思考にのまれず、現状を幸せに変えるために。心から感じる体験があなたの現実を創るということ。

どんな現状でもポジティブな面を見つけることが幸せのカギだといっても、作り笑いをし、無理に前向きな言葉を発してポジティブぶりっ子すれば、ストレスホルモンが出てしまい心や体が傷つくそう。そこで幸せな現実を創造するために大切なのは心から感じるという体験です。それは思考で良い悪いと計算せず、目の前の体験と一体化すること。私の好きな映画や私が学んだ心理学教授が研究されていた「畏敬」というポジティブな感情に微かなネガティブが混じった気持ちからお話ししたいと思います。

大切な瞬間なら、カメラに邪魔されたくない。

ネガティブ思考で頭でっかちになると視野が狭くなるので、考えるよりも感じなさいとか、ハートを開こう、心から感じようと言われます。でも、それって一体どういうこと?

そのヒントになる、私の好きな映画があります。『LIFE!/ライフ 』という作品です。作中では、フォトジャーナリストで冒険家のショーン(ショーン・ペン演)が、アフガニスタンの高山で待ち望んだ雪ヒョウと出合うシーンがあるんです。雪ヒョウは世界で最も高い場所に生息する、野生ではなかなか見ることが出来ないヒョウ。別名・お化け猫(ゴースト・キャット)とも呼ばれる幻の動物です。

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フォトジャーナリストとして彼は、ようやく姿を現した雪ヒョウをおさめようとカメラのファインダーを覗き込みます。けれども、シャッターを切るのをやめるんです。なぜでしょうか?

「もしその瞬間が俺にとって大切な瞬間なら、カメラに邪魔されたくない。ただその瞬間と居たい」と、瞬間の美を心の目に焼きつけるためにです。そうすることが損か得かという思考の判断よりも、「生身の心と体で感じ尽くしたい」と、今ここの感覚を優先させたんですね。なんという贅沢な決断でしょう…。

人生の幸せと社会的な成功は別物。

このシーンには、人生の幸せと社会的な成功とはまた別物なんだというメッセージが感じられます。ここでいう成功とは富や社会的地位に代表される世間的な成功のことです。その人の内側から湧き上がるような達成感を成功とするという定義とは、別の話です。

社会的野心に従えば、雪ヒョウの姿を写真におさめることが優先されるでしょう。めったに見ることができない野生動物の決定的な瞬間を一枚の写真にすることは、需要と供給のバランス、希少性、美的な価値において、高く求められるものですから。しかし彼はファインダー越しの世界ではなく、他の人の評価越しの世界でもなく、肉眼を通じ全身全霊で雪ヒョウと一体化し、その貴重な瞬間を直接体験し尽くす世界を選んだのです。




畏敬とは?

雪ヒョウの圧倒的な美しさに触れ、息を呑んだショーンが抱いたのはまさしく、畏敬(Awe)と呼ばれる感情でしょう。畏敬とは、崇高なものや偉大な人を畏れ敬う気持ちです。

雄大な自然や崇高な人物に対して畏敬の念を抱いたとき、心理学では人はその偉大さに圧倒されるといいます。そして自分の小ささを感じて謙虚になる。同時に、自分を囲う境界線のようなものが消えて、自分の存在を何か偉大なものの一部なんだと感じるのだとか。

皆さんにも経験がありませんか? 威風堂々とした大自然や壮大な夕焼けを見たとき、なにかハッとさせられ圧倒されると同時に、自分が拡大していくような感覚がしたことが。

ニューメキシコ州で雪の音を聞く。

私にもあります。それは、ニューメキシコ州のウパヤ禅センターで暮らしていたときのこと。ある日、老師や他のレジデントと一緒にセンターから車で2時間半ほどいった、Prajna Mountain Forest Refuge(般若山森林保護区)の隠れ家に滞在したんです。そのときの私は、スピリチュアルに傾倒するときにありがちな、嫌なことがあっても辛くても、みんなに迷惑をかけるからと聖人論でなんでもないフリをする。人一倍頑張って微笑みをたやさない。そんな間違ったプラス思考にハマっていました。それでどうにも手放せない怒りが心の奥底でくすぶっていたんです。

ある朝、雪が降りしきる白樺林でひとり佇んでいました。白だけの世界にたったひとり。数分も立っていると凍えそうです。けれども寒さや恐ろしさを忘れて偉大な白の世界に魅せられていました。

そこで雪が降る音を聞いたのです。音の中で自分も小さな雪の粒になって、溶けゆくようでした。けれども同時に拡大して雪の世界と一体化していくようでもありました。

雪の音に包まれるうち、気づけば何か月坐禅しても修行しても解消されなかった怒りの感情が流されていたのです。それはおのずと感覚が優位になった結果にたどり着いた、思考のコントロールを超えた世界でした。

参考:ありのままの自分で本当に幸せになれるの? マガジンハウスからホームレス編集者へ。アメリカ先住民ナバホ族の集落で死にかけて学べた私の幸福学。

ひょっとしたらショーンもまた、気高き雪ヒョウの一瞬を写真として切り取ることで、自分が今一体化するそういった宇宙のエネルギーと切り離されたくないと感じたのかもしれません。

畏敬の念で、自分の境界が消えて利他的になるという研究結果も。

私が学んだカリフォルニア大学心理学部バークレー校のダチャー・ケトナー博士は、そんな畏敬という感情について研究されていました。博士は畏敬の念にはその人の思考の枠組みを外す大きな影響力があル。そして偉大なものに出合い、その人と他者との境界認識が消える(薄れる)ことで、他の人に対して親切になれるのだともおっしゃっていました。

私がこの映画を最初に観たのは、会社を辞めるかどうか悩んでいたときでした。その時はショーンの決断を、素敵だけどちょっともったいないなぁ〜と思ったんです。撮影のために命がけで雪山に一人キャンプし、待ち望んだ瞬間なのですからね。それを一枚の写真として形にすれば、今までかけてきた苦労や時間やお金や犠牲にしてきたものがペイできるんじゃないかなぁと。



体験に投入し切ったとき、思考との一体化から解放される。

でも最近久しぶりにこの映画を見なおして、全身全霊で瞬間を生きていたら、損か得かというそろばんをはじく余裕なんて生まれないだろうなと実感したんです。心を開いてシャッターを押し続けてきた人間だったなら、自然美や宇宙の摂理に畏怖の念を覚えたとき、つまり目の前の体験に投入し切ったとき、過去や未来を思考する隙なんて吹っ飛ぶからです。

実体験から思うのは、心から感じるとき、同時に考える(算段する)ことはできません。我が子を助けようと火の中に飛び込む親というのは、そういった意識状態にあるのだと思います。目覚めや悟りとは、こういった私たちの小さなマインドで展開する思考との一体化から解放されることだとも言われています。感じるか考えるかではなく、感じるように考え、考えるように感じるような意識状態です。

参考:悟りや覚醒はどんな状態? 本当に幸せ? 普段の生活で開く悟りとは。

未知の領域、ハイヤーセルフとつながる。

そんな自我を超越した感情を抱くとき、私たちは安全圏を超えたエッジに立ちます。ラクで居られる範囲のことをコンフォート・ゾーンと言いますが、そこを抜けるとき、私たちの生命維持装置にアラートが入り、そこから外れないように行動と思考を制限しようとします。つまりゆり戻しが起こります。

参考:自由と多様性の風の時代を生きる、ハイヤーセルフとつながるために必要な6つのこと。

そこで抱くのはポジティブな気持ちだけでなく、微かな恐れというネガティブな気持ちも混じります。さまざまな制約を超えた未知の領域、十分に知らない自分とつながろうとするときには、微かな恐れの感情も芽生えるものです。それはハイヤーセルフ(より高次で自由度の多い意識状態の自分)が管轄する領域に向かっているサインとも言えるでしょう。しかし投入し切った先にはコンフォートゾーンが拡大し、恐れは薄れ、体験できる世界も拡張していきます。

参考:ハイヤーセルフと繋がる方法とは? 問題を解決する、自分を超えた答えのダウンロード法

外側の行動の有無よりも全細胞が向かう方向性の一致を目指す。

念のため誤解がないように補足します。内省したものを味わい切って共有しないことだけが体験との一体化だとお話ししたいわけではないんです。お伝えしたいのは表面的な行動の話ではなく、自分の細胞のベクトルが指す方向の重要性です。その感覚が自分にとっての正しい選択だと理性を超えて伝えていると確信させてくれているかどうかであり、内に現すか外に現すのかというのはお伝えしたいポイントではありません。

例えば『LIFE!/ライフ オリジナル版 』の監督で主演をつとめたベン・スティラー。彼は、「今の自分にしか撮れないと直感的に思ったので、何とか形にしたかった」と、ショーンの雪ヒョウのシーンを含む『LIFE!/ライフ』を映画という形に収め、公開しました。素晴らしいことです。

行動だけ見ればショーン(作中人物)とベン(製作者)は真逆のアプローチをしているようです。けれども私は、どちらも対象(雪ヒョウや作品)と一体化し、大切な瞬間を直接体験していると思うんです。二人に共通しているのは、外側の評価と内側の価値をいったん切り離し、自分の細胞全部がイエス!という感覚を持って選択しているということ。内的衝動から突き動かされるように行動をとっている感じです。これが深い幸せ、内的な充実感や達成感のカギになる選択の仕方だと思います。

内的衝動とはなにかがよくわかるのが、故スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学での有名なスピーチです。彼もまた、

「ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです」

と、社会的なルールや制約のなかで、内側の感覚を守り抜く大切さを語りました。

恐れずハートを開いて、感じてみよう。

私の好きな映画俳優のコン・ユさん。演じる姿ももちろん素敵ですが、私は特に彼がインタビューで受け答えする言葉やありようにハッとさせられます。例えば彼はあるインタビューで、俳優として自分が決して失いたくないものを尋ねられ、「感性だ」と即答されていました。

感性とは、さまざまなものを見たり聞いたりしたときの印象を受け入れる力、心に深く感じとる働きのことです。私たちの世界とは私たちが感じて解釈した現れですから、感性の強さや深さによって私たちが創る世界に厚みや広がりが生まれます。

しかし強い感性を持つということは、感じやすい分に無防備で傷つきやすい状態になるとも言えます。一方で痛みや悲しみを感じとれる力があるからこそ、喜びや慈しみを現し、体験することもできます。黒い文字を黒い紙に書いても見えませんが、白い紙に黒い文字を綴ることで書いた言葉が浮き上がるように。

マインドフルネスもサポートになる:HSPってなに? 人の気持ちを感じ取れる良い人、敏感な方が心を守るための“呼吸バリア”の作り方。

心理学者のバーバラ・フレドリクソンは、著書『ポジティブな人だけがうまくいく3:1の法則』で、幸せのカギになるポジティブさを増やすにはまず「心から感じること」だといいます。良かれと思って行動に移しても、心や体が本当に感じていない前向きな言葉や作り笑いは、ストレスホルモンなどが出て、かえって私たちを傷つけるのだとか。

10年前にティクナットハン禅師のマインドフルネスリトリートに参加したことで突き動かされるように、会社を辞めて心理学を学び直し、アメリカでは禅センターで修行しました。そんな実体験から、マインドフルネスや禅というのは、何が信じ込み(ビリーフ)で何が現実なのかを、徹底的に心と体の両方を使って区別する修行なのだと痛感します。それが平穏な心へとつながっていくのです。

そこでどんな気持ちであっても、心を開いて偽りのないその感情を体験することを赦してみましょう。どうか心配しないで。心から感じるという体験はあなたの現実を深く豊かに彩ります。そこからスタートすれば、深い幸せという実感が感じられる人生にもつながっていきます。