引き寄せ・願望実現の鉄則。願いを受けとるために一番必要なことは?

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引き寄せや願望実現には願いを受けとるための鉄則があります。それは、願いや意図を放ったあとは、良い気分でいること。達成された状態と同じエネルギー(波動)になることで現実化の力が働くためです。一体どういうことでしょうか?私がアメリカで極限状態のピンチに陥って体験できた、願望実現の実例をもとにお話ししたいと思います。

引き寄せ・願望実現の鉄則。願いを受けとるために必要なことは?

引き寄せの法則や願望実現のメソッド。「なるほど!」と頭で理解しても、実際の人生で実現するのは、なかなか難しいですよね。

では、引き寄せの法則や願望実現のメソッドとはなにか。おさらいしましょう。

引き寄せ・願望実現の鉄則とは?

引き寄せや願望実現の鉄則をシンプルにいえば、同じ状態のものが引き合うということ。

有名な願望実現(引き寄せ)の法則の公式では、私の状態=現実(未来)の状態です。

ものというのは、強い思い。

感情に裏打ちされた思考のことで、さらにシンプルにいえば、どんな気持ちや感覚を抱いているかということです。

公式を具体的にいうと、

Aの状態の現実は、Aの状態の人に現れる。
Bの状態の現実は、Bの状態の人に現れる。
そこで、Aの状態の現実は、Bの状態の人には現れない。
ということです。

さらに具体的にいえば、

○○したい(例:合格したい)」という願いに意識を向けていても、
○○していない(例:合格していない)」状態の感情/気持ち(例:不足感、不安、絶望など)を抱いていれば、○○しない(例:合格しない)」ということ。

逆をいえば、

○○している(例:合格している」」状態の自分が体感しているだろう感情/気持ち

(例:達成感、誇り、自信など)を感じていれば、

○○する(例:合格する)」ということです。

参考:引き寄せの法則でいう周波数って? 今ある場所でエネルギーを高める方法とは

私の引き寄せズッコケエピソード。

抽象的でわかりづらいですよね。

そこで、これを「なるほどなぁー」と腑に落とせた、私のズッコケ実体験をお話ししたいと思います。

アメリカで絶賛大ピンチだったときのことです。

事情があって、3週間後に家を出なければいけなくなったんです。

今振り返ってもよくやったなぁと思いますが、アメリカでは、本当に家問題に苦しみました。何度もホームレス寸前になって、「家を持たなければこのストレスから自由になれるのでは?」とついにはアドレスホッパー生活を選ぶことになりました。

だから、いつでも願っていたのは「安心して暮らせる部屋が欲しい」「突然追い出されたりしない暮らしがしたい」「勉強(or仕事など。自分がやるべきこと)に集中したい」ということ。

それさえあればいい、と思っていました。

アメリカに行くまでは、正直当たり前だと思っていたことでした。ありがたいことに、それまではお金さえ払えば自分が暮らす場所があることは当然と思っていたんです。願望を出すことさえしていませんでした。

でもそうじゃなかったんですね。

だから今はそれが叶っていて、本当にありがたいです。

参考:ありのままの自分で本当に幸せになれるの? マガジンハウスからホームレス編集者へ。アメリカ先住民ナバホ族の集落で死にかけて学べた私の幸福学。

とくに雨の日に家にいると、それだけで胸の奥からじわじわじわっと幸せが込み上げるときがあります。「あぁ、ありがたいなぁ…」と。

これはアメリカでの経験をしないとわからなかった、ありがたさ。

振り返れば、自分にとって必要なことと必要じゃないことを腹落ちするまで、引き寄せにおけるコントラストを経験していたのですね。

アメリカ生活の5年間とその後の帰国してからの経験で、「私には、心を休めて英気を養うスペースが必要」ということが、骨身に沁みてよくわかったのです。

「もう無理だ…」と病気になったり、車にひかれたり、死にかけたり。強制終了がかかるまで、「もっと頑張れるはずだ」と、どんどん自分を追い込む方向へ進んでいたように思います。

ところでコントラストというのは、正反対のものという意味。つまり、望まない現実のことです。私の場合、突然家を追い出されるということです。

当時は2年間の学校のカリキュラムも終わり、定職もなくてどこにも所属していない外国人でした。つまり、アメリカにおけるステイタスがない状態でした。

冷静に考えれば、家主さんだったら、賃貸人に一番選びたくないような人物ですね…。

留学や転勤などで海外で暮らす方々とはかなり違うアメリカ体験だったと思います。実際アメリカで出会った友だちや恩人たちにも、「そんなひどい体験したことがない!」と目を丸くされることもしばしば。

外側の事情はともあれ、結局は自分の心が思うことが現実化していました。鏡の法則ですね。振り返れば、オプションがあるとすると、だいたい私はハードなほうを選んでいたなぁと思います。

無意識だけど、そういうのが好きなところがあるんでしょうね。

つまり、私の魂がコントラストを体験したかった。これに尽きると思います。

「私には、自分でいられる安全な居場所が必要なんだ」。それを心から認めて、自分に許すためのジャーニーだったのだと思います。

弱さを認めることは、強さを磨くことよりも勇気がいることだ。それが本当によくわかりました。

そこでアメリカにいた5年間は、いつでも家問題がつきまといました。

アドレスホッパー時代も禅センターや知り合いの家にお邪魔する以外は、エアービーアンドビー暮らしでしたが、突然キャンセルが出たり。

スーツケースと大きなバッグを背負って、途方にくれる日も少なくありませんでした。

賃貸契約をする場合、会社なり学校なり自分が所属する機関がない場合、クレジットヒストリーというクレジットカードの支払いを滞りなくおこなっていますよ、という証明書を出してアピールすることもできます。

しかし銀行で問い合わせたところ、アメリカでクレジットカードをつくることができない外国人の私には発行できないそうで…。

ぐわぁあああーん。三重苦。

友人や、知り合いづてに空き部屋がないか聞いたり、CraigslistなどSNSで問い合わせたり。

秒で売り切れるコンサートチケットの予約みたいに物件の問い合わせをしまくるけれど、返信もきません….。

Googleで感じがいい物件問い合わせの例文を検索&熟読して、英作文する毎日だったなぁ….。

当時のベイエリアは、本当に売り手市場だったんです。

100件問い合わせて、10件ぐらい面接に呼んでもらえる状態。

面接のあとに、「キミみたいな人と暮らしたら楽しそうだね!」「会えて本当によかったよ!」といわれて安心しても、アメリカ式のリップサービスです。

何度か面接に呼ばれても、最終的には、所属している機関がないとか、クレジットヒストリーがないとか、アメリカ人じゃないとか…。

「感じよくさよなら」がつづきました。

そして、気づけば家を出ないといけない5日前。

それでもう、いよいよホームレスかなぁと切羽詰まっていたんですね。

そんなとき、恩人のひとりのあきよさんが「あやちゃん、気分転換に旅にいこう」と誘ってくれました。

「いや、あきよさん、今の私、旅にいけるような状況じゃないんです」といったん答えました。でもよくよく考えると、ここにいたところでもう面接は入らない。やるべきことはやり尽くしちゃって、なにもできないんだなぁと。

そこで、「いっちゃえー」とあきよさんが運転してくれる車に乗り、カリフォルニアの北の街、ユカイヤまで旅に出ました。

このロードトリップは、オールあきよさんプレゼンツ。便乗するばかりの、お世話になりっぱなしの旅でした。

ユカイヤで迎えてくれたのは、あきよさんのお友だち夫婦。

ものすごくスピリチュアルなおふたりです。長いあいだ、アメリカの深い山のなかで暮らしていたとか。お子さんが学校にいくタイミングで山を降り、今は街で指折りのお寿司屋さんのオーナーです。

おふたりは若い頃、ほとんど身一つで渡米。しばらくあきよさんのご自宅に住まわせてもらっていたのだそうです。

それをずっと恩義に感じて、いつでもあきよさんを恩人であり、大切な家族のようにもてなし、歓待してくださるのだとか。

そのおこぼれを私は頂いたのです。

子どもたちは巣立ち、お二人が暮らすのは、夕日と朝日を臨める素敵な家でした。

庭では出来立てのフレッシュな野菜をいただきます。また、信じられないぐらいおいしい手作りのピザも。洋梨やベリーもピザにすると美味だと、生まれて初めて知りました。

美しいドアも手作りで、感動していたら、こういわれます。

「面倒くさいことのなかに、面白いことがあるんだ」と。

夜は、クリーンで快適なベッドルームを占有させていただき、本棚には読んでみたかったスピリチュアル本がたくさん。とても豊かな気持ちになりました。

ご夫婦の話は目からウロコの連続でした。

たとえば「三日後に引っ越しなのに、家がない」と話すと、当たり前のように「見つかるよー」と笑顔。「大丈夫なの?」とか、常識的に返ってくるような不安や恐れの言葉が一切ないのです。

すごく素敵なお家に住んでいるお二人に言われると嬉しい半面、「この切羽詰まった感が共有できていないのでは?」と思ったりもしました。

すると、「この家ね。ずっと朝日が見える家に住みたいなと思っていたの。でも全然見つからなくて。

だから、毎月一度、二人で朝日を見に行ったの。それをしばらく繰り返して先に体験したのね。すると、ある日この家がたまたまネットに出ていたの。朝日だけじゃなくて夕日も見えるの。畑もできるの。それで破格なの。

この家の話とはまた別で。うちの娘も部屋が見つからなくて、さすがにこっちも『大丈夫なの?』 って思う感じのときがあったのよ。でも彼女、「うん、大丈夫」ってすごく落ち着いていて。そしたら3日前に決まったの。だからあやちゃんも大丈夫」。

お二人から言われると説得力がすごくある。

そんなお二人のお店にもこんな逸話が。専門業者を雇わずに、内装を手づくりしたんだそうです。するとペンキを塗るだけで何ヶ月もかかり、そのあいだは、売上もなく家賃を払いつづける状態。周りの人たちも「あの店、ダメだな」と呆れていたそうです。

そのあいだ、何をしていたかというと、「祈りながら壁を塗っていた」んだそう。だから時間がかかったんですね。

目の前に現れる現象にとらわれず、やるべきことを黙々と行いながら、自分の内側のエネルギーを整えることに集中していたのです。

そしてその結果は…。大人気のお店になりました。

引き寄せや願望実現のメソッドを生きている人たちだったんです。

そんなお話を伺いながらおいしいピザをいただいたり、ご近所にある仏教センターのお庭の孔雀をみたり。安心してとても豊かな気持ちで過ごしていました。

100%をしめていた家問題が、どんどん頭の中から薄れていきました。

そして、街の素敵なお店をみんなで散策しているときにびっくり。

バークレーの友だちから「うちのアパート、1部屋空いたんだけど、見にくる?」と連絡がきたんです。

その友だちには、「部屋探しをしている」と相談していたのですが、「あいにくうちには空き部屋がない」と言われていたんですね。

その後は、あれよあれよという間の、急展開。

翌日バークレーに戻って面接。そして、家を出るちょうど3日前に契約が決まったんです!

その部屋は、のちにアドレスホッパーになって、スピリチュアルセンターや禅センターへと渡り歩くまでの1年間暮らしました。

そのあいだは、UCSFの統合医療機関 Osher Center for Integrative Medicineの研究のお手伝いなどをしていました。ここでの経験が私の興味をより、心と体のつながりへと向かわせることになりました。

ということで、お話をもとに戻しますと…。

アメリカの家なしピンチ状態から部屋が見つかったという、ずっこけ体験。そこで、以下の願望実現や引き寄せの法則が本当なんだと腑に落ちたんです。

1.やるだけやる

(そもそもバークレーの友だちに相談していなかったら部屋の打診もなかった)

2.あとは手放していい気分でいる

3.結果、受け取れる

とはいえ、もちろん今もうまくいかないこともあります。

でも大抵は(というかすべて)、1か2ができていない。

もしくは骨の髄までコントラストを体験することで(私の場合、「もう嫌だ!」と建前を捨て、心の底から思える(そう思うことを自分に許すことができる)レベル)、本当の望みを明らめたいと深い部分で願っているために起きているんだと実感します。

このパターンは、「それはもういい」と心底思えば変えることができます。でも魂は良いも悪いもなく体験をしたいと肉体を持っているので、「(学ぼうと思っていた体験を)全部やった」と思うころは、肉体を脱ぎ捨てるタイミングなのだと思います。

コントラストが真の願望を明らかにするというのは、重度の顔面麻痺になったときにも痛感しました。

今でも食事をすると左目から涙が出たり(ワニの涙と言われます)、顔がけいれんしたりと軽い後遺症があります。でも痩せ我慢じゃなくて、なってよかったなとも思うんです。

というのも愛想笑いを減らすことができて、ずっとラクに生きられるようになったし、限られた命の時間を誰とどう過ごしたいのか、より明確になったからです。

自分のホンネを許せるようになったんですね。

参考:風の時代へ。冬至の心の毒だし、バシャールの現実創造で何が起こる? 突然顔面マヒに、ラムゼイハント症で緊急入院した話。

そして、顔の繊細な動きから、「単なる無理」と「健やかな頑張り」の違いも、わかるようになりました。私の場合、頭だけだとわかっていても無視してしまうところがあるので、体が声を大きくしてくれたんだと思います。

だから、これを読んでくださっているあなたへ。

なにかホッとできること、安心できること。

今感じている不安や悩みをいっとき忘れられるような、胸がオープンになるようなことをどうぞ自分に贈ってあげてください。

別に大きなことじゃなくてもいいんです。

たとえば、私は雨の日に、部屋で温かいミルクティを飲むと、とても守られたような幸せな気持ちになります。雨をしのげる屋根がある場所にいられることが、とても恵まれているなと安心するんです。

そこであなたにとって心安らぐこと、体(五感)が喜ぶことを贈ってあげてください。

私たちが本当に望んでいるのは、欲しいと思うなにかの先にある安心感だったり、ありがたいなという気持ちや満たされた思いです。

欲しいと思うなにかは、一例に過ぎません。

実はそれがなくても体験できるんです。だから、今からその感覚を感じたらいいんです。

私たちが考える以上に、この世界はシンプルにできているのだと思います。