試練の後は、メロウな第二の人生が始まる

病気をきっかけに、メロウな第二の人生が始まる。

メロウ(mellow)とは、果物などが熟していること。香りや甘みが豊かな様子をいいます。それを転じ、人柄やものごとが円熟したさまも表します。音だったら、柔らかくて豊かな調子のこと。つまり、甘く芳醇で心地いい。ゆったりうっとり余裕があってカリカリしていない、いい感じです。

「メロウな第二の人生がはじまったね」。

昨年末に顔面マヒになって、最後のとどめを刺されました。体の自由が効かなくなったことで、最初はああしなきゃ、こうしなきゃで焦ったけど、ついにはいやおうなく肩の力が抜けました。だって頑張ったら倒れるんだもの。先の言葉は、そんなどうにも制御できない事態を前に、ついにコントロールの手綱を手放し始めた私に、カリフォルニアで暮らすアキヨさんが贈ってくれたものです。

アキヨさんは、70年代にインドを旅しひとりカリフォルニアに移住したという人です。私の母と同世代の女性で、アメリカ人男性と出会い、出産後はシングルマザーになって息子さんを立派に育て上げたカッコイイひと。アキヨさんという登場人物は、コンサバよりだった私の前期人生プロットにはいなかったタイプです。打って変わって後期人生プロットは少人数ながら、アキヨさんをはじめとして実にバラエティに富んだカラフルな登場人物がそろっています。

さてメロウな第二の人生とは、アキヨさんの実体験から生まれた言葉でもあります。彼女は、花の20代で結核を患い、6か月間のサナトリウム生活を余儀なくされました。結核といえば強力な菌です。入院当初のアキヨさんは呼吸もできず、死んでもおかしくないぐらい弱っていたのだそう。そして退院後にはメロウな第二の人生が始まったのだとか。っていい人生脚本を書いています、アキヨさん。致命的な病気を起承転結で”転”じさせて、ゆったり香る人生に向かうきっかけにするなんて。私もそうしよおっと。

真っ暗な時間に、赤く美しい葉になるポインセチア。

植物の世界の脚本もなかなかなものです。例えば、花びらのような真っ赤な苞(ほう。つぼみを包むように葉が変形した部分)と緑色の葉のあざやかなコントラストが美しく、クリスマスディスプレイにも人気のポインセチア。苞を色づかせるためには、9月下旬から1か月強のあいだ、「短日処理」と言って、夕方から朝まで光を完全に閉ざす必要があります。光に向かって育つ植物の世界を、段ボールで覆い布を被せて真っ暗にするのです。そうでなければ、苞は葉っぱの緑のままで、赤く色づきません()。

冬野菜は、冷たい霜や雪のなかで甘くおいしく育つ。

冬の野菜が甘くておいしいのも、寒さからその身を守るために水分を減らして糖度を増やすため。砂糖水の実験をしたことがありませんか? 水は0度で凍るけれど、砂糖水はもっと冷たくなるまで凍結しませんよね。霜が降りるほど、雪が降るほど寒い畑で、キャベツや白菜たちはじっと糖度を高めながら佇み、身を守っているのです。

これは万物の法則、すべての生命に共通のプロットだと思います。つまり、私たち人間もそうです。

生きていると病気や別れ、失業や災害などの望まない出来事は起こります。でもそれは、人生をより美しく、より甘くておいしくするためのスイッチなんじゃないかな。真っ暗闇にいるようでも、凍てつくような寒さのなかで動けなくても、それは必ずいい方向に向かうためのステップなのではと感じるんです。

人生で起こる試練も全部、美しく甘く豊かになるメロウな筋書きの一部。

病気になって実感するのは、それは必要なものと手放していいものに気づかせ、真に心地よい生き方に向かうためのプロセスだということ。すべては起こるべくして起き、なにも余分はないし、間違っていないのだなと感じるんです。

さらに言うならば、真っ暗で凍えそうで、そんなふうにはまったく思えずに呪ってしまう場合やすべてをシャットアウトしてしまう時間も含めて、何も間違っていないのです。それを否定する必要はないし、それを否定してしまう自分を責める必要もありません。無理していい子ぶりっ子しなくてもいいのです。自分のダークな一面もたくさん見たらいい。ということは、その反対のいい面もいっぱいあるから。コントロールしようとしている間は、柔らかく豊かになれません。でも躍起にコントロールしようともがいているのも、メロウな人生に向かうステップなんです。

そんなふうに思えば、いつも大いなる愛のなかに戻ることができます。