ズルくても弱くても大丈夫。心の影(シャドー)を認めて、嫌な人がいない世界へ。

「ズルい」「弱い」「出来ない」自分。「そんなの自分じゃない」と拒否された性向は、心理学者カール・ユングがいう心の影(シャドー)になります。行き場がなくなった影のエネルギーは、他人に投影されることで外の世界に放たれます。その結果、自分の中に見ようとしない悪を他人の中に見ることとなり、人間関係がうまくいきません。ベストセラー小説『聖なる予言』著者ジェームズ・レッドフィールドが教える無意識下の影の見つけ方、私自身が経験した自分の心の影について、影を認めると嫌な人がいなくなることのカラクリについてお話します。

私たちの最も暗いホンネ、心の影(シャドー)。

苦しいことや嫌なことがあったとき、わたしたちは無意識のうちに、感じたものや理解したものを抑圧したり、歪解したりしています。これは心の防衛規制と呼ばれ、私たちの不安を軽減させたり、ショック状態になってしまわないように心を守る働きのことです。

心の防衛規制ですが、私たちの幸せを邪魔することもあります。特に私たちがエゴを守ろうと拒否した自分の最も暗い一面、「影(シャドー)」について理解しなければ、望む人間関係は構築できません。

影とは、自分にとって望ましくなく、“無いもの”や“表現してはいけないもの”と処理されてきた自分の一面や欲求のことです。潜在意識や、個人を超えた集合的無意識の研究を深めた心理学者のカール・ユングが名づけました。

影が生まれたのは、物心がついてからのことです。それは親や教師、大人たちや社会から「それはいけない」「正しくない」と教えられてきたことで、封印されてきた自分の一面です。

拒否された影は、他人に投影される。

影を溜め込みすぎると、コップから水が溢れ出すように、許容量を超えたときに噴出します。そうならないための対処法として、自分の中の何かを否定するとき、私たちはそれを他人に投影して、暗いエネルギーをいくらか外の世界へ放ちます。そうすることで緊張がとけて、少しホッとできるのです。

ところが人間関係の悩みは、ほとんど無自覚に行うこの投影が原因だと言っても過言ではありません。例えばメールの返事が遅い恋人を「自分勝手」と感じたり、上司のことを「口うるさくて人を認めない」と思ったり…。それは、自由に振る舞いたい自分だったり、本当は自分の能力を認めてほしいという承認欲求を直視するのが怖くて、相手に自分の認められない一面を鏡のように写しているだけなのかもしれません。

自分の中には見ようとしない悪を他人の中に見つけて、敵を作っているのです。

自分では認められない自分の一面や奥底の欲求が、他の人の欠点や罪のように見えてしまう。すると、現実は厳しく、誰かのせいで、何かのせいで、無力な自分は不幸という世界が目の前に広がります。つまり影はあなたの認識をゆがめ、もっと幸せになれる可能性を狭める力なのです。




影を認めれば、人間関係のトラブルが消える。

自分の中にある自分の敵を受け容れない限り、心の映写機を映すような人間関係のトラブルが続きます。「こうしてほしい」「なんでああじゃないんだ」「自分のほうが正しいと思い知らせたい」。そんな気持ちで目の前の相手が赦せず、コントロールしようとすると、面白いぐらい関係性はさらにゴタゴタします。

サンフランシスコに有名な禅センターを設立した鈴木俊隆老師は、人間関係のこんな逆説的な真理を語っています。

「人をコントロールするいちばんよい方法は、存分にふざけてもいいんだよと言ってやることだ。そう言われた人は、広い意味でコントロールされた状態になる。羊や牛をコントロールするには広々とした牧場に放してやればいいが、それと同じことだ」(『書けるひとになる! 魂の文章術』より)。

誰も自分が変わりたいと望まない限り、変わりたくないのです。私だってそう。

自分の服の染みを取ろうと鏡を拭いてもその汚れは決して落ちません。鏡の前の自分が着ている服自体を拭かなければ汚れが取れないのです。影を認めると、人間関係のトラブルが消えるというのは、それと同じ原理です。目の前の人を変えようとするのではなく、自分を変えることが現実を変える最も効率的な得策なのです。その結果、嫌な人が気にならなくなるか、その人があなたのことを粗末に扱わなくなるか、もしくは学びを終えたことでその人が目の前から居なくなることもあります。

無自覚の影に気づく方法。

そこでまず、自分の影に気づきましょう。ほとんどが無自覚という影に気づくコツとして、ベストセラー作家ジェームズ・レッドフィールドは、『新しき流れの中へ―『第十の予言の教え』の中で、わかりやすい例を紹介しています。

1. 誰か他の人の行動にひどく腹が立つとき。自分の満たされない欲求を実行しているその人に投影しているのかもしれません。
2. 人から、あなたのこんなところが嫌だ、ダメだと言われたとき。そこにわずかでも真実を感じますか?
3. 思いがけなく口を滑らせたとき。本当はもっとはっきり主張したいのでは?
4. 「あの人はすごいけど、自分はダメだ」と思うとき。誰がそう言ったのですか?なぜ自分のパワーを閉ざしたのですか?
5. ステレオタイプで決めつけるとき。「金持ちはずる賢い」「ホームレスは働きたくないのだ」など。

(参考)ジャーナリング(書く瞑想)で影に気づく方法もあります:ドス黒い感情やダメな視点にも価値がある! 不安、怒りを「書いて」陽転させる方法。




私が経験した自分の影。怒りは、実は羨ましさだった。

私自身、無自覚の影に気づいて人間関係がガラッと変わったことがあります。それはアメリカの禅センターで暮らしていたときのことです。同じように禅センターで働きながら学んで暮らす女性がいたんです。彼女は、仕事はサボりがち、イビキもひどいアメリカ人女性でした。愛想笑いをして受け流していましたが、密かに「自分勝手な人」と思って、ちょっと苦手だったんです。

禅センターで暮らして2か月ほど経ったとき、私は作務で腰を傷めてしまいました。休みの日に毎週鍼治療に行っても、また重いものを運ぶのでぶり返してしまいます。

あるとき食後の後片付けの当番で、彼女とペアになりました。禅センターでは節水のために、大きなたらいに水を入れて皿を洗い、その残り水は植木にやるという規則がありました。私が腰をかばいながら大きなたらいを運ぼうとすると、彼女がその水をザーッと流しに流してしまいました。そしてほとんど空にして、ほんの少しの残り水を植木にやりました。

私は堂々と規則違反する彼女の態度にびっくりして、怒りを感じました。そんなことをするぐらいなら、腰を傷めてガマンするほうがマシだなと思いました。すると彼女が、「水は他にもあるの。でもあなたの腰はひとつなの。あなたはこの世界で一人なのよ」とまっすぐ私を見て言いました。

ハッとしました。それは私がずっと自分に言って欲しかった言葉なんです。そして、実は彼女に怒っていたのではなく、自分を認められない私に怒っていたんだと気づきました。

あ、あたし、サボりたかったんだ….

投影です。自己受容できている彼女のことが羨ましかったのです。私はもっと自分のことを労りたかったのです。出来ない自分、しんどい自分を認めてあげたかったのです。認められない本音が暗いエネルギーとなって、彼女の振る舞いをわがままに見せ、怒りへとつながっていたのでした。

私が自分の影を見続けていると、前よりもリラックスしたエネルギーをまとうようになったのでしょう。後に彼女が最愛の息子を自死で亡くしたことを打ち明けてくれました。その罪悪感を癒しながら、自分への理解と思いやりを示し続けてきたのだと。禅センターの残りの滞在期間は、彼女ともっと深くつながり、一緒に笑って、泣いて、怒れるようになりました。

投影がかかりまくっていた私の経験談はこちら:ありのままの自分で本当に幸せになれるの? マガジンハウスからホームレス編集者へ。アメリカ先住民ナバホ族の集落で死にかけて学べた私の幸福学。

嫌な自分は自分の一部。でもすべてではない。

私たちにはいろんな側面があります。「ズルイ自分」や「暗い自分」という影を、自分の一部だと認めるのは辛いものです。

でも、たった一つのキャラクターが自分そのものだということは絶対にありえません。家ではほぼ喋らない無口な人が、友だちといるときは人が変わったようにはしゃいだりもします。空腹か満腹かでも人格って変わりますよね。そのどちらかがその人ではないということはありません。そのどちらもがその人であるように、ある時点にその人のある部分が一番強く出ているだけで、それがイコールその人のすべてではありません。

例えば、「ズルイ自分」もいるし、「サービス精神に溢れる自分」もいる。「サボりたい自分」もいるし、「責任感が強い自分」もいる。「愛情深い自分」もいますが、「ドライで自分勝手な自分」もいる。「滅入って気分が上がらない自分」であるときもあるし、「やる気に満ちて前向きな自分」のときもある。「人生に迷っている自分」もいるし、「思い切って踏ん切りをつける自分」だっています。

これはすべてサブパーソナリティーと呼ばれますが、全てがあなたであると同時に、どれか一つだけがあなたの全てではありません。さらに自分では気づいていないような一面や、ハイヤーセルフやトランスパーソナルといわれる高次元の自分だって存在します。全部自分でいいのです。

このようにより高い視点で自分のことを見つめることができれば、ダルメシアン模様のようにいろんな自分が共存しているのがわかります。バラバラであって然るべきなのです。その絶妙のミックス感こそがあなたという唯一無二の個性なんです。

だから何かを無くそうとか、苦しい気持ちになるのなら無理に何かになろうとする必要はありません。そうすると抑圧されたサブパーソナリティーが影となり、投影された他者という形で登場して、あなたをイライラさせたり、認められないホンネが出せずに苦しい思いをしたりすることになります。または自分が自分を扱うのと同じように、相手から雑に扱われたり、ないがしろにされたりすることもあります。

参考:ハイヤーセルフと繋がる方法とは? 問題を解決する、自分を超えた答えのダウンロード法

どんな自分だって大丈夫。自分との信頼関係を築く。

自分が認められない自分の一面に気づいて認めてあげることで、自分の恐れや不完全性を自分以外の人たちに映す必要がなくなります。封印していた自分の本音を気づいて認めると、言葉に出来ないほどホッとしますよ。投影の深い眠りから醒めることができ、人間関係のトラブルも消えていきます。

影が認められず顔面マヒになった体験談:風の時代へ。冬至の心の毒だし、バシャールの現実創造で何が起こる? 突然顔面マヒに、ラムゼイハント症で緊急入院した話。

嫌な人は、あなたがあなたに対してもっと優しくなるために現れてくれた登場人物なのです。心の中で自分にダメ出ししない。厳しすぎる叱咤や自虐をストップする。自分を大事にするに心のすべてを砕くことで、嫌な人を気にする余裕もなくなります。

その結果、嫌な人が気にならなくなるか、その人があなたのことを粗末に扱わなくなるか、もしくは学びを終えたことでその人が目の前から居なくなるということもありえます。自分を守るために、その人間関係から離れるという選択肢だってあるのです。

筋書きの書き手はあなたなので、どういうストーリーにするか、どういう解釈にするのかはあなた次第です。自分でそれを決めて望むように人間関係を描けばいいのです。その一番大切な筋書きは、自分自身との信頼関係です。どんなことがあっても自分を裏切らないこと。どんな嫌な自分も弱い自分もあっていいと自分を赦して、同時にその成長と可能性を信じて、自分自身を敬うことです。

ハーバード大学で研究員として勤めた代替医療の第一任者、アンドルー・ワイル博士。彼が診た難病を治癒させた患者には、7つの共通項がありました。その一つが、自己受容です。

どんな人にもある欠点、限界、至らなさのすべてを含めて、自己を受容するということは、より高次の意思に身をまかせることを意味する。変化は、宇宙との対決状態のときよりも、この屈服状態のときに起こりやすい。ー『癒す心、治る力 』より

参考:病気が贈ってくれた、ホリスティックの真の意味とそのギフトについて

ズルくても弱くても、どんな自分だって大丈夫。心の影を認めて、嫌な人がいない世界を創ってみませんか。

Makiwari Radioとして聴くこともできます。

参考:嫌いな自分を赦せば、愛が叶う。投影を外し、人間関係のモヤモヤを一掃する心理学。