自分の感覚を大切にしながら、周りともうまくやっていく「自分軸」の鍛え方

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自分軸とは、「他の人がどう思うか」ではなく「私はどうしたいか」という基準を持つこと。「自分軸を持って生きましょう」と言われますが、それでは自分勝手に振る舞うことになって、わがままにはならないのでしょうか?今日は、自分も周りも大切にできる自分軸の鍛え方についてお話したいと思います。

自分の感覚を大切にしながら、周りともうまくやっていく「自分軸」の鍛え方

自分軸って何?

多様性の時代だから、「自分軸を持って生きましょう」など、言われますよね。価値観や意見は人それぞれで、生き方も幸せのカタチも違うのだからと。
では、自分軸とはなんなのかというと、「自分がどうしたいのか」「自分はどう思うのか」という基準のことです。

そこで、自分軸で生きると「他の人がどう思うか」ではなく、「私はどう生きたいか」を自分に問うことになります。

「ありかなしか」「心地よいか不快か」といった”感じ“、自分の感覚に従うんですね。

感覚というのは、自分が感じるものです。正解はあなたの内側にあるので、他の誰かと同じとは限りません。となると、自分軸で生きるというのは、危険な感じもしませんか?

自分軸を持つとわがままに。周りに迷惑をかけてしまうという不安

というのも、社会ではしばしば周りとの調和を求められるから。好き勝手にふるまうのは、わがままだとも叱られましたよね。

幼稚園のお遊戯でも、小学校の組体操でも、私たちは脳が柔らかいうちから、先生の動きに合わせて同じことをやりましょう。周りをよく見て、言われたことに従いましょう。ルールを守りましょうと習いました。テストにも決まった正解があって、それを答えることが高い得点につながりました。

けれども自分の感覚を正解とすると、周りと同調できなくなってしまう可能性があります。

部屋が暑いと感じるか、寒いと感じるかにも個人差があります。私は会社員だった頃、オフィスの冷房が寒すぎて、夜の入稿では、真夏でもニットを着ていました。

また腹時計もそう。ある人に、フィリピンの職場で、お腹が空いていたから仕事に遅れてくるという人がザラにいたという話を聞きました。ランチを食べていたから、出社時間が過ぎてしまったと。驚愕です!

また、先日の取材中に教えていただいた話です。タイでは、会議が時刻通りに始まったら、すごいことなんだとか。私は20代の頃の上司がめちゃくちゃ時間に厳しかったので、勤務中に腹時計優先で動くなんて、想像するだけで恐ろしすぎます……。

自分軸は鋭くなるだろうなぁと思うけど、周りに迷惑なことも増えそうですよね。

自分軸を大切にしつつ、周りとうまくやっていくために必要なこと

だから、自分軸を大切にしつつ、社会や他人との調和を保ってうまくやっていくこと。これは、現代社会を生きる私たちの一生もののドリルのようです。

では、どうやって自分の感覚を大事にしながら、面倒くさくない人でいられるかというと。
自分で決めている感覚が持てるということだと思うんです。

つまり、行動は他人軸に見えても、自分の内側では、「ここは人に合わせておこう」という選択肢を自分で選んでいる感覚(=自分軸)が持てるということです。

人と合わせたり、譲ったり、手伝ったりするときに、思考停止状態や、やらされている感覚でするんじゃなくて、自分がそれをしたいからやっているんだと自覚できている、ということですね。

究極的には、自分がやりたいからやっている。自分の決断を大事にしているという感覚が持てる状態だということです。

参考:自分軸について語る元祖本だと思う。ラルフ・ウォルドー・エマソンの『自己信頼

自分で選んでいるという感覚を持つ

逆に「イヤだな」と思ったら、それを止めるか、別のやり方にするかというオプションを考えてみる。止めた場合のメリットとデメリットも何個か想定して、「で、どうしたい?」と自分に聞く。そして止めるにせよ、続行するにせよ、自分で選んでいるという感覚を持つことです。

だから、表面的な行動を見ただけでは、その人の行動が自分軸なのか、他人軸なのかはわかりません。私は、これをめちゃくちゃ誤解していました。で、かなり回り道をしました。

ヒッピーみたいな自由人や、すべての欲を捨てて山奥にこもる修行僧みたいな人が自分軸を持っている人で、社会生活をいとなむ人たちは他人軸だと、恐ろしく誤解していたわけです。

それは全く違うんですね。

他人軸か自分軸かは、目には見えない。自分の内側の話

自分軸か、他人軸かは、外側に現れている状況というよりも、自分の内側の話です。

外側から見れば、その人が誰かの言いなりになっているようでいても、自分がそれを選んでいると自覚していれば、自分軸になります。

逆に、たとえば高級ブランドを思う存分買って、自由気ままに過ごしていても、世俗から離れた山寺にこもって修行三昧な日々を過ごしていても、自分が心からやりたいことではなく、自覚なく人の目を気にしてやっているなら、他人軸で生きていることになります。

でもそうだと自覚して、「今の自分はこれをやりたいんだ」とやっていたら、自分軸になります。

自分で自分のやっていることを見ているというか、ちょっと視点が高いんですね。

たとえば、すごいブラック企業に勤め、会社に振り回されているように見えても、その人が、「この会社では休みはほぼ無い。だから、2年間がむしゃらに働いてプログラミングのスキルを身につけよう!」と思っていたら、自分軸を持って働いています。

そこで、自分軸で生きているか、他人軸で生きているかという答えは、その人の内側にあります。他人から見てどんな状態かは、あまり関係ないのです。

自分の本心がどう思っているのかを自覚し、それに沿って行動できているかということです。

というように、自分軸を持って生きるというのは、毎度何か決めるときに、自分の心に丁寧に確認してみるという地道なプロセスです。

参考:次元上昇と、未来のなりたい自分と繋がるために必要な「許し」について

毎日の生活でできる、自分軸の鍛え方

それを鍛える方法があります。

私が油断するとやってしまうのが、買い物をするときに、本当に欲しいものではなく、周りにOKを出してもらえそうなものや、安いものを選んでしまうことです。

それで結局あまり気に入らなくて使わなくなってしまったりする(反省)。

逆に、周りから「ダメだよ」とか「無理だよ」と言われたけれど、自分の心を優先してやれたことは、それがどんな結果だったとしても、納得ができるというか。

「あのときやりたかったのにできなかった」と後悔することがなくなるので、周りを恨んだり、必要以上に自分が持っていないものを持っている人のことを羨ましく思ったりすることも減っていくんですよね。

「まぁ、やりたいようにやった結果だからな」と(もちろん腹落ちするまでの時差はあります。すぐに、というよりも徐々に)。

だから、すごく些細なことですが、本当に欲しくないものを買おうとしたり、やりたいことを我慢しているときに気づいてあげるのってすごく大事だと思うんです。

そして、そこには必ず自分の中の恐れや不安があるので、「どうしてそれにしようと思ったんだろう?」と、見てあげます。

で、「そうなんだね」「そうだったんだね」とその心を聞いて、寄り添ってあげる。

スピリチュアル的に言えば、ちょっと周波数(波動)が上がって、少しずつ勇気が出せるようになってきたら、細胞全体が「これがいい!」と思う方を選ぶようにします(最初から0→100を目指そうというよりも、0から徐々にボリュームをあげていくイメージ)。

これは日常生活でできる、自分軸を鍛えるトレーニングになります。

それ以外にも、何か自分を大事にできていないパターンのようなものがあるなら、気づいてみてあげます。一つひとつ軌道修正していくんですね。

自分の心の内で、自分が自分に辛抱強くやってあげます。そうすることで、生活への満足度や自分への信頼感も上がっていきます。

そして、何かを誰かのせいにする必要性が減っていきます。「あぁ、全部、自分で決められるんだ」と、思えるようになっていくからですね。そして目の前のことは、自分が選びとった行動の結果だと納得できるから。

その結果としての現状が良ければ続行すればいいし、不満ならまた選び直せばいい。自分の力を取り戻すことができます。

自分をケアした分だけ、他人にも優しくできる

その状況を周りの人がどう評価したとしても、自分の内側では、自尊心が高くなっていきます。そして、自分をケアしたぶんだけ、周りの人に優しくできる余裕も生まれてきます。

自分軸を持ちながら、他人軸を選ぶという選択肢を持てるようになるんですね。

だから、自分の感覚を取り戻すことは、自分らしくなっていくけれども傍若無人というよりも、周りがよく見えるようになることだと思います。

臨床心理学の研究でも、自尊心が満たされないと他人に対して批判的になるとも言われています。

例えば、自分に対してカリカリしている人に対して、実は傷つかなくてもいいんですね。その人は可哀想な人なんです。「自分が正しいと認められたい」と思って、周りの人を「間違っている」と苛立っているんです。

つまり、その人は、究極的には、他人に認められるよりも、自分にダメなところも良いところもある等身大の自分のことを、まるっと認めて欲しいんですね。24時間365日一緒なのは、自分しかいませんから。

これは私自身がそうだったと、ハッと気付かされたことがあって、そのことは以下のコラムに書いています。至らず、ちょっと恥ずかしいお話でもありますが、もしお時間がよければお読みください。

参考:ありのままの自分で本当に幸せになれるの? マガジンハウスからホームレス編集者へ。アメリカ先住民ナバホ族の集落で死にかけて学べた私の幸福学。

違う意見と自分の本音の両方に心を開き、より良い方を選ぶ

ちょっと話はズレますが、私はもともと左利きなんです。
でも、小学一年生のときに、自分がどうしたいかっていうことを考える余地もなく、右手を使うように矯正されました。

書道のときに隣の子と肘が当たってしまうのが迷惑かなとか、みんなと逆の手で食事したりするのがマナー違反かな、という理由で、右手で字を書く練習をすることになりました。

そうすると面白いことが起きたんですね。私の脳(感覚)が反逆を起こしたんです。

どうしても、名前のあやの「や」がひらがなでうまく書けなくなってしまったんです。「や」が、鏡でグルっと反転させた形になってしまうんですね。最終的には、何度も繰り返し書くことで、手に感覚を覚えさせて、正しい「や」が書けるようになりました。

その結果、右手で文字を書きながら左手で消しゴムが使えるようにもなって便利なんですけれども。でも、今ではもう「や」の逆転形が書けないので、あのときの感覚を失ってしまったんですね。自由な感覚の自分の一部を失ってしまったような感じもして。

そんなことをすっかり忘れてアメリカで暮らしていたときに、当たり前のように左手でご飯を食べたり字を書いたりする人がたくさんいて、驚いたんですね。横書きの文化だから、左で文字を書くと、腕が汚れちゃうはずなのに。

で、迷惑とかダメという基準は、ところ変われば違ったりもして、絶対じゃないんだと思ったんですね。だから、「ここではAが正しい。でもBという可能性もある。Aである場合のメリットとデメリット。Bであるメリットとデメリットは、これだ。じゃあ、私はAかBかどちらを選ぶ?」と、違う意見にも自分の本音にも心を開いて、より良い方を選ぶことだったなぁと思います。

もちろん文字の場合、みんなが好き勝手なものを書いていたら理解しあえないので、コミュニケーションツールとして統一のルールに従うことは必要です。あと、やっぱり右手で文字をかけたり食事ができるようになったりしたことは良かったと思います。

けれども、なんにおいても自動操縦的に正解を外に求めるのではなく、先に自分の心で納得しておきたかったなと思うんです。

そのためには、自分の内側にも問いかける癖をつける。

たとえば私の文字の場合だったら、反転した「や」を、鏡で見せてあげたりして、そう捉えた世界も間違いではないこと。そして、「右手」で捉えた世界と「左手」で捉えた世界があること、その上で、多くが右利きの人だから、便宜的にこの「や」を使いましょうということになっているから、そうしない?と納得できるまで対話しておけば良かったかなと思います。

そうすることで、自分軸を持ちながら、他人軸を選ぶという選択肢が持てるのかなと思います。疑いもせず、決められた正解に従うのではなくて。

だから、仕事を選択するとき、買い物をするとき、誰かに言葉をかけるとき、「べき」とか「ねば」という言葉が出たときは、まず自分の内側に問いかけるようにしています。

「べき」や「ねば」の思考と、自分の本音の両方にオープンになって、より良い方を選択する。そうすることで、少しずつ自分の感覚を大切にしながら、周りともうまくやっていく「自分軸」が磨かれていくのだと思います。