女一人海外生活で壊れた私と日本の心。禅センター暮らしと『大使とその妻』

solitude in the USA

海外で暮らすのが子どもの頃からの夢だった私。14年半勤めた出版社を辞めて渡米し体験したのは、アメリカ生活で受けた差別と、禅センターでの静かな暮らし。それは異国で一度壊れた自分の心をつなぎ直す旅でした。帰国後は、孤独な私を禅の所作と小説『大使とその妻』が支えてくれたんです。

はじめに

会社を辞めてひとりアメリカへ渡ったあの日から、私の世界は大きく変わりました。英語もわからない知り合いもいない。マインドフルネスの実践も役立たず、異国の地でただ「生きる」ことが、こんなにも心を試されるなんて思ってもみませんでした。

やがて私を支えてくれたのが、禅の教えと古き良き日本を生きる在米日本人たち。帰国後のさびしさには、先日読んだ『大使とその妻』をはじめ、本が寄り添ってくれました。

これは「自分とは何か」「日本人であるとはどういうことか」を問い続けた5年間のアメリカ生活と、帰国後、その先で見つけた自分を整える知恵の記憶です。

異国で立ち尽くした日々

もう10年も前になります。

私は14年半勤めた出版社を辞めてひとり、
心理学を学ぶために渡米しました。

それは、アメリカで経験した孤独と違和感。
言葉の壁、差別、そして「日本人であること」「私であること」への問いが始まった日々。

振り返れば、いまだに昨日のことのように鮮明なところもあるし、
前世の体験のようでもある不思議な感覚です。

言葉に関しては、最初はドクター・スースの絵本で英語を勉強することから始まりました。日本では編集者という言葉を扱う仕事だったので、「あなたはこのレベル」と絵本を渡されたときは、愕然としました。

ocean beach

会社を辞め完全に退路を経って渡米
どうにもならないときは
よく海を見に行きました

その後は、カリフォルニア大学バークレー校で心理学を学びました。

そして最終的には、アメリカの禅センターで典座(てんぞ:料理長である僧侶)と料理を作り続ける修行の日々。

cooking at zen center

東京でバリバリ働いていた自分が、最終的には坐禅しながら、100人の料理を作り続けることになるなんて。思いもしませんでした。

それは、ゴールを決めず、心のまま行動したからです。

また、あまりにもいろんなものを手放しすぎたから、守りに入ることもできなかったんです。身軽すぎて…。

そういう生き方を、一度してみたかったのです。

そして、一度道がずれると、ベクトルもその角度の大きさも変わるというか。行き先が自分でも予想外な方向に向かっていくといいますか…。

そんな感じで流されるように生きると、想像もしなかった多様な価値観にも触れました。
アメリカ先住民の居留地で、死にかけてしまったこともあります。トホホ

その結果、自分自身のアイデンティティについても深く考えるようになりました。

それまでの私は、性別や年齢、職業や肩書きで判断され、自分も相手を判断してきたと思っています。

たとえば編集者時代にダイエット特集を担当すれば、「この人は内科医だから、栄養士だから、取材しよう」といったように。

しかしアメリカでは、生まれてはじめて自分にはそういったものの前に、「移民」「アジア人」「日本人」という属性が先立つことを知りました。

たとえばトランプ氏がはじめて大統領になったときは

Go Back to China! (中国に帰れ!)*

と、ホームレス男性に叫ばれました。

*日本人でも、アジア人全般という意味で。いっしょくたなんです。

また、サンフランシスコの語学学校の帰り、大通りでバスを待っていたときには、強盗に遭いました。

決してブランド品などを身につけていたわけではありません。古ぼけたデニムに履き潰したサンダルという姿で、です。

そして人通りの多い昼間だったにもかかわらず、カバンから携帯と財布を盗まれました。

アメリカになじんでいなさそうなアジア人。良いカモだったのだと思います。

強盗を走って追いかけていったら、警察官の人にたしなめられました。

銃で撃たれる可能性があるからだそうです。こわすぎる…

その後バークレー大学に通ったときにも、銃を突きつけられて、リュックごとパソコンを盗られていた学生もいました。日本では考えられないことでした。

やがてアメリカ生活になじんできたら、あるアメリカ人の方に

「キミは日本人なんだね。一番良いアジア人だね」

と言われました。値踏みするような言葉に驚きました。

しかし相手は、それを褒め言葉だと捉えているようでした。

そこで後日談として、別のアメリカ人の方に「不快だった」と話したら

ふぅん(何が悪いの?なにか悪いんだとしても)
どのみち、彼はメキシコ人なんだけどね

(メキシコ人はアングロサクソンの自分より下と暗に意味する)

と言われて、愕然としました。

私って、生まれながらに差別される側なんだ…

覚悟はしていたけど、その理解が、下腹部までズーンときたというか。

自分の行為や実績と関係ないところで、すでに私の価値は決まっている。

中年を過ぎてから飛び込んだ、海外生活の洗礼でした。

なぜかアメリカの禅センターで修行

その後、アメリカの禅センターで修行しながら暮らしました。

わざわざ日本の禅をアメリカで学ぶことになるなんて!自分でも驚きました。

思えば、日本人として堂々と暮らしたかったのでしょう。

禅センターにいれば、日本人ということで差別されることはなく、むしろ珍重されましたから。

また唯一の日本人として、和食をつくって喜ばれたことも、異国で生きる励みになりました。

onigiri

単なるおにぎりでも「料理の天才」と言われた…(笑)

もともと瞑想や仏教の教えに興味があったのですが、逃げだったのかもしれません。

家族も所属先もなく、たった一人で渡米した日本人の自分。どこかそんな自分でも認められる居場所が欲しかったのだと思います。

車にひかれ、移民という立場を知る

禅センターでの修行期間中に、車に轢かれたこともあります。

休日に、レジデントへのクリスマスプレゼントを自転車で買いに行った帰りのことでした。車が停まっていたので一度停止して確認し、ペダルをこぐと停まっていた車が急発進したのです。

たまたまパトカーが通りかかりました。
そこで、最初は被害者の私側についていた警察官の方。

しかしジャガーを運転していた女性のIDと、私のパスポートを見比べたあとに、態度が変わりました。

アメリカ人ではない私が、「もっと注意しなさい」と厳重注意されることになり…。

これまた偶然事故現場を通りかかった、禅センターの僧院長が「おかしい」と怒るほど、理不尽な扱いでした。

世間知らずだった私は、ここでようやく確信するのです。

「移民として暮らすことは、ものすごくリスクがあるんだな」と。

これらの経験が、自分に対する捉え方、アメリカや日本への見方を違ったものに変えていきました。

在米日本人の支え合い
禅センターでの静かな暮らし

海外に行って、その国の言葉を自由に話せるようになりたければ、日本人とつるんではいけない。

よく言われることです。

これは渡米前にわたし自身も思っていたことだし、語学学校でも教えられる鉄則です。

けれどもその国で暮らすとなれば、話は違います。

ベイエリアで暮らす日本人の人たちが、大きな支えになってくれました。

40年ほど前に渡米した彼らの暮らしには、私の知る現代日本とは違う、”古き良き日本”が息づいていました。

たとえば、自宅の庭でしいたけを育てて分け合い、干し柿や梅干しを漬け、お正月には手作りのお節料理が並ぶ。

話す言葉もどこか丁寧で懐かしく、まるで昭和初期の映画女優のような、柔らかで美しい日本語でした。

その後私は、心理学を学んで、少し研究所の手伝いをした後、アメリカの禅センターで半年間暮らすことになります。

禅センターでは、日本人は私ひとりでした。

そこで、禅センターでの作務や仏道の勉強を通じ一番生きた英語を話したように思います。

専門用語が飛び交う大学院の研究室では、恥ずかしいことにほとんど英語を聞き取れなかったので、ディスカッション時には、貝のように押し黙っていたからです。「ああいう話だったんだな」と理解した今は、「それは違うだろ」と、言いたいこともいろいろありますが。

禅センターでの、早朝から始まる1日3度の坐禅、掃除や料理などの作務、静かにいただく食事。

朝5時前に起床し、無言で掃除し、坐禅を組み、朝食を静かにいただく――それは現代日本ではなかなか見かけない、慎み深く整った日常でした。

無駄のない所作が教えてくれた
“今ここ”を生きる感覚

とはいっても、アメリカ人の禅センターなので、純和風ではなく、少しポップな要素が合わさっていたので、なじみやすかったこともあります。

粥ではなくグラノーラ、布団ではなくベッドという西洋文化が混ざっていたことが、現代日本で暮らす私の肌に合いました。

また日本の禅寺とは違って、男性のみで女性は除外と分け隔てず、平等に学べる空間も意心地が良かったです。僧院長も、ジョアン・ハリファックス老師という女性でした。

異国で暮らしながら、日本から学ぶ“自分を整える”時間。

坐禅を知らせる鐘を打ち、何個ものトイレやシャワーを手洗いし、100人近い料理を黙々と調理する。

そんな秩序だった日常が、一度壊された自分の心をひとつひとつ立て直していく、儀式のような時間になっていました。

zen center in winter

けれども禅センターの外に出ると、現実は違いました。

たとえば、交通事故に遭ったときのことです。

明らかに相手側に過失があるにもかかわらず、警官に厳しく問い詰められたのは私の方でした。

“外国人”であることが、ときに不信や偏見の目を招く。
それが現実でした。

5年間のビザが切れて帰国したあとは、無理がたたって顔面麻痺になりました。病気が治った後は、父の闘病。そして母と一緒に、父を看取りました。

父の死後1年半経ち、ようやく二人でゆっくり旅行でも行こうかと話していた矢先、母が病気になりました。

そんな中、先日読んだ水村美苗さんの小説『大使とその妻。母に薦められた本です。

その登場人物たちと、どこにもハマれていない今の自分の姿を重ね合わせたのです。

大使とその妻

『大使とその妻』のあらすじ

水村美苗さんの小説『大使とその妻』は、2024年に12年ぶりの長編として刊行されました。 物語は、アイルランド系アメリカ人のケヴィンの視点で始まります。日本で暮らすケヴィンが軽井沢の山荘で過ごすなか、隣人である元外交官の篠田夫妻が突然姿を消します。 ケヴィンは、古風な日本の美意識が色濃く現れる貴子に魅了されます。そして明かされる彼女の数奇な半生とは。ケヴィン自身は、同性愛者として家族との関係に悩みを抱え、亡き兄への思いを引きずっています。 彼は貴子との交流を通じて、自身の過去やアイデンティティとも向き合い始めるのです。

上巻

長編小説は、だいたい最初の1/3ぐらい
読むのがしんどいのですが
それを過ぎるとグイグイと
惹き込まれ二日で読了してしまいました。

下巻

上巻を読了後は、「貴子さんの生い立ちとは?」
とすごく気になって、下巻は一気に。
素晴らしい読書体験でした。

居場所がない帰国後の自分

アメリカ生活を経て日本に帰国すると、自分がズレていることを改めて痛感しました。どこにもハマれていない、おかしな人。

会社員ではない、子育てもしていない、配偶者もいない。

別にそう目指したわけでなく、私なりに生きた結果、そうなったのですが。朝にコーヒーを飲みながら日経新聞を読んでいると、私のような「ないないづくし」の人間は、GDP換算での日本社会のお荷物なんだなと、哀しくなります。

心を立て直そうと、アメリカの禅センター暮らしのように、日本でも曹洞宗の本山・總持寺の接心を受けました。その後も何ヶ所か曹洞宗系のお寺の接心に参禅しました。

けれども日本では、こういうと怒られてしまうかもしれませんが。どことなく女性の私には入りこめない夫権な感じがあって、あまりなじめませんでした。

またあるお寺では、話の流れでアメリカの禅センターで暮らしていたと言うと

あれはサロン坐禅でしょう(=生ぬるい禅修行)

と言われてしまいました。

その後は、どのお寺にも行かず、ひとりで坐禅し、家事を作務に見立てる毎日を送っています。

また帰国後に、ある社長さんに呼ばれて会社訪問したことがあります。
無職の私のことを心配してくださったのでしょう。面接のような流れになって

アメリカで何をしていたのか

と聞かれました。

マガジンハウスで働いていた頃にお会いした方だから、編集者としてとか、マーケッターとしてとか、アメリカではどんな実務スキルを磨いてきたのか。

そういうことをお聞きになりたかったのだと思います。

けれども私の答えは、

心理学を学んだ後、禅センターで20〜100人分の料理を作っていました

その経験はユニークであっても、当然、スキルとして評価されることはありませんでした。

いくら壮絶な体験をしたからといって、それで「どれだけうちの商品が売れるのか?」「ページをどう回せるのか?」と問われれば、答えに窮します😱

自由すぎたオーストラリア人など(でも人懐っこくて憎めない)、異文化の人たちと働く術は身についたけど…。局所的スキル。

その後、言葉ではなく数値化するものが必要だと、TOEICの試験を受けました。3ヶ月必死に勉強して(ビジネル英語とか知らんので覚え直し)、スコアもとって「さぁ、就職活動を始めよう」と思った1週間後。ラムゼイハント症候群にかかり、重度の顔面麻痺になってしまいました。そして、父の闘病へとつづきます。父を看取った後は、母が病気になり…。

でもそういったことよりも、一番大きいのは、自分がその方向に進む気になれなかったからだと思います。

東京で忙しく働いていた私が、なぜかアメリカの禅センターで暮らし、違ったものの見方が芽生えてしまった。

魂の声を無視して強行突破しようとすると、ストップがかかる。そうした経験を繰り返すうちに、本音を見つめ続けると、違う道が見えてくる。そう痛感します。

私はけっこう心を無視してもやれてしまうタイプなので、最近は体がストップをかけて教えてくれるようになりました。

体もそうだけど、なんか硬いんでしょうね。しなやかな柳と違って、ボキンといったときは、一大事みたいな。

帰国後は、瞑想のやり方なども伝えていました。けれども今は、体験が深まるほどハウツーでは語れないと痛感し、この分野を書いたり伝えたりするのを控えています。

そこで、どこにいてもどこにもハマっていない、自分が異邦人(ストレンジャー)のような気分もします。

生まれてすぐ立てる鹿など動物に比べ、頭が大きく、長らく周りの助けが必要な人間。哺乳類として最弱である人間でもあるし、会社員生活も長かったしで、依然として強い帰属欲求や承認欲求があるんだと思います。

これまでの私は、長いものに巻かれよ。右にならえで感じきらず、とにかく前に進んできました。

「ん?」と立ち止まってしまったら、仕事も進まないし、目の前の人も納得させられないし、お金も稼げないし、就職もできないし、受験もうまくいかないし…と。

でも、今の私は、心の違和感を見過ごすには、いろんなものを手放し過ぎました。身軽すぎます。
だから、心を感じながら立ち止まるという、苦しい時間を簡単に流してしまったらいけないような気もして。

book at park

バークレーの公園に似ていて大好きな公園
ここで毎日瞑想しています。

たった5年間外国で暮らしただけの私でもそうなったから、『大使とその妻の貴子さんが感じた疎外感や、違和感の強さは、どのようなものだろうか。

身につまされます。

文化は、私を支える「型」だった

そんなふうに結論が出ないなか、禅センターでやっていたように食事をつくり、いただくこと。自然の中でおこなう毎日の坐禅。できるときは手を貸し、多くは語らないこと。見えない“日本”が、私を少しずつ立て直してくれます。

ネガティブケイパビリティ(答えが出ない事態に耐える力)は、思考を変えて身につけることが難しくても、日常の所作から得られるものもあるんだな。そう気づかされました。


アメリカでお世話になった日本人の一人
書道家で禅研究者のKazさん。
彼は、合気道の創始者である
植芝盛平さんから指導を受けました。

この本を読みながら
Kazさんが教えてくれた合気道の
「静(不動)の力」を
思います。

あとは「ま、いっか」と肩の力を緩めて
固執しすぎない力も

参考:映画『パーフェクト・デイズ』と禅的な幸せ―今の瞬間を生きると今日が輝く

文化とは知識ではなく
「生きる術」として受け継がれる

私も『大使とその妻の主人公ケヴィンのように、貴子の姿に強く惹かれました。

彼女は、和服の所作や礼儀作法、丁寧な日本語を話します。それは誰かに見せる見栄や自分を高く見せる行為ではなく、「日本人である自分を保つため」の切実な営みだったのだと思います。

アメリカの孤独な生活、そして帰国後の居場所のなさを、禅という文化によって救われるように暮らす私。

出汁の香り、静かに食事を味わう時間、季節の移り変わりを感じて自然の音に耳をすませること――そんな所作が、自分らしく生きる支えになっています。

貴子の静かな佇まいの根幹にある、「どうしても失いたくないもの」。それが自分にもあると気づいたとき、物語が現実と溶け合うように重なりました。

仏教では「私心」を無くすこと

滅私奉公という言葉もありますが、
自我の囚われから自由になることが救いの道といわれます。

そこで、私は「わたし」を無くそうと必死になってしまいました。
自然なカタチを否定する自分の台本に固執して、流れに逆らってしまった。

その結果、顔面麻痺になって緊急入院したこともあります。

その経験を経た今のわたしが思うこと。

自分を押し殺すことは、滅私とイコールではありません

どうしても失いたくないものと自分が一体化したとき、その結果「自分という囚われ」が薄れていくこと。

魂と理性が一致する場所にも、救いがあるのだと思います。

それは、東京で暮らした家の家主・友人の山伏の先生、星野先達にもよく言われた「無意識と意識の境界がなくなる場所」です。

その心の解放は、瞑想や山伏修行に限らず、日々の所作のなかで得られることがあります。

そして、この小説が教えてくれたのは、文化は知識ではなく「生きる術」として受け継がれるということ。

アメリカの禅センターでも、日本人ではないアメリカ人、オーストラリア人、スウェーデン人、ドイツ人などさまざまな国や文化の人たちが、禅の所作や考え方を学び、真剣に自分の生き方に取り入れようとしていました。

彼らにとって禅は、日本に限ったものや古い過去の教えではなく、 “誰にでも開かれた生きる知恵”だったのです。

そんな彼らは、「仏教は宗教ではない。生きる哲学だ」と言っていました。

自分を取り戻す、静かなレッスン

日本で生まれ育った私が、一度日本の外に出たことで、私たちが暮らす現代日本社会の良さも再発見できました。禅文化に限らずです。

というよりも、私たちの日常の中には、禅の心が生きています。

たとえば、夜に女性ひとりで歩けるほど治安のいい日本の街。
保険制度が整い、誰もが最低限の医療を受けられる社会。

役所にいけば当然のように事務処理が済ませられ、
バスや電車は時間通りにやってくる…。

こうしたまるで空気のように享受できる秩序は、全世界的に珍しい日本の豊かさです。
私は、海外生活で初めて、それを思い知りました。

当たり前だったそれを、今は本当に感謝しています。

私のように強盗にあったり、車にひかれたりすることは極端な例ですが、

たとえば、サンフランシスコのスターバックスのトイレ。

暴動の後のようにどの店舗もめちゃくちゃでした。

一方、日本のスターバックスのトイレ。
どの店舗も清潔です。何時に誰が掃除をしたのか、記入されていたりもします。

私はアメリカの禅センターで、たくさんトイレ掃除をしたので、映画『パーフェクト・デイズ』を観たときも、

日本のトイレには禅の心がある

と再認識しました。

参考:映画『パーフェクト・デイズ』と禅的な幸せ―今の瞬間を生きると今日が輝く

また、同じ禅を実践している仲間でもお国柄を感じました。

例えば「1cm角のサイコロ型に切ってね」とジャガイモを渡されたら、日本だったらどうしますか?

日本人の私は、当然のように何十個のジャガイモを1cm角のサイコロ型に切り続けました。

一方でアメリカ人やオーストラリア人のレジデントたちが切ったものを見ると…。

なぜか三角形などいろんな形でバラエティーに富んでいるんですね(笑)

言われたとおりにせず、「だってこの方が効率的だから」と勝手にアレンジを効かせるんです。

冗談かと思ったら、本気で。いらないところにも、自己主張を効かせるというか。

そこで、「滅私…」と、イラつく自分の心を抑えるのも修行だなと痛感しました。
自分の当たり前や、理想に固執しない修行というか。

だから、日本では「アメリカの禅修行は、サロン坐禅(=生ぬるいの意)」と言われましたが、日本のスタンダードが働かない場所では、また別の修行があるというか。

そんなんいうなら、一回あれも体験してくれと思いました(苦笑)

あ、こう言われることを受け流すのも修行なのか…。

アメリカに行くまではわたし自身も

アメリカ人は独創性があって、イノベーションが生まれる=だから良い。

日本人は言われたことをやるばかりで、イノベーションに不向き=だから悪い。

と思っていたところもありました。

今はすっかり考えが変わりました。

日本人の約束やルールを守ることができる勤勉性は、世界的に見てすごい能力なんだと。心から誇りに思いますし、それを受け取るときにひしひしと感謝しますし、もっと自信を持って良いところだとも思います。

そして、「品がない」と思うぐらい自己主張しても、アメリカではちょうどいいんだなと感じました。

一方で、日本よりも個人主義的といわれるアメリカの方が、助け合いの文化が浸透しているところもありました。

例えば、駅で大きなスーツケースで移動していたら…

アメリカではエレベーターに先に乗った人が、こちらが到着するまで待ってくれました。

またスーツケースを二つ持って階段を上がっていたら、「大丈夫?」「手伝おうか?」と声をかけてくれたりも。

一方で、日本では、新宿でのことですが、スーツケース移動していたら、スーツ姿のビジネスマン男性に「邪魔」だと舌打ちされたことがあります。ショックでした。

日本は社会制度がしっかりしている分、「自分のことは自分でやる」「他人に迷惑をかけてはいけない」という風土も浸透しているようにも思います。その結果、うかつに関わらないほうがいい、見過ごす、という無言の自衛、希薄さ、寂しさもあるんじゃないかな。

当然、人それぞれなのですべての人を「何人だからこう」とくくることはできないのですが…。

日本の良さを生きる、つなぐ

日本に帰国してから、父を亡くし、母は体調が悪く、不安で心が押しつぶされそうなこともあります。アメリカとはまた違う孤独です。

そこで私は以前よりも丁寧に暮らすようになりました。

当たり前の動作の一つひとつが、自分を整える行為なのだと、ようやく気づいたから。

効率は悪くなったかもしれません。

けれども、日常生活への満足度が高くなりました。

私は今、古き良き日本文化を「知っている」者というより、当たり前のようにそれを「生きて」、「つなぐ」ことができる存在でありたいと思います。

とは言っても、あえてそれを声高に言うとかやるとかではなく、ただ、そう生きたいと思います。

まとめ

誰の人生にも、自分の居場所がわからなくなる瞬間があると思います。
私にとってアメリカでの暮らしは、そんな“見失う経験”の連続でした。でも、禅センターでの生活や帰国してから読んだ『大使とその妻』との出合いが、私にそっと教えてくれたのです。
「文化とは知識ではなく、“自分を保つ術”なのだ」と。

季節の花を飾ること、箸を揃えること、
丁寧にお味噌汁をつくること――
どれもささやかだけれど、自分を大切に生きるという意思表示なのかもしれません。

良い本はストーリーの面白さで心を惹きつけるばかりか
心の奥の記憶を掘り起こし、つらかった経験の理解も深めてくれます。

会社を辞めてアメリカに行ったのは、
良いことばかりではなく、苦労のほうが多かったと思います。

帰国後も、どことなくハマれていない自分に孤独を感じることもあります。

けれどもその辛さや惨めさ、さびしさが、
人生の理解を深め、厚みを与えてくれる。

つらい経験をした方が良いとは思わないし
できれば今後もしたくないけれど(笑)

心を揺さぶるような体験が
目の前の相手の痛みへの共感や、理解、

また本や映画など
作品に触れたときに
作者や登場人物とのつながりを
深めてくれるのだなぁと感じています。

もし今、あなたが孤独の中にいるなら。

このエッセイが、小さな灯りとなって、
あなた自身の“立ち直り方”と出合う
きっかけになれたら嬉しいです。