瞑想って難しい、続かないと敷居が高い感じもしますよね。でも瞑想でやることはとてもシンプル。難しくなってしまうのは、難しく考えすぎてしまうからなんです。というのも、基本の呼吸瞑想でやることは、ただひとつ。自分の息をありのまま観察すること。そしてポイントは、今の体験について考えるのではなく、感じることです。お話ししたいと思います。
目次
なぜ瞑想? AIにはない知性を磨ける
瞑想が良いと話題ですよね。でも、瞑想が今ここまで注目されるのは、なぜでしょうか。
それは瞑想で、AIにはない知性が磨かれるからだと思います。
AIと人間の違いは何かというと、感じる知性を持つかどうかです。
ところで最近、チャットGPTなどの生成AI(人工知能)が話題ですね。
オックスフォード大学のカール・フェイ教授とマイケル・オズボーン教授は、近未来には、半分近くの人間の仕事がAIにとってかわられると言いました。
そして、ニック・ボストロム教授は、2040年か2050年には、AIがほとんどの作業を人間並みにできるようになる可能性が5割の確率だと言いました。
そこで、人間にしか無いもの、つまり感じる知性を磨くことがとても大切だと思います。
では、感じる知性は何かというと、たとえば身体感覚から得られる知性があげられます。
私は猫が好きなのですが、その柔らかい毛並みに触れたり、猫の鼻息を聞き息で膨らんだり凹んだりするそのお腹を見ていると、心がとても安らぎます。
自ずと微笑み、胸がぽっと温かくなるんですね。そしてその現実を、私の身体感覚は、脳で過去の情報と照らし合わし、安らぎと認識します。
また、私がラムゼイハント症候群になったときのことです(ジャスティン・ビーバーもかかった、あの顔面麻痺です)。
顔面麻痺で顔が動かないだけでなく、三半規管がもおかしくなりました。そこで、船酔いみたいな状態が1年以上続いたんですね。
当時は、平衡感覚がとれず、世界がまっすぐ捉えにくい。となると、乗り物酔いもひどいので出かけるのが不安になったり、おっくうになるんですね。楽しみだった、好きなコーヒーショップでの息抜きもストレスに感じられるほどでした。
というように、肉体感覚が心を支配し、私の視点や世界の捉え方、目の前の現実の解釈を変えてしまうことがある。頭で世界をコントロールしているようでいて、体でも現実を創造しているんですね。
私たちには、考える知性と感じる知性の両方がある。この病気で、とてもわかりやすく腑に落とすことができました。
このように、私たちは、脳で思考するだけでなく、肌で触れたり、気配を感じたり、匂いを嗅いだりと、脳以外の感覚からの情報を組み合わせながら、世界を認識しています。
心と体で、目の前の現実を創造しているんですね。
さらに、第6感のような、論理的な説明はつかないけど、「嫌な感じがする」「正しい感じがする」という感覚もあります。
一方でAIは、私たちのように身体性を持って、情報を感じながら理解しているのではありません。そうではなく、膨大な情報から関連性を見出し、高速処理しています。
それに対して、私たちは、過去の蓄積データを知識的に脳で処理するだけでなく、体からの実感を合わせて、思考を超えたひらめきや直感も得ることができます。
さらに、悲しみや怒りというネガティブな感情や、安らぎや喜びというポジティブな感情を感じることで、同じようにそのように感じる他の人の心を大事にしようと、思いやりの心が芽生えたり。または、倫理観や正義感などを、身につけることもできます。
ときにそれは、損得勘定を超えたものにもなります。
そうではなく、感じる心を無しにして、ただ情報を高速処理するだけなら、私たちはAIと同じか、数年先には、情報処理機能としてだけ考えれば、AI以下になってしまうのかもしれません。
そこで、瞑想で私たちの身体感覚と結びつくこと。そして、AIにはなく、私たちが本来備えているもう一つの知性(私という唯一無二の感覚)を活性化させることが、とても大切なのです。
知の巨人、ノヴァル・ハラリ氏もまた、私たちの今と未来を考える21の問いの締めくくりに、瞑想の必然性を語っています。
瞑想が難しい。続かない理由
ということで、瞑想が良いとはわかったけど、どうやったらいいかわからない。
あるいは、やり方を教わっても続かないと、よく言われます。
それもとても自然なことだと思います。
第一に、私たちのマインドは、瞑想で行うような、深く感じて立ち止まることよりも、何かをやっていたり、新しい情報を受け取ったりすることをおすすめするものだからです。
第二に、私たちが生きる時代は、どんどんスピードが速くなり、私たち自身もすぐに反応や答えを求めますし、そして私たちに対しても社会がそれを求めます。
そして、インターネットやAIに尋ねれば、ある程度の問いに対する答えはすぐに得られるようになりました。とくに暗記が必要とされるようなものは、覚えていなくてもすぐに答えがわかります。
けれども、私が大学生の頃は、まだインターネットが今ほど当たり前ではありませんでした。そこで、わからないことがあれば、図書館に行って調べものをしました。
そして図書館で必要な情報が見つからない場合は、先生や友だちに尋ねて、それでもわからないときは、わからないままにグルグルと考えていました。
それでギリギリまで考えて出した答えが正しくないこともたくさんありました。
でも、その答えを出すまでの過程で、人生を変えるような本との出合いがあったり、先生や友だちの言葉にハッとさせられたり。
決してまわり道は、心と体の両方を使った体験としては、無駄ではなく、意味がある経過でもあったんですね。
そして、自分も世界も、今よりも答えが出ない、ちょっと不快な状況を受け入れて、待てていたように思います。
もちろん、私自身もわからないことがあればすぐにネットを検索するようになりましたし、科学進化の恩恵を大いに感じています。
その一方で、私たちはすぐに知りたい答えを教えてくれ、反応してくれるものを求めるばかりに、失った力があります。
わからないことをわからないままにして、熟成する過程が耐えられないんですね。
そこで、立ち止まって考えることが怖い。遅いことは悪い。
今すぐに気持ちよくさせてくれ、役に立つものこそが正しい。
そんなふうに、どんどん待てなくなってきているように感じます。
その一方で、瞑想では、一旦立ち止まる。
インプットする情報をなるべく減らし、自分の内側(呼吸や肉体感覚)と向き合います。
しかも、すぐに変化がわかるものでもない。目に見えるものでもありません。
だから、瞑想は不可解だし、不快だとなって、難しい、続かないとなるんですね。
それは自然なことだし、そうなることは当たり前のことだと、いったん開き直って下さい。
そして、瞑想は難しい。続かないとマインドが思った時点で、私たちは瞑想の最初のステップを踏んでいるんだと安心して下さい。
マインドをざわつかせた時点で、スタートを切れているんですね。あとは反復運動で、そのざわついた状態に慣れていくだけです。
つまり、毎日の歯磨きのように、瞑想を辛抱強くやり続けて、体に落とし込み、心を慣らしていくだけです。
最初は、呼吸瞑想がやりやすい
では、どんな瞑想がいいか。
座っておこなうものなら、呼吸瞑想がやりやすいと思います。
ボディスキャンのような体の感覚を上から下まで感じていくのは、ひとまず呼吸瞑想ができるようになったあとに挑戦してみましょう。
私が自分を観察する瞑想であるヴィパッサナー瞑想を学ぶために何度か参加したS.N.ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想合宿。こちらでも最初の3日間は呼吸瞑想に集中し、体の感覚を観察する瞑想は、4日目から教わりました。
この呼吸を使った瞑想は、サマタ瞑想とも呼ばれます。心を呼吸という一つの対象に向けて、落ち着かせる瞑想方法です。
さてS.N.ゴエンカ氏は、呼吸瞑想では、鼻から出たり入ったりする息に注意を向けるようにと教えます。
そして、「息をコントロールしてはいけない」「ただ出たり入っている息をありのまま観察しなさい」と言い続けます。
参考:動画で解説! 不安、ざわざわがリラックスする、5分間の心落ち着き瞑想。
息は、自分の心と書きます。
ありのままの息の状態を見つめることで、私たちの心の状態を知ることもできます。
それは、私たちが考える、“知り方”、“わかり方”とは、違います。
はっきりと言葉で「あなたはこう思っている」「こう考えている」と教えてくれるわけではないからです。
感じる必要があるんですね。
そして、息を観察するうちに、退屈になって時間が気になり始める心に気づくこともできます。
ただ息を観察するだけ。他になにかしようとはしない、というのは、とても難しいものです。そこで、私たちの思考が、常に何か情報を欲していることがわかります。感じることよりも。
そして、あれこれ考え続けてしまって、結局うまくできなかったと思っても、不思議と、息を観察する前と後では、頭が少し軽くなっていることがわかります。
ゴエンカ式では、呼吸をコントロールするなと言われますが、あえて補足させていただくとすれば、最初は、息を吸うことよりも、吐くことを少し意識することで、うまく瞑想の状態に入りやすいように感じます。
というのも、私たちは昔の人に比べて、デスクワークが中心で、あまり歩いたり体を動かしていません。そこで呼吸筋も弱まり、息が浅くなっています。
デフォルトとして、肩に緊張が入り、ちょっと頭でっかちな状態になっているんですね。
余談ですが、私が瞑想を始めたきっかけは、ヨガの講師認定講座でした。
そして、ヨガとは、先人たちが生み出した、うまく座る(瞑想する)ために、効率的に体の筋肉を強めたり弛緩したりする方法だとも言われています。
そこで、普段よりも少し意識して、息を十分に吐きましょう。
そして、吐く息で体の余計な緊張を抜いていきます。
息を気持ち細く長く吐くイメージで。十分に息を吐けたら、自然と必要な息を吸うことができます。
呼吸に集中していきます。
別のことを考えたら、「あ、考えているな」と気づいて、また呼吸に戻ります。
必要以上に、そのことを悪いとか、だから自分はダメなんだとか、瞑想はあってないとか、考えて思考の波にのまれないように。
「あ、それたな」と認めて、また呼吸に戻ります。
吸ったり吐いたりしている息の流れを観察します。
それを繰り返します。
これが呼吸瞑想。
最初は、この呼吸を10回。
「え、そんな短いのでいいの?」と思われるかもしれませんが、呼吸に10回分フルコミットするのは、けっこうなエクササイズです。
そして、これまで何もやらなかったことに比べたら、十分に瞑想しています。
やがて、5分間、15分間…と瞑想の時間を長くしていきます。
15分間、集中して瞑想できると、かなり前後の違いを感じられると思います。
初心者でもつづく瞑想のポイントはこれだけ
さて、瞑想が難しいとつづかなくなるのは、「これであっているのかなぁ?」と不安になったり、「しんどいな」「面倒くさいな」となってしまうからです。
そこで、つづく瞑想のポイントは、「これが正しい」「これは間違っている」と判断したい気持ちを手放すこと。
自分の心(正しさや間違い)と闘わないことに尽きると思います。
自分の心と闘いまくってきた私の話:ありのままの自分で本当に幸せになれるの? マガジンハウスからホームレス編集者へ。アメリカ先住民ナバホ族の集落で死にかけて学べた私の幸福学
ただやる、続けるということ。
というのも、瞑想とは観察する訓練です。
観察するためには、状況を把握するために、そのまま、ありのままを受け入れる必要があります。
そこで瞑想を行うと必然的に、観察力と受け入れる力の両方が磨かれていきます。これが優しい心だけでなく、クリエイティビティや、直感力が高まるゆえんだと思います。
実感して思う、瞑想で得られる効果とは?
たしかに瞑想で、不思議な体験をすることもあります。でもそれは、数々の先人たちが述べてきたように、本質ではないのだと思います。
私自身も、ずいぶん長い間、絶対的な“正しい瞑想”というものがあって、それに従って瞑想するやいなや、突如としてミラクルな変化が現れるんだと思っていました。
でも、ティクナットハン禅師のマインドフルネス、ヴィパッサナー瞑想合宿や、エサレン研究所で学んだエネルギーヒーリング、禅センターでの坐禅生活などを経て、本質的なことは、そこではないんだと実感します。
そこで今の私は、瞑想は断捨離みたいなものかなと思うんです。
それは、メトロノームの振りこが右や左やと揺れていない、本来の自分の状態に近づくこと。
禅センターで暮らしていたときも、他のレジデントに対して腹が立ったり、作業が終わるだろうかと心配したりしていても、座禅の後では、スッキリすることが多かったんです。
たとえば、クローゼットのいらない物や着ない洋服を処分すると、なくしていたものやへそくりが見つかったり、朝の準備がすぐできたりしますよね。
そんな感じで、いろんな思いでいっぱいになった頭の中を立ち止まって掃除すると、目の前の状況が観察しやすくなります。
その結果、点と点がつながりやすくなって直感が冴えたり、自分にとって本当に必要なものが見つけやすくなったりするんじゃないかなと、感じます。
瞑想は難しく考えるから、難しくなる
だから、瞑想というのは、正しくできているかどうか心配する必要はないのだと思います。
瞑想とは、今のありのままの自分を感じること。
自分自身でいること。
それは無防備で、マインド(思考の私)にとって傷つきやすい状態になることでもあります。
そこで難しい、つづかないと嫌になってしまうのは、自然なこと。
言い換えれば、難しくなるのは、難しく考えるから。考えた答えを出そうとするから。
瞑想は、ただやることが大事。続けることが大事。
そして、誰でも今ここで始められ、その恩恵を受けられるもの。
とてもシンプルだけど、奥深い冒険だと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました☺️
お役に立てれば、嬉しいです。
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