「感謝の習慣」が幸せを引き寄せる。正しい感謝のコツは?

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先日は、セルフコンパッションセミナーにご参加いただき、大変ありがとうございました。このサイトを読んで参加してくださった方々もいらっしゃり、とても嬉しく思いました。読んでくださる方、講座を受けてくださる方、個人セッションのお申し込みをしてくださる方…。皆さんに支えられているなぁとしみじみとありがたく思います。そこで感謝の気持ちがもつ癒しの力についてお話ししたいと思います。

「感謝の習慣」が幸せを引き寄せる。正しい感謝のコツは?

感謝は幸せを引き寄せる。

感謝の心を言葉で伝えると、「ありがとう」ですね。

ありがとうは、漢字で「有難う」。

つまり「有り難い」とは、人の好意などに対してめったにないことだと「ありがたいなぁ」「うれしいなぁ」と心が満たされることです。

エイブラハムの感情の22段階のトップ。

スピリチュアルな世界では、感謝は最上位の感情のひとつだといわれます。

そして幸せを引き寄せるための、もっともパワフルな気持ちとか。

たとえばエイブラハムの感情の22段階。上にあがるほどエネルギー(波動)が高い感情とされます。そしてエネルギーが高い気持ちでいると、ポジティブな願いが叶いやすいといわれます。

感謝は、22段階のなかの1番高い感情のひとつ。

ほかに、喜び、智、あふれる活力、自由、愛などがあります。

どれも心が満たされて、エネルギーが軽やかに循環するような状態です。

逆に一番下の感情はというと…。

恐怖や憂うつ、絶望、自分のことを無能だと感じていること。

なにかが欠落している。

今の自分や、現実の状態は、ダメだと重たい気持ちになっている状態です。

参考:感情の22段階と現実の7次元について。忘却のゲームから抜けて、統合に向かうためには

心理学でも感謝が幸福度のカギを握る。

感謝が幸せを引き寄せるというお話ですが、これはスピリチュアルな世界に限りません。心理学でも、感謝の心で幸せになれるといわれています。

たとえば幸福心理学では、「ありがたいなぁ」と感じる気持ちが幸福度を決めるカギだとされます。

それを示した研究もあります。293人を対象にしたものです。

参加者は、うつ病や不安神経症に苦しみ、カウンセリングを必要とする方々です。

研究では参加者を3つのグループに分けました。

どのグループの人たちも、カウンセリングを受けたうえで、

  1. 毎週違う人に一通の感謝の手紙を書くグループ
  2. 苦しい経験について感情込めて書くグループ
  3. 何も書かないグループ(カウンセリングのみ)

と、わけられました。

結果は、どうでしょう。

1の感謝の手紙を書いた人たちは、4週間後と12週間後の結果確認で、心の健康が大きく改善されたと報告されています。

ちなみに感謝の手紙は、相手に渡すという指示はされていません。

実際に渡した人は、23%にすぎなかったそうです。

つまり相手に手紙を渡さなくても、相手の反応がなくても、出来事を振り返って感謝の気持ちを感じるだけで、心が穏やかになったということです。

じゃあ、必ず感謝の手紙を書かないといけないのかというと、そういうことをお伝えしたいわけではありません。

感謝の手紙というのは、ひとつの方法にすぎません。

大事なことは、その人が感謝の気持ちを認識して味わうことが、心理カウンセリングとの相乗効果で、短時間でも心を安らかにするのに役立ったということです。

肥やしになるために必要な時間やものがある。

この研究では、もうひとつ興味深いことがあります。

それは、書いてすぐ(1時間後)には、変化がなかったということ。

4週間、そして12週間経って、ようやく効果があらわれたのです。

つまり「ありがたいなぁ」と思うこと(感謝を感じること)は、習慣化されて血肉になってこそ影響力を持つということですね。

点から点へとワープするというわけではないんです。

心の変容には、生ごみが肥やしになるように、ぶどうが発酵して香り高きワインとなるように、熟成期間が必要なんですね。

これは自分の経験からも、本当にその通りだなぁと、思います。

私はたくさんのヒーリングやワークショップ、セッションを受けてきました。禅センターやスピリチュアルセンターで暮らし、世界的なスピリチュアルリーダーや映画に出るような教授などを含むたくさんの方々からの教えもいただきました。

そこで感じるのは心の変化には、数週間という短期間で変わることもあるけれど、時間をおいて(場合によっては数年以上経ってなど)熟成されていくことがあるということです。

いつかはわからないけれど、石が放たれて、それを実践しつづけば必ず変容はするんですね。種から芽が出るように。

これはなにもスピリチュアルワークに限らず、みなさんも日常生活で実感されるところだと思います。

数日、数週間、数年、数十年…。

ずっと思い悩んでいたことが、ある瞬間にふっと気にならなくなったり。

逆にこれまで気にも留めなかったことに深い価値を感じて、すごく味わい深く思えるようになったりしたことはありませんか。

たとえば恋愛。

未練があってずっと忘れられず、四六時中考えてしまっていた元恋人がいたとして。

あるときふっと「そういえば最近思い出さなくなったな」「どんな顔をしていたかよく思い出せないな」と気づくときなんてありませんでしたか。

それは、発酵が最終段階に入ったということです。

発酵には必要な時間があります。

そして、たとえばベーキングパウダーとイーストでは膨らみ方が違うように、トピック(素材)によってかかる時間も違います。

さらには、イーストの場合は砂糖が必要だったり、ベーキングパウダーはいらなかったりするように。必要なものもそれぞれなんですね。

カウンセリングやヒーリング、マンツーマンのセッションも同じ。その人のそのときの状態によって、ある程度の型はあったとしても、本来オーガニックであるものです。

そして心が穏やかに満たされた状態になるためにかかる時間が、ある1人の人においても内容(ジャンル)や状況によってそれぞれです。

とはいえ感謝は共通して、化学変化を起こすための触媒として、パワフルな変容を起こすと実感します。

触媒というのは、それ自身は変化しないけれど、他の物質の化学変化を促進する物質のことです。

なぜ感謝がカギを握るのか。

ではなぜ感謝が、カギ(触媒)になるのでしょうか。

感謝の手紙を書くことを例に、お話させてください。

まず感謝の手紙を書くうちに、自分が大事にされていること、愛される存在なんだと少しずつ認識できるようになります。

私はこんなふうに恵まれている。

こんなことをしてもらった、こんなことができている。

手紙を書くという機会を持つことで、そのように気づいて自分には価値があると再認識できるようになっていくんですね。

さらには毎週手紙を書くと習慣づける。すると手紙を書いていない時間も、何気なく与えられて受け取っているものや、ありがたいと感じた出来事に気づきやすくなります。

脳が情報を集め出すんですね。

無意識に、書く必要があるからと、なるべく記憶しようと脳が働きかけるのです。

心を育むことは筋トレに似ている。

脳は、繰り返し学習することでシナプスがつながります。

そして電子回路のようなネットワークをつくって情報を伝達していきます。

そこで、感謝の手紙を書くことは一例ですが、日常的に「ありがたいなぁ」と感じ続ければ、自分は大事にされるに値する存在なんだ、この世界は安全なんだ、と認識しやすい脳の回路が育まれていきます。

最初はその回路は細くて情報も伝わりにくかったり、時間がかかったりもします。

しかし何度も繰り返すことで、太く力強いネットワークになっていきます。

そこで習慣化する必要があるんです。

筋トレやストレッチと同じですね。

心を育むことも筋肉をしなやかに育てることと同じ。

反復したり、ときに(心or筋肉)を休めたり。

栄養になるものを摂取することが必要なのです。

たとえばこの研究でいえば、毎週カウンセリングを受けて感謝の手紙を書くことを4回続けています。

カウンセラーの適切なサポートを受けながら、感謝の手紙を書きながら「ありがたいなぁ」と思う練習を継続することで、安全な形でネットワークが少しずつ太くなっていったのでしょう。

脳が、自分には存在価値があるとみなし、そんな体験をしている自分や世界のことを信頼できるようにもなるんですね。

これはセルフコンパッション瞑想やセルフコンパッションワークにも通じるものがあります。セルフコンパッションとは、自分に思いやりを持つこと。自分に優しくすることです。

参考:【無料開催!】 はじめてのセルフコンパッション入門のお知らせ。

セルフコンパッションでも、自分(の感覚)を大事にすることで、「ありがたいなぁ」という心が育まれます。

すると感謝の手紙と同じように、自分と自分を包む世界を信頼できるようになっていきます。

心が照らすものが変われば、外側の状況が変わらなくても、体験する現実もしだいに変わってきます。

心のフィルターを変えれば、現実も変わる。

というのも私たちの脳は、そもそも慣れたパターンで現実を捉えています。

反復学習で身についた神経回路で知覚し、反応し、判断しています。

別のたとえでいうと、脳にはとても目が詰まったじょうごのようなものがあるということ。

そのために、目の前にある情報の99.9999…5%が、認識されずに捨てられているともいわれています。

そこで、私たちはまず、そのじょうごから変えてしまう必要があります。

感謝の気持ち、つまり「ありがたいなぁ」と感じる心は、脳のじょうご(フィルター)を変えるための触媒になるんですね。

じょうごが変わると、フォーカスするものも変わります。

捨てる情報、残る情報が変わるんですね。

認識できるものごとが変化すれば、当然その人が体験する現実も変わります。

感謝の習慣で脳の反応が変わった。

「感謝の習慣」によって脳が変わる、ということは、この研究でも明かされました。

3ヶ月後です。参加者たちは、恩人からお金を受け取ります。そのお金は、あくまでも感謝の気持ちがあれば、地元の慈善団体に寄付するようにと贈られます。

寄付というと、感謝のような心から贈りたい気持ちだけでなく、罪悪感や「助けたい」という欲求(義務感)からおこなうこともあります。

罪悪感などから寄付などの人助けをすると、脳の痛みに関係する部位が反応するそうです。

その一方で、感謝の心で寄付する場合は、脳の学習と意思決定に関係する場所(内側前頭前皮質)が活性化するとか。

この研究では、感謝の手紙を書いた人は、そうではない人々に比べて寄付をするときに、fMRIで脳の画像を撮影したところ、この部位が大きく活性化しました。

義務感や罪悪感ではなく、心からそうしたい。

つまり、自分で決めているという実感を持ち、自由でパワフルな状態で贈っているということですね。

これもまた、エイブラハムの感情の22段階でいう感情の質、つまり感謝は、愛や自由、自信と同じエネルギーを持つ感情という説明にも通じると思いませんか?

さらにこの研究からわかることがあります。

感謝の気持ちを日常的に持つことで、脳の動きが変わったということです。

つまり、シナプス回路が変わったということですね。

これを脳の可塑性(かそせい)と呼びます。

脳はDNAであらかじめ設定された枠組みがありつつも、体験や学習によって変化できるマージンがあるんですね。

(脳がとらえた)自分の内側で体験する現実が変われば、次第に外側の状況も変わっていきます。

その理由は、自分の態度や行動が変わるからです。自分のふるまいが変われば、相手の対応もおのずと変わります。

引き寄せの法則というと、なにがつかみどころのない、ふわっとしたもののように思えます。けれどもこのように解釈すれば、私たちの脳の仕組みや心の動きを踏まえても、理にかなっているんですね。

「感謝の習慣」で幸福度を上げるコツは?

さらには、感謝の心に敏感になったり、マインドフルネスやセルフコンパッションで幸福度を上げよう、というと、なにか難しくて特別なことをする必要があるんじゃないか。

そんなふうにも感じてしまいがちです。

私自身も、そうでした。

だから会社を辞めてアメリカで心理学を学びました。そして研究機関で無報酬のお手伝いもし続けました。さらには禅センターやスピリチュアルセンターで、住み込み修行もしてきました。

自分でいうのもなんだけど、我ながら(勝手に)結構苦労したなぁと思います。

参考:禅センターで暮らしていたときの話など。

それで納得するまでやらせて頂いたからこそいえるのかもしれませんが、そういうことは別に必ずしも必要なことでもなかったなとも思うんです。

すごい有名な先生について学ぶとか、修行するとかという、特別なことをするというよりもむしろ(それもすごくいい経験でしたが!)、シンプルなことを自分の心を確かめながらやっていけばいいのだと思います。

たとえば小さい頃にはできていたような、夕焼けのピンク色にハッと心を持っていかれたり、小さな鳥や虫の目のかわいらしさに惹かれたり。

日常的にそんなふうに心にじんわり湧いてくるような幸せに敏感になって、深く味わうこと。それが脳を刺激して、幸せにつながる神経回路を形づくり、幸福度を高めます。

というのもしみじみとした幸せは、自分の心で感じるものです。

そして、世間や他の人がどう判断するかという成果では測れないものです。

そういった幸せを感じる力を磨くためには、瞑想だったり、ジャーナリングだったり、感謝の手紙だったりも役立つと思います。

それらは、最初は適切な形で、指導を受けたほうがいいと思います。

そういう点において、私は最初に瞑想を学んだのがティク・ナット・ハン禅師だったこと。その後企業向けのSIYLセミナーやヴィパッサナー合宿などに参加しつつも、ベースとしては禅センターで長く暮らしたことが、とても幸運だったと思います。

私にとっては、仏教的な哲学がベースにある実践が、最終的には不足感を原動力にして何かを行うことから、まず足るを知るを学ぶこと。そして少しずつ感謝の心(自分は恵まれているんだなぁと気づく心)を育むのにとても役立ったからです。

とはいっても、それがすべてではありません。

私自身、瞑想やジャーナリングは日常生活に取り入れています。

でも、それが幸せに直結していると思われると、少し誤解が生じてしまうかなと感じます。瞑想やジャーナリングを行うことが目的になってしまうからです。

そうではなく、それらの力を借りて、安全な形で感受性を磨いた結果、心が開けるようになって、快楽とはまた別の充足感を味わえるようになるのでは感じます。

思うに、瞑想やジャーナリングは、脳の排水溝の詰まりを掃除するようなもの。そうすることで、幸福度のカギをにぎる充足感(「ありがたいなぁ」としみじみと感じる満たされた心)を知覚しやすいベースが整います。

感謝とは、「有り難い」こと。「有り難い」とはめったにないことで、よほどのことがない限りあまりないこと。つまり稀なことです。

それはたとえば

ある人には自然の中で散歩することかもしれません。

ある人には香りの良いハンドクリームでマッサージすることかもしれません。

ある人には野菜を育てることかもしれません。

それらをしているなかで、自分の感情や意識を深く味わうことで、当たり前だと思っていたささいなことに、深い生の喜びを感じられるようになります。

そうすることで幸せ回路を育んでくれます。

禅センターの暮らしを振り返れば、お布施がベースになります。

だから、料理をするにもあるものを使わせていただく。

なければ工夫して、上手に利用させていただくことが基本になります。

たとえば、ふろふき大根をアメリカの禅センターで振る舞ったときのことです。

アメリカなのでゆずがないので、マイヤーズレモンの皮をすってのせました。

また、英語はみんなみたいにすらすら話せません。

でも、漢字を書いて読めるのは私だけです。

そこでみんなの名前に漢字を当てはめて、「マリィは真理と書けるから、究極の真理、Prajnaです」と、意味を伝えて紙に書いてあげました。

とても喜ばれました。

必然的にないものをあるようにするのではなく、あるものを活かすことが習慣になっていったことで、ようやく気づいたんです。

私たちはすべて、誰かと比べてできないこともたくさんある。けれども、同時にその場所の自分にしかできないこともあるんです。

じょうごを変えて世界を見つめてみれば。

当たり前のように自分ができること。価値だなんて気づきもしないこと。

それを「有り難いなぁ」と、喜んでくれる人が必ずいます。

それに気づくためには、まず自分が「有り難いなぁ」と思う機会を日常的にもつことです。

その理由は、自分のことを信頼できるようになるからです。

自己肯定感が上がると、自分の良いところにも気づきやすくなります。

また悪いところも良いところも両方ある自分のことをより客観視できるようにもなります。

そのためには、感じる力と気づく力を育む練習が必要です。

感謝の手紙はそのひとつ。

ジャーナリングで気持ちを吐き出した後に、自分の心が求めることをやってあげるというのもひとつ。

瞑想で頭のつまりを掃除するのもひとつ。

自分に意地悪な言葉をかけているのに気づいたら、代わりに優しい言葉をかけてあげるというのもひとつです。

快楽と充足感は違う。

そうしなければ、感じる心が鈍った脳が「もっと、もっと」とさらに強い刺激を求めて、今あるものでは満たされなくなっていきます。

それは「快楽」を追い求める感覚に似ています。

快楽と、「ありがたいなぁ」としみじみと感じる喜びの「充足感」は違います。

快楽は、もっと強い感覚や感情からなる喜びのことです。絶頂感やスリル、オーガズム、歓喜、心地よさなど、多くは一過性のもので、ほとんど思考を伴いません。

一方で充足感は、快楽よりも長続きしますが、思考力や解釈力を必要とします。

充足感は長続きするが、意志の力が必要になる。

そこで意志の力、意識することが必要なんですね。

そこで結論としてお伝えしたいのは、「感謝の手紙を書きましょう」ということではありません。サポートなく、1人でやるのはちょっと難しいかもしれないとも思うからです。

「ありがたいなぁ」「嬉しいなぁ」とじんわり思うことをやってみましょう。

特別なことでなくてもいいんです。

そして徐々に当たり前だと思っていたことに、しみじみとした幸せを感じましょう。

コーヒータイムに香りを満喫して「あぁ、幸せだなぁ」としみじみ感じたり。

短時間でもそういったひとときが持てることに「ありがたいなぁ」と思ってみたり。

たとえば私は雨の日に、家にこもって温かいミルクティを飲んでいるとき。

「あぁ、幸せだなぁ」「美味しいなぁ」「ありがたいなぁ」と体いっぱいに感じるようにしています。

とてもシンプルなことですよね。