ディープフェイクとは人工知能(AI)を使って、映像や音声を本物のように合成する技術のこと。この技術をドキュメンタリー映画として初めて応用し、被写体の身元を守りながら臨場感あふれる映像を届けたのが『チェチェンへようこそーゲイの粛清ー』です。ディープフェイクや作品の背景の他、2021年度ノーベル平和賞との深いつながり、上映後の社会変化を解説。今、私たちが知っておきたい真実についてグリーンズさんで執筆させていただきました。
目次
AIで顔や声を合成する技術「ディープフェイク」をドキュメンタリーに。デジタル技術やアバターで社会を変える方法。
昨年末、この小さなホームページに一通のメールが届きました。「読者さんに興味を持っていただける作品かと思って、突然連絡させていただきました」とメッセージをいただいたんです。
ドキュメンタリー映画『チェチェンへようこそーゲイの粛清ー(以下・チェチェンへようこそ)』です。
「お知らせくださって、ありがたいなぁ〜」と思った半面、
・チェチェン共和国という遠い国の話
・LGBTQがテーマ
ということで、実は、なかなか視聴できずにいたんです。
それで年が明けてしまいました。申し訳ないことです。
すると年始に「いかがですか?」と再度ご連絡をいただくことになり、重い腰をあげ拝見させていただきました。
すると!! ものすごい作品に出合えたと心が震えたんです。実際に、3回も観てしまいました。
非常に気になり映画の背景を調べてみると、このチェチェンでの国家ぐるみのゲイ粛清を最初に報道した新聞の編集長は、昨年ノーベル平和賞の受賞者。ロシアの独立系新聞「ノーバヤ・ガゼータ」のドミトリー・ムラトフ氏なんですね。
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novayagazeta© 2022 Instagram from Meta
それで、こちらのホームページだけではなく、”いかし合うつながり”を理念に掲げるグリーンズさんで執筆できないかと思って、企画を相談。
メッセージをくださった配給会社の福嶋さんをはじめ、いろんな人がつないでくだった不思議なご縁で、今回の記事となりました。
今週には日本経済新聞でも第二面で大きくディープフェイクが取り上げられていましたし、
チェチェン同様、資源ビジネスのためロシアがなんとも押さえておきたいウクライナへの武力侵攻は連日報道で取り上げられています(チェチェンは石油、ウクライナは天然ガス)。
タイムリーなことと驚いています。
つまりこの記事は、私がどうこうしたというよりも、いろんな方のエネルギーで現れたシンクロニシティの結果だと思っています。そこでこちらのマキワリ日記でもお知らせさせていただきました。
皆さんのお心に届けば、嬉しいです。
映画のタイトルには対比的な、歓迎を表す”ようこそ”と、排除を示す “粛清”という言葉が並んでいます。粛清(しゅくせい)というのは、反対者や違いがあるとみなした人を処刑したり、追放したりして徹底的に排除することです。
映像もまた、記録映像とデジタル加工という、相反する二つが巧みに織り重なるもの。
本作で応用されたのが、ディープフェイク(Deepfake)というデジタル技術です。ディープフェイクは、AIを使って本物そっくりなフェイク映像や音声をつくり出す技術のこと。
ドキュメンタリー映画としては、初の試みです。
ディープフェイクとは?
参考までに、ディープフェイクの有名な例を挙げますね。
「トランプ大統領は完全なマヌケ」と罵るオバマ大統領のフェイク映像。
こちらは2018年にYouTubeで公開された、米国のオバマ元大統領のディープフェイク動画です。24秒あたりにご注目ください。
「トランプ大統領はまったくのマヌケだ(President Trump is a total and complete dipshit)」とトランプ元大統領の悪口を言っているように見えますね。
これはディープフェイクで加工されたフェイク動画。オバマ元大統領が実際に発言しているわけではありません。36秒あたりで種明かしされますが、彼の顔と他の人の声を合成して、あたかもそう言っているようにつくられた動画なのです。
ディープフェイクでは、他人の顔を合成することもできます。広く共有されている例は、女優エイミー・アダムの顔がニコラス・ケージと差し替えられている動画です。
IT大手はディープフェイク対策を急ぐ。
FacebookやInstagramでは禁止。
本人がそう行動しているようにも見える、ホンモノそっくりな加工動画。そんなものがつくれるとなると悪用する動きも現れ、問題になっています。
詐欺の手法は、先のような動画で世論に揺さぶりをかけて情報操作するのがひとつ。他にも芸能人の顔などを加工した合成ポルノ動画が出現し、2020年10月には日本でも摘発されています。
このような問題を受け、EU(欧州連合)はディープフェイクを含むAIに関する規制案を2021年4月に発表。日本ではディープフェイクの法規制は議論には至っていませんが(※)、IT大手は対策に動いています。
(※)2021年7月に策定された経済産業省の指針では、ディープフェイクは議論に至らず。日本経済新聞2022年2月20日付け朝刊より
たとえば米マイクロソフトは、「Microsoft Video Authenticator」という、AIで加工動画や写真を自動検出できるソフトを開発(※)。つまり、私たちが生きるのは、AIで作った不正をAIが不正検知するという時代なのです。
(※)加工された動画(画像)だという確率(信頼度)を検出。信頼度の%表示が動画再生中にリアルタイムに見られる。Microsoft 2020/9/1付ブログより
また、嘘やニセ情報もたやすく拡散できるのがSNS。そこで、米フェイスブック(現:メタ)は、2020年1月6日に同社ブログで、FacebookとInstagramでのディープフェイク動画の利用を禁止しています。
デジタル技術を、真実と向き合うきっかけに。
そんな”ちょっと危なっかしい”技術を逆手に取ったのが、『チェチェンへようこそ』の監督デイヴィッド・フランシス氏。
彼は、この顔や声のデジタル加工技術を、身の危険のために沈黙せざるを得なかった人たちが真実を語るために活用したのです。事実を捏造するためではなく、性的マイノリティだと知られると、殺されたり虐待されたりしてしまう人たちの現実を、ドキュメンタリー映画としてありありと届けるために。
なお、本作関係者はこの技術をディープフェイクとは呼びません。
嘘ではない真実を取り扱うため、またディープフェイクを超える技術を利用するためだと、「フェイスダブル」(顔のデジタル合成処理)や「ヴォイスダブル」(声のデジタル合成処理)という言葉で呼んでいます。
AIでつくられたこの新しい仮面は、驚くほど自然です。そこで映画の冒頭では誤解がないように、顔や声にデジタル技術が施されていることが明記されています。
作品の始まりでは、デジタル加工された、生声そっくりな被害者の“肉”声が聞こえます。LGBTQを支援する活動家に、性的マイノリティの女性から一本の電話がかかってくるのです。
おじが私の性的指向を知って、自分と寝なければ父にバラすというんです。
もし父にバレたら、父は決してゲイを認めないわ。チェチェン政府の高官なの。きっと私は父に殺される…。
音声からは、彼女の不安な心の動きが生々しく伝わってきます。しかし、これは本人の声ではありません。と同時に、無機質な機械音ともまったく別物なんです。
顔も、自然な別人の顔に変わっています。作品に登場する22人の犠牲者の顔として使用されたのは、主にニューヨークを拠点にする活動家の顔。
凝視すると、ぼやけたようにも見えます。けれども会話中に表情が変わっても十分自然で、そんな顔の人なんだと思える仕上がりなのです。身元を隠すためによく用いられる、モザイクや暗がりの映像とはまるで違います。苦悩や喜びの表情も見てとれ、胸に迫るものがあります。
私は鑑賞しながら、映画の後半部になるまで「ずいぶん甘い修正だな」と誤解していたぐらいです。ようやくそれが別人の顔や声の加工だと理解したのは、登場人物である被害者男性が記者会見に臨み、本名を明かした瞬間です。
そこでハリウッドのVFX効果が駆使され、デジタルでできた精巧な仮面がはがされていくのです。
肌の質感はより生々しく、鼻先は尖り、ブラウンだった彼の瞳は鮮やかなブルーへと変わっていきます。瞳の色が、彼が着ていた青いセーターによく映えるようになったのが印象的でした。
この場面は、ぜひ実際に観ていただきたいです。本当にすごいですから。
ゲイである限り、一生隠れて暮らすことになる。
映画のなかの言葉です。それが象徴される、美しくも悲しいシーンでした。
加工された映像は、ドキュメンタリーといえるか?
このような加工された映像は真の記録映像と言えない、との意見もあるでしょう。
では、なぜドキュメンタリー映画にデジタル加工を施す必要があったのか。その理由となるチェチェンで実際に起きている恐ろしい事実について触れたいと思います。
トップ写真:©︎MadeGood.com
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