メンターとは? あなたの才能を引き上げ、開花させてくれる人との出会い方。

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メンターとは、人生を導いてくれる人。仕事やプライベートなどで、あなたが持っている才能や資質を最大限に発揮し、幸せで充実した人生を送るために必要な気づきを与えてくれる先生のことです。『人生を変えるメンターと出会う法』を読みながら、最適なメンター選びにおいて「この視点を知っておくといいな!」とヒントを得たポイントをシェアしたいと思います。

あなたの才能を引き上げ、開花させてくれるメンターとの出会い方。

メンターとは?

弟子の準備ができたとき、師が現れるといわれます。

師とは、人生を導いてくれるような先生、メンター(Mentor)のこと。

本田健さんの『人生を変えるメンターと出会う法』を読んでいて、改めてメンターとは自分で決めるものなんだと思いました。

メンターとはそのときどきの自分にとって必要な学びや気づきを与えてくれる人です。




良い出会いのために、メンターに求めるものをハッキリさせる。

そこで、良い出会いのためには、自分が「何を知りたいのか」をハッキリさせておく必要があるんです。

つまり、メンターに求めるものを日頃からハッキリさせておくということ。

具体的には、「このメンターからは、自分のなかに眠っている、どういう才能や資質を開花させるための学びを得たいのか」をクリアにしておくんです。

それは例えば、本田健さんの言葉をお借りすると、

・ものをつくる才能

・人に教える才能

・料理をつくる才能

・歌う才能

・人前で話す才能

・新しいものを考える才能

・何かをまとめる才能

・売る才能

などが挙げられます。

私自身、本当にいろんなメンターから学ばせていただきました。

とくにアメリカで暮らした5年弱は、利他(周りの幸せ)と自利(自分の幸せ)が重なる場所がどこなのかが知りたいと、そのヒントを教えてくれそうな人を強く求めていたようです。

そこで、スピリチュアルリーダーでも研究者でも、気になる人がいれば、どの国のどんな立場の人でも訪ねていきました。

私がメンターに向かうときは、その分野の知識や経験ゼロの状態で飛び込むことが多いです。そこで自分の存在がメンターにとって得になったり役立つことはないと考えて、一番多かったのはお金を払ってその人のワークショップや講演に参加することそこでピンときたら、学びを乞います。

たとえば、アメリカで心理学を学んだときは、まずピンときていた教授の講演を聞きに行って、なんでも無償でお手伝いさせていただきたい、と連絡先を交換しました。メールしても返事がなかったので、「やっぱり生徒にならないとダメなんだな」と受験することに決めて彼の研究室に滑り込みました。

授業料の高さにぶっ飛び、退職金も使い果たしましたが(学費だけで2年間で約800万円!)、「これだけ払ったからには真剣にやらないと」と深くコミットし、いまだかつてないほどの学習吸収力が生まれたのはよかったです。

その後は偶然の出会いも重なり、労働と引き換えに学習させていただいたり、住み込みで学ばせていただいたメンターもいます。とくに住み込みでは、メンターの人との付き合い方を学ぶことができました。幸せなメンターは、自分に一番近い存在である家族を大事にしていると教わりました。

お金がなくても、たとえば禅センターの老師に指導を受けたいとしたら、その人やその人の施設に必要とされる労働と引き換えにそこで住まわせていただきながら学ぶという方法もあります。

参考:ありのままの自分で本当に幸せになれるの? マガジンハウスからホームレス編集者へ。アメリカ先住民ナバホ族の集落で死にかけて学べた私の幸福学。

ティク・ナット・ハン禅師のマインドフルネス韓国合宿に参加したときは、マインドフルネスのことを知りませんでした。ただ過去の彼の動画を観て、「この人に会ってみたい」と直感的に思って、とはいえ私にとって彼に会える方法がそれしかなかったので、いきなりでしたが5日間の合宿に参加しました。その後、彼が書いた本を貪り読みました。

「先に本を読んでから、考え方をよく知ってから参加した方が色々質問も出来たのになぁ」とも思いましたが、だからこそ先入観があまりなくてスッと入り込めた部分も多かったです。なにより彼が講堂で話した途端、涙があふれましたから、理屈の前にそのエネルギーを感じることができたこともよかったと思っています。

その後フランスにあるティク・ナット・ハン師のプラムヴィレッジでのリトリートに参加したときも、仏教の知識はあまりありませんでした。その後、哲学としての仏教にさらに深く興味を持ったことで、心理学を学んだ後に、アメリカの禅センターで暮らすことになりました。

というように、私がメンターに学ぶ方法とは、

メンターにピンとくる→メンターがいうことをとりあえずやってみる→一体どういうことなのかとメカニズムを学ぶ、という順番なんです。

それで今の私は、「どうして(自分にとって)あれは効果があって、これは無かったんだろう。どんなふうにしたら、より変容が起きるんだろう」と本を調べたりして、メカニズムを学び直している状況です。この順番は、その人それぞれにピンとくる形でいいと思います。

メンターも人間。完璧であることを求めない。

そして、『人生を変えるメンターと出会う法』から、メンター選びにおいて私には欠けていたと気づかされたポイントがあったんです。

それは、メンターといえど、完璧な人ではないと心得ることです。全部を期待しないということ。

そしてここで大切なのは、「このメンターから何を学びたいのか」という基本に戻るということです。「スーパー(ウー)マンで居てほしい」と、全部を求めないということですね。

当時の私がメンティー(メンターに指導される側の人)として未熟だったのは、メンターにすべてを求めてしまっていたということ。

メンターだって、人間です。

たとえば利他心で幸福になれるとか、瞑想で心が穏やかになるといったような研究をしている世界的な研究者だった場合、

「(あのとき)そもそも弱い立場の人に思いやりがない」とか

「あまり幸せそうじゃないな(余計なお世話!)」とか

「この人、そもそも瞑想をやっていないじゃない」と思ったとき。

 

あるいはスピリチュアル指導者と言われる人だった場合、

「結構、気性が荒いなぁ」とか

「ワガママなんだなぁ」とか

「あの人に対して、すごく冷酷だな」と見えたとき。

 

「この人に教えを乞うのは違うのかもしれない」と疑ったり、判断してしまったりしていたんですね。

今の今まで、それで正しいと思い込んでいました。

参考:ハイヤーセルフと繋がる方法とは? 問題を解決する、自分を超えた答えのダウンロード法

でもよくよく考えてみれば、その人は自分のなかに眠っている資質を開花させている人です。

たとえばそれは、

・人にわかりやすく教える才能

かもしれないし、

・何かをまとめる才能

・資金を集める才能

・人を説得・納得する才能

または

・ものをつくる才能

・売ったり届けたりする才能

なのかもしれません。

それらの才能を学びたいときに、必ずしも「自分が理解できる(望む)人徳」の才がともなっている必要は、ないのですね。

またそれはそれで別の人から学んで、自分なりに合体させればいいわけですから。

つまり極端な話をいえば、自分が学びたいポイントさえ明確になっていれば、どんな人にもメンターの要素を見出せるということ。自分ではない人は誰にでも、自分よりも優れた部分があるからです。

感情にトラップされて、視野が狭くなっていたと思います。

それで「この人はダメだ」と、その人から発掘できるかもしれない自分の学びを中断してしまうのは、もったいないことだと思います。

参考:「強運の法則」が明かす、全宇宙が味方する成功と豊かさに必要な8つの条件とは?

自分を超えた世界として、理解できない部分があってもいい。

特に超一流の人が生きるのは、本田健さんの本にもありますが

普通とはちょっと違う、やや狂気の世界ともいうべき世界です。

 

今の自分という次元では理解できない部分があっても仕方がないんです。

人間的に尊敬できるかという点と、キラッと光るものがあるという点はまた別物なのです。

さらにいえば、今の自分という次元では見えていないものがメンターには見えていたりします。

そこで、「冷たいなぁ」とか「思いやりがないなぁ」と尊敬できない部分があっても、今の自分の理解(解釈)ではそう見えているだけなのかもしれないのです。

さらには、そこを求める必要がそもそもないこともあるんです。

あるメンターには人徳、このメンターにはプレゼン力、そしてこのメンターにはものを形にする力など、それぞれが得意なところを学んで、自分に取り入れていけばいいんですね。

当然、ここだけは譲れないというポイントはあっていいと思います。どう考えても人間的に尊敬できない、受け入れられない人をメンターにする必要性はないと思いますから。

大切なのは、「自分が選んでこの人に学んでいる」と自律性を持つことです。

自分本位にメンターを選んで、共同創造を目指す。

そこで自戒も込めて、今後自分のメンター選びには、その人にすべてを求めるのはやめようと思いました。

そうではなく自分が発掘したい才能を見極めて、それを伸ばしてくれるかどうかにフォーカスするんです。

もっと自分本位にメンター選びをして、メンターとの共同創造を目指すというイメージです。

参考:自分本位は自分勝手じゃない。ありのまま人間らしくいるための5つの方法。

直接会えないときは、本が素晴らしいメンターに。

メンターとの出会いについて考えるとき、世の中の流れ的にも、今はなかなか直接会って話すのは難しいですよね。

さらに、尊敬する人が歴史上の人物だったり、既に亡くなっていたり、どう考えても会えないような人の場合もあります。

そこで、本をメンターとして利用するのも手です。

その人が何十年かけて学んだり、気づいたことを、1冊の本から知ることができるからです。

個人的には大人になってからの読書はとくに、迷ったときに人生の方角を決めるメンターとの出会いなのではないかと思います。

読書で得たキーワードを別の本を読んで調ベるのもいいですね。身近にやりとりできるメンターにそこで疑問を尋ねてみるのも、それでたとえ自分が望んだ答えが返ってこなかったとしても、自分のなかで「こうだ」という理解が深まるきっかけになると思います。

また読書が素晴らしいのは、同じ本でもそのときどきで自分に響く箇所が変わるところ。良い本は、開くたびに今の自分の状態を知ることができます。

本を読むと改めてメンターからのメッセージとは、発信者(書き手)の心だけでなく、受け手とのコラボレーションで生まれるのだと感じます。

まとめ

私たちが自分にとって必要なことがクリアになったときにメンターが現れます。そしてメンターから真摯に学ぶときに、互いの共同創造がはじまるのだと思います。