマホやPCでYouTubeを見られるからと、わざわざ一台のテレビをめぐり、争う必要なんてないですよね。

「そんなことで(不足感を抱いて、)ケンカする必要あるの?」という感じです。

テレビもスマホ(ネット動画)も体験できる次元でいれば、テレビに固執する必要はないと結論が出せたということですね。

また、数年前のことです。

父が元気だったときのことです。
家での彼の役目は、広告の紙で、ゴミ箱をつくることでした。

ある方がそれを見て「いいですね」と父を褒めたんです。
そこで父はとても嬉しくなって「作り方を教えてあげるよ!」と言いました。

すると、すぐに「大丈夫です。ネットで調べますから」と言われてしまいました。
父は寂しそうでした。

母もこんなことを言っていました。

「昔はお母さんやお姑さんとかに、いろんなことを教わったものだね。でも、今はYouTubeがお母さんやお姑さんだから、もう出番はないね」と。

というように、ネットがある時代とない時代では、常識も変わり、目の前の世界の捉え方も別なものになります。人との関わり方も変わりますね。

今まで気になっていたものが気にならなくなり、どうでもよかったものに価値を見出したり。これも、ある意味、次元が変わったようなものです。

そこで私たちが得たものもたくさんあるし、また、私たちが失おうとしているものの大切さ、失ってしまうことの危うさも感じます。

たとえば、自分の知らないことを、目の前の人に直接聞いてみることの貴重さです。

すぐに答えがわからないからこそ、必要な情報以上のもの(自分が「必要だ」と思っていた枠以外の出会い)が得られることもありますよね。

また自分がアメリカで暮らしていたときも、決してストレートじゃない周り道の日々だったからこそ、人の温かさやシビアさなど、世間知らずな自分でもたくさん学ぶことができました。

このようにAしか知らない、Bしか知らないではなく、AとBの両方を知るCの視点から、改めてAやBを捉え直す。

これがAやBしか知らなかった自分よりも、次元が上昇したCという自分の状態です。

高次の自分に移行するために必要な「許し」。

そのように以前よりも高次の自分に移行するために必要になるのが、「許し」です。
なぜ「許し」なのでしょうか。

それは、AもBも包むCに移行するためには、これまで自分が経験してきた痛みも内包する必要があるからです。

つまり、痛みを経験したという事実を、心から認める必要があるためです。

それによって、Aの痛みを知らない自分と、Bの痛みを知る自分の両方をマトリョーシカのように包む、Cバージョンの自分に次元上昇できます。

「許し」とは何か?

では、「許し」とは具体的になにをどうすることでしょうか?

社会心理学者クラウディア・ブラックさんの子どもを生きればおとなになれる―「インナーアダルト」の育て方に、そのヒントがあります。

この本は、とても良い本です。

彼女は、「許し」の必要性をインナーチャイルドの癒しという観点から説明しています。

インナーチャイルドの癒しというのは、言い換えれば、過去に痛みを感じた自分と、その痛みを認められない自分を統合することです。

分離したものを統合することは、次元上昇の向かうベクトルです。

インナーチャイルドについての過去記事:インナーチャイルドを癒して、心と体を統合する具体的な方法。

彼女は、何が許しではなく、何が許しなのかを本書でわかりやすく説明しています。

この本には他にも、幼いときに家庭で演じていた役割に気づいて、そこから自由になる方法などが丁寧に書かれています。インナーチャイルドの癒しに興味がある方は、ぜひ一度手にとって読んでいただきたい良書です。

子どもを生きればおとなになれる―「インナーアダルト」の育て方

そしてこちらの記事では、「許し」についての説明、具体的には、彼女の「許し」ではないものと、「許し」であるものの説明について、お話ししたいと思います。

「許し」ではないもの。

許すことは、忘れることではない

起こったこと、辛かった経験を忘れる必要はない。それは2度と犠牲にならないことや、他人を犠牲にしないことを教えてくれる大切な意味を持つものです。

許すことは大目に見ることではない

自分を傷つけた人がやったことを受け入れるとか、大したことではなかったと相手に言うことではない。苦しかったというのは、あなたにとって大きな出来事です。

許すことは、自己犠牲ではない

感情を抑圧するのと、感情から自由になることは、違います。

許すことは、二度と怒りを感じないことではない

私たちには怒る理由と権利があります。そこで不当な扱いに対して、怒ってもいいのです。けれどももう、自分の人生を怒りでダメにしたり、妨げたりしなくていいのです。

許すことは、一時の決心でできることではない

「許す」と決めたからといって、サッと後腐れなく許せるものではありません。

グリーフワークのプロセス(過去の痛みを発見して認める作業。過去の感情を癒すプロセス)が必要です。

具体的には、痛みや喪失に気づく。それを感じることを自分に許す。

怒り、悲しみ、孤独感、恥ずかしさなど、喪失感にともなう感情を当時と同じ深さで感じ切る。

感情を他の人と分かち合う。傷がもはや秘密ではなくなったとき、恥に満ちた自己否定感は消えていく。

【グリーフワークの参考:私が暮らしたウパヤ禅センターでのある女性との出会い】孤独感、どうしようもなくさびしい気持ちとの向き合い方。

許しとは何か?

では許しとはなんでしょうか。

こちらマキワリ日記でも、ブラックさんの見解とは別に、以前より許し(赦し)とは、傷つけた人に「もういいよ」ということと同じではないとお話しさせていただきました。

セッションでも過去の体験を癒し、前を進もうとされる、クライアントさんにもたびたびお伝えさせていただいている点です。

「許し」とは、自分を傷つけた人たちを非難から自由にするというより、自分を弱い者、彼らの犠牲者だと見ることから、自由にする。

また「許し」とは、相手のことを復讐したいという気持ちから、自由になる。
元々の力やあなたの人生を自分のために取り戻すことです。

参考:幸せへスムーズに移行するための不滅の原則があった!望む現実を創造するカギ、“赦し”について徹底解説します。

ブラックさんは、さらにこのようにお話しされています。

許すとは、過去に起こったことで
自分という人間を決めるのをやめること

ものすごくパワフルな言葉だと思いませんか?

自分には過去だけでなく、もっと他のものがあることに気づくということ。

Aもあり、Bもある、Cなのです。

過去は過去としてあるものだけど、それは私たちの全体ではなく、その一部です。

私たちの人生には、今の自分にはまだ知らない可能性(次元の広がり)があるんです。

傷に浸り続けることも、逆に傷をないものだと振る舞うことも、Cの移行につながりません。

傷を認め、涙を流して怒りに叫び、しっかりと感じ切った先に、傷と向き合うことができます。

さらにブラックさんはこうおっしゃいます。

許すことは、自然に訪れる結果

許しは、AからCへと突然ワープするのではなく、長い年月の中で、少しずつ形になっていきます。覚醒や、ヒーリングのようなものです。

だから、焦る必要もないし、あなたがやっていることが間違っているわけでもないです。すぐにスパッと気持ちを切り替えられない自分のことを責める必要もありません。

それは自分の心の中で、自ずと起こるものです。

井戸に沈んだ葉っぱをとろうとかき混ぜつづけ、その手をふと止めたときに、水面に葉が浮かんでくるように。

優雅に泳ぐ白鳥が水面の下では一生懸命足をバタつかせているように。

私たちが泣いたり怒ったり、自分のことが嫌になったりしながらもがく時間も、Cへの移行に必要なものです。

つまり許すとは、究極的には、自分のすべて(自分がした体験、自分を包む世界)を許すこと。

もがきの日々でも未来の自分を忘れず心に描いていれば、それは決して無駄にはなりません。