5分歩くだけで不安や怒りが消える。自分の部屋でできる歩く瞑想の行い方

不安を感じたり、怒りで落ち着かないときは頭の中がいっぱいになって、実際に起こっていない最悪バージョンのシナリオを勝手に想定して、心をざわつかせていることも多いもの。日常生活のペースを落とすことで、今実際この瞬間で起こっている現実を体験する余裕が生まれます。思考の働きを緩める瞑想は、そのためのもっとも手っ取り早い手段です。けれどもなれないうちは、ただじっと座って行う瞑想は難しい、苦手という方も多いです。そこで今回は、5分でも不安や怒りがスッと消えていく、ステイホームにぴったりな自分の部屋でできる歩く瞑想法をお話ししたいと思います。

写真:フランスにあるティクナットハン禅師の僧院Plum Villageで一緒に歩く瞑想を行ったときの様子。

私たちの脳は、必要以上に不安を抱かせる。

「どうしよう」「もうダメだ」と不安や恐れ、怒りを感じることも多いでしょう。それは、私たちの脳が、“ネガティビティ・バイアス”と言って、大なり小なり現実の明るいことよりも暗いことのほうが気になりやすくできているからです。これは生まれつきではなく、生後12か月頃から不安や恐れに反応しやすい脳の設定になります(『Understanding Emotions』より)

ネガティビティ・バイアスは、危険や苦痛の可能性を早めに察知して避けるほうが、生き延びる確率が高くなるだろうと設定されたサバイバル機能の一種です。でも、サバンナで猛獣に囲まれながら狩りをし、今まさにライオンに食うか食われるかという日々を生きた時代に比べて、現代の暮らしでは、目の前に起きていることで生きるか死ぬかの瀬戸際だということはそうありません。むしろ生きづらさや経済的不安などが重なりあう社会で、うつ病になったり、自ら命を断ったりする人が後を絶たない現代において、この脳の設定は自滅の方向に働いているともいえるでしょう。




5感を使って感じることで、自滅型の脳の働きを止める。

自滅型の脳の働きを止めるために有効なのは、考えたり判定したりする脳の機能を働かせないことです。これで、脳のいじわるな声を黙らせることができます。

私たちは考えることと感じることを同時に行うことができません。つまり脳には考える脳と感じる脳の機能があって、恐れや不安を抱かせるのは大抵「悲観的な考え」から来ています。そこで、見たり、聞いたり、触れたり、匂ったりと、五感の力をフル使い、脳を感じるために利用すれば、否定的に考える脳の機能をストップさせることができます。

そのためには十分に感じられるだけ、日常生活のペースを落とす必要があります。例えばテレビやチャットの代わりに、頭を働かせずにただボーッと10分間沈みゆく夕日を見ていると、0円の体験だけど優雅な気分になれます。その美しさに共鳴し、胸の中心がわぁーっと温かく広がるように感じられるかもしれません。

瞑想はこのように夕日を眺める姿勢と同じで、今起きていることを感じるのにもっとも手っ取り早い手段です。けれどもなれないうちは、私たちは何かをすることになれているので、ただじっと座って行う瞑想は難しい、苦手だという方も多いです。

参考:これでわかる!マインドフルネスとは何をするのか、どういう状態か。ヴィパッサナーとの違いは?

座る瞑想が苦手なら、歩く瞑想がオススメ。

そんな人には、私が欧米にマインドフルネスを広めたティク・ナット・ハン禅師から初めて習った「歩く瞑想」がオススメです。禅修行では、「経行(きんひん)」と呼ばれて、坐禅のあいだに行われることが多いです。

ティク・ナット・ハン禅師自身、歩くときにゆっくりと「今」と一歩、「ここ」と一歩マインドフルに大地を踏みしめながら、重いうつ病を完治させました。リトリートでは、「大地にキスをするように、呼吸とともに一歩一歩踏みしめて歩きます」と説明されていました。
ティク・ナット・ハン師のマインドフルネス瞑想法が書かれた本:微笑みを生きる―“気づき”の瞑想と実践』



歩く瞑想のやり方。

1. 肩をリラックスさせ、左手の親指を内にして握り、手の甲を外に向けてみぞおちあたりに軽く当て、右手のひらで左手を覆います。難しければ、肩の力を抜いてリラックスできる手の状態ならなんでも構いません。
2. 目は前方1メートルあたりをぼーっと見ます。
3. 一歩一歩呼吸のベースに合わせてゆっくり歩きます。
4. 片方の足が地面について、かかと、土踏まず、足の指、そしてもう一方の足のかかとと、体重が移動していく様子に意識を向けます。
5. 雑念がわいたら再び足裏の感覚に意識を向ける。「今」と一歩、「呼吸」と一歩と、マントラのように心で唱えて歩いてもいいです。

(参考)座って行う瞑想のやり方:

(参考)書く瞑想ジャーナリングのやり方:ドス黒い感情やダメな視点にも価値がある! 不安、怒りを「書いて」陽転させる方法

外でこの歩く瞑想をなんどか一人でやったことがあります。歩くペースがゆっくりで、目線もボーッとしているために”どことなくゾンビ風”になって、周りの人たちにギョッとされたことも。そこで私はひるんでしまいました。

よくよく考えれば、この瞑想の目的は、たくさん距離を歩くことではなく、歩行で感じることに意識を向けることです。広いスペースも長い道も必要ありません。駅に向かう数歩だけ、足裏をしっかり感じながら歩いてもいいでしょう。私の場合外では、歩くことそのものがゴールとする意識に至ろうとしても、目標地点があると急いでしまったり、自意識過剰になって周りの人が気になってしまったりして難易度が高くなりました。もっとも手軽なのは、自分の部屋でゆっくりと歩く瞑想を行うことです。最初から何分と決めて頑張りすぎず、数歩、次は5分、10分と行うのがオススメ。部屋から出る必要もないので、ステイホームのこの時期にもぴったりです。5分でも行えば、十分心が落ち着いていきます。

ペースを落とせば、害ある思考に気づけるようになる。

歩く瞑想をやっていると、びっくりするほど、自分があれこれ考えていることに気づきます。瞑想すると雑念があふれだすといわれますが、実際は瞑想で頭の声が騒ぎ出したというよりも、情報量が減ったことであれこれ四六時中考えていることに気づいたのです。つまり今まで、頭の中がいっぱいで気づく余裕が無かっただけ。だから、「雑念が多いな」と思ったら、瞑想できてない自分を責めるより、気づいた自分を褒めてあげてください。

今ここに集中しようと思っているのに、どうしても先を急いでしまう自分や、今ここではないどこかに行こうとしている自分の傾向にも気づくかもしれません。続けていくうちに、実際に起こっていることよりも、自分の思考が恐れを生み出していることがわかります。自分にとって害となるような、耳を傾ける必要のない思考パターンに気づけるようになっていきます。

一度に一つのことしかしないと、生活のすべてが瞑想的になる。

このようにペースを落とすことは、歩くことだけでなく、例えば食器を洗うときにも、洗っている手の感触に集中するなどしても行えます。お茶を飲むときに、お茶を飲むことだけに集中するのもいいでしょう。

これはゆったり過ごすためにまったくニュースを見ないとか、待ち合わせしたり家事や急ぎの仕事をしないというわけではありません。ただ今自分がしていることに完全に注意を向けるということです。一度に一つのことしかしないように集中して、日常生活で考えるよりも感じる時間を増やしていくと頭の中がゆったりとしていき、どこでなにをしていても瞑想的な時間が持てるようになります。

参考:野菜スープ作りで思考を現実化させる。潜在意識を組み立て直す五感の使い方。