韓国ドラマ『トッケビ』から見た、幸せになる記憶の使い方とは?

昨日の大雨と変わって、東京・靖国神社でソメイヨシノが開花されました。観測史上もっとも早いとか。これで9年連続、例年より早い桜です。そこで思い出したのが、韓国ドラマ『トッケビ〜君がくれた愛しい日々』のこと。コン・ユさん演じるトッケビが幸せ気分になると、季節外れの桜の花を咲かせるのです。『トッケビ』では、登場人物の幸せのカギを握るのがその人と記憶との関係性です。そこで、『トッケビ』のストーリーをもとに心理学やスピリチュアリティの考察から幸せになる記憶の使い方を紐解きます。

韓国ドラマ『トッケビ』とは?

トッケビ(Dokkaebi)は、日本でいう鬼や精霊のようなもの。韓国には「トッケビのパンツ」という童謡もあります。トッケビのパンツは、2000年も履いているので丈夫で汚いという内容の歌です。作中でこの歌を死神(イ・ドンウク演)が洗濯しながら歌うシーンもあります。

物語では、コン・ユさん演じるトッケビは不滅の命を持ちます。年齢は「トッケビのパンツ」の2000歳ほどではありませんが、939歳(数え年)という超長生き設定です。

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条件的に最高の状態でも、幸せでないのは記憶が重荷になっているせい。

トッケビは、939年生きても、見た目年齢は39歳のまま。老けない、死なない、奇跡も起こせる、美男子でお金持ちとあれば、ウハウハなはずと思いきや、トッケビの眼差しの奥にはいつも深い悲しみと苦しみが。

その理由は、どんなに愛しても出会った人は必ずその死を見送ることになり、苦しい記憶も鮮明なまま。終わることなく、悲しみや怒りと生き続けなければならないからです。

認知症の女性と暮らして知った、「今ここ」に生きる自由。

私はバークレーで8か月間、認知症の女性と暮らしていたことがあります。少しずつ記憶が薄れていくときは不安だったという彼女も、私と出会った頃は記憶を持たない世界の中で肩の荷を下ろしたようでした。

認知症の人と生活するのは初めてだったので、正直いって初めはどうなるか不安でした。前日の夜に心を通わせても、朝がくるとまた自己紹介から始める日々というのは、最初の数か月は胸が押しつぶされそうでした。辛いことを言われた翌日に何事もなかったように微笑まれるのも、一人でぶつけようのない思いを抱え続けるようでした。自分だけが水に流せないようで、「私は心が狭い」と嫌な気分になりました。

でもそんな毎日を続けたあるとき、彼女との時間は、今この瞬間がすべてだということが腑に落ちたんです。私も一緒に過去のしがらみや未来の期待を手放したことで、すごくラクになりました。

また、言語化できる記憶はなくても、ふわりと漂う感情は残っていることもわかりました。彼女との生活で、思考は脳の言語で感情は身体の言語だと、ジョー・ディスペンザ博士が『あなたという習慣を断つ』で語る、その二つの違いが腑に落ちました。脳の言語が失われても身体の言語は残る。もっと深い部分にある。

記憶とは過去の経験の内容、情報です。思考と感情を一緒くたにしたものが記憶だと考えていましたが、個別に存在する領域があるんだなと感じたのです。そして人生を変えるには考え方だけではなく、エネルギーを変えること(思考と感情の両方を根本から変えること)が必要なんだということも。

私たちが今見ている世界は、過去の記憶によって形作られています。つまり、記憶に現在をがんじがらめにされる可能性もあります。

目の前の人は何をいって何をやってどんな人なのか。そして自分のことも何をいって何をやってどんな人だと見ているのか。そんなことから自由である、彼女といるときの自分が、寛いで癒されていることに気づいたんです。

いっぽう、『トッケビ』に登場する正統派イケメンのイ・ドンウクさん演じる死神(下写真)は、生前の記憶をまったく持たないことで苦しみます。

イドンウクさん演じる死神は、帽子を被ることで、人から見えなくなる。黒い帽子はまるで自分の輝きを覆う過去の記憶のよう。

自分の名前も過去の記憶もすべて抹消されているので、好きな人が出来ても、名乗ることができないので連絡もできません。ただ一つわかっているのは、自分が死神になった理由。それは、生きていたときに大罪を犯したためだということです。苦しい記憶はなくても、自分は何か悪いことをした人間であることは知っている。過去の記憶を持たないことで、未来につながる深い人間関係を築けずに苦しむという設定です。




幸せのカギは、記憶を肥やしに。人間関係は、自分で決めた最高の人物になるためのもの。

『トッケビ』には前世の悲しみもすべて記憶を持ちながら、自分らしく生きた人物も登場します。サニー(下写真)です。前世も現世も愛を貫くかっこいい女性として描かれています。

その愛の形は、ニール・ドナルド・ウォルシュが語る、他者と関係を持つ目的に通じます。つまり他者と関わる目的は、本当の自分が何者なのかを決定し、宣言し、創造し、経験し、最高の姿を表現するためという考え方。人間関係の目的は、本当の自分がどういう人間かを決めて、なりたい自分になること。愛とは、他者に自分自身を認めること。サニーはその態度を一貫して行動に移し、神の法則と調和し、自分の人生を手にしました。

世界は自分を超えた何かの力でまわっていて、自分は非力だ。そう思うと、私たちはパワーを失います。サニーはそうではなく自分を超えた枠組みの中にあるけれど、その制限の中で悲しみも喜びも自己責任にすると、意識を変えてすべて受け止めることにしたのです。被害者意識から抜けたのです。

参考:愛とは? なぜ愛されないのか。愛せないヒミツはなにか。

参考:カルマとは何か?人生における3つの現れ方、カルマを帳消しにする方法とは

トッケビの花嫁である主人公の女性ウンタクがとった最後の決断にも、そのような強さが感じられます。大きな法則の中でも、在り方を選ぶという自由の余地がある。それはすべてを受容すると決断することで得られるパワーです。

風の時代のキーワード、赦しと受容。Being(存在)としてのパワー。

このドラマは、そんな風の時代のキーワード、女性性が持つしなやかな強さが感じられます。これは男性、女性という性別の違いをいうのではありません。

男性性のエネルギーは、指導する、決定する、作り出す能力です。対して女性性のエネルギーとは、受け容れる、聞く、共感する、協力する能力のこと。トッケビもまた、愛の意識を拡大させ、最後には愛を受け取ります。その鍵になるのは、現状の赦しと受容でした。

そのために記憶とのどんな関係を自由選択として持つのかというのが『トッケビ』の一つのテーマです。

ここにはやはり、多くのグルと呼ばれる人たちが強調する、Doing(行動)やHaving(結果)よりもBeing(存在)としてのパワーの大切さが見られます。

なにをやっているか、なにを持っているか以上に、どんなエネルギーをまとっているか。つまり、いかに在るか。万物は何らかの物質というより何もない空間(エネルギー)で、私たちの本質が求めるのは体験です。それは自分の本質を感じさせる魂の方向性(真の起源)です。

体験とは言っても、それは何かをするという行動に限りません。目の前の現実に抵抗して、なんとしてでも望むようになるようにコントロールしようとはしない。あえて何にもしない、という行動をとる場合もあります。

そして目の前の現実がどうであれ、心地よさを選ぶ、ありがたさを感じる、なりたい自分で在ること。行動よりも意識の方向性を変えること。それは既に統合された状態(真の起源)、Being(存在)としてのパワーです。記憶や記録をそのための足かせではなく、肥やしとして利用するのです。

愛について過去に抱いた不安感やネガティブな経験に対して反応し続けると、目の前の愛を記憶による過去の条件つけで消してしまいます。ディーパック・チョプラが『スピリチュアルソリューションで語るように、幸福とは、あなたが毎日を幸せに在ることで創られます。

桜を眺める今このとき、一瞬の幸せをしみじみと味わいたいと思います。良いお花見を!

この記事を体感するために

『トッケビ〜君がくれた愛しい日々』は、号泣必死のラブストーリーです。映像も美しく、輪廻転生、魂や死後の世界の仕組みに興味がある人もぜひ。U-NEXTの31日間無料お試しでは、『トッケビ』本編はもちろん、死神&サニーが案内する特別編も♡