同じ負のパターンや辛い人間関係が繰り返されても、あなたも私も大丈夫な理由。

kayachan

あなたは絶対、だいじょうぶ。似たような辛くあたってくる人や同じ苦しい出来事が繰り返されても、あなたの深い部分、一番近いところは変化しているので、問題ないです。同じ負のパターンが繰り返されても大丈夫だという理由を、私の最近の実体験からお話ししたいと思います。

「病は気から」といわれますが、私はそれを精神力でカバーできると解釈して、「できるだけ前向きでいなければ」「弱音をはいてはいけない」と思い込んでいたようです。

頑張ればなんとかなるというふうに。

ところが昨年末に重度の顔面麻痺になって緊急入院。

その経験から、「頑張ればなんとかなる」という精神論は、真実のある一面ではあるかもしれないけれども、その本質ではないと気付かされたんです。

参考:風の時代へ。冬至の心の毒だし、バシャールの現実創造で何が起こる? 突然顔面マヒに、ラムゼイハント症で緊急入院した話。

顔が動かずなにを食べてもこぼしてしまう。

めまいでいつも船酔いしているようで、文字通り「笑えない」状態になりました。

頭で「笑おう」とか「前向きになろう」としても顔の筋肉は硬いままでガンとして動かず。

でも、じゅうぶん寝て体を休めたり、温かいお風呂で体を芯まで温めたり、良い映画やドラマを観て泣いたり笑ったりすると、ふと顔がほぐれているんですね。

これまでの私が考えていた、「甘えている」とか「サボっている」とか「非生産的だ」とか「誰の役にも立っていない」という状態です。

とはいえ、体はそれを求めている。

そこで、疲れたときは休み、眠りたいときに寝る。

自分に語りかける、頭の中の意地悪な声に気づいたら、本音を認めて望み直す。

これを丁寧にやり続けました。

すると、麻痺が残るだろうといわれていた顔は、7か月経った今ではもうほとんどそれとわからないほど動くようになりました。

今でも行動をとるとき、「したい」「嬉しい」ではなく、「せねば」「べき」で選択しようとすると、顔の筋肉は痙攣し、硬く引っ張られるような感覚になるんですね。

まるで、心のコンパスのように、”我慢や忍耐こそ命”という精神論に隠された本音を教えてくれるようになりました。



動画で観ることもできます

「病は気から」の「気」とは、生命エネルギーのことです。

私たちは、肉体という物質だけではなく、目に見えないさまざまな体を持っています。

自覚していなくても、多次元に生きているんですね。

参考:多次元に生きる。目に見えない私たちの体、エーテル体、アストラル体、コーザル体とは

思考は私という命の一部に過ぎない。

肉体は私という命の一部に過ぎない。

元気の「気」とは、思考、感情、肉体、魂というエネルギー全体をいうのだと、病気が教えてくれました。

思考は、建前を本音らしく見せることが得意です。

一方、感情や肉体は、より素直に本音を表してくれるのだと思います。

参考:エックハルト・トールのペインボディとは? 心の傷やトラウマを解放させる方法

体調の悪さというコンパスから本音を見つめ、今自分が一緒に居たい人は誰なんだろう?

快適な過ごし方だけでなく、自分が求める人間関係についても、問い続けました。

大事にされることが当たり前のようになって、ないがしろにしてきた人たちは誰だろうと。

まず両親のことが浮かびました。

いつも後回しにしていた両親と一緒に過ごしたいと心から思いました。

離婚して会社を辞めて根なし草のようになっていた私を両親はずっと心配していました。

参考:ありのままの自分で本当に幸せになれるの? マガジンハウスからホームレス編集者へ。アメリカ先住民ナバホ族の集落で死にかけて学べた私の幸福学

けれども、今月帰省して、二人が「アヤみたいな生き方ができることが羨ましい」と言ってくれたんです。

とても嬉しかったです。

また、病気から数か月経ったある日のことです。

ふと、大学生のときのバイト先の店長の顔が浮かびました。

学生時代、私は大阪の心斎橋と神戸にお店があった洋服屋さんでアルバイトしていました。

そして三年生になって出版社を中心に就職活動しました。

出版社は東京にあるので、筆記試験や面接を受けるために、毎回関西からの交通費として往復3万円かかりました。

彼女がたくさんシフトに入れてくれたから、その交通費を稼ぐことができ、就職活動ができたといっても過言ではありません。

しかも面接が進んで急にバイトに入れなくなったりしても、「頑張っておいで」と笑顔で快諾し、応援してくれました。

無事にマガジンハウスに内定したとき、「素敵な大人の女性になってね」とロロ・ピアーナのストールを贈ってくれました。

ボーナスが出て、初めて一人暮らししたときには、立派な胡蝶蘭を贈ってくださいました。

ものすごく彼女にお世話になったんです。

けれども、東京に転勤になって、さらには離婚し、会社を辞めて渡米して、雲隠れ。

参考:マガジンハウス社員からホームレス編集者へ。 アメリカの禅センターで体験したお金を交わさない豊かな暮らし。 交通事故、顔面マヒで入院し気づいた私のお金のブロックを解除する

疎遠になったきりにしていました。

当時のわたしは自分の心を癒すことに必死。

周りの人たちに感謝したり、思いやる余裕がありませんでした。

病気になったことで、そんな自分の人生を棚卸ししながら、本当に恩知らずだなぁと今さら合わせる顔もなく。

強く反省していたんです。



すると、そう強く思った10日後、15年ぶりぐらいに彼女から連絡をいただいたんです。

本当に驚きました。

ずっとお互いに連絡を取らなかったから。

私たちはどんな人でも全員、本来、エネルギーレベルで交流することができるんですね。

参考:自分の周波数を知る方法。周波数を高めて幸せになるために重要なポイント

本当に嬉しかった。

来月に彼女と会えるのですが、とても楽しみです。

一方で、関わりあいの浅い関係性において、同じパターンで傷つくことがありました。

ネット上のアンチの登場です。

こことは違うところで書いたものを「気持ち悪い」と批判され、わたしの顔写真が添付されていました。

以前雑誌のオンラインマガジンでコラムを書かせてもらっていたとき、よく読んでいただけるようになるにつれ、アンチコメントがつくようになって、書けなくなってしまったことがありました。

それは意味がないことだったなぁ。

負のエネルギーの交流をしても仕方ないことだったなぁ。

とようやく分かったので、参考になる意見とただの悪口を見極めながら、「一つ勉強になった」と前向きにとらえるようにしてきたのですが、今回は怒りを感じました。

その怒りの矛先は、自分でした。

「私はなにも変わっていない。また、同じパターンを繰り返している」と腹が立ったのです。

そして、そう。

やはり、相手に対しても強く腹が立ちました。

その後には、「いったい私の内側のなにがこれを投影し続けるんだろう?」と自分を疑いはじめもしました。

結局、負のコメントに引っ張られてしまうので、これまでの実践方法が間違っているのではないかと。

参考:自然なあなたが一番美しい。ドス黒い感情やダメな視点にも価値がある! 不安、怒りを「書いて」陽転させる方法。

すると、ピンときたんです。

まず、私が変われているのだということに。

前には、無理に前向きに、いい子になろうとしていたけど、相手に腹を立てている自分を認めることができた。

これは大きな変化です。

そして、気づいたんです。

両親の温かい変化。

とてもお世話になった大学生時代のバイト先の店長からの連絡。

マイナスだけでなく、プラスの変化も起きている。

そのように理解すると、このコメントを書いた人は、少なからず私の書いたものを読んでくれたということに気づきました。

限られた命の時間をつかって。

それを「ありがたいなぁ」と思いました。

完全には無理でも、できるだけ人を不快にしないように書こうと、さらに身を引き締めもしました。

いろんな見方や感じ方の人がいますから。

とはいえ、気にしすぎて、結局、何が言いたいのかわからないような、通りいっぺんのことを書くのも、マキワリ日記を、読んでくださる方に失礼です。

読んだり、コメントを書いたり(それがたとえ人を傷つけるようなアンチコメントであっても)、というのは、限られた命の時間を使うことになります。

死にかけたときに思ったんです。

お金とか社会的評価とか関係性とか、大事だって思っていることがたくさんあるけど、命がなくなりそうな寸前のときって、それらのことが全然頭になくなるんです。

だから、コメントを書いた人は、永遠ではないとても貴重な時間をその行為に費やされたのです。

そういうことなんだなぁーと、深く実感しました。

そして、わたしは自分の心と体を魂ナビにして、自分の命の時間を幸せのために使おうと教わりました。

誰かを蹴落とすことよりも、自分の幸せのために、限られた時間を使おうと。

相手を変えようとせず、距離を置く人、つながる人を、自分で選択しようと。

変容というのは、最も近いところから始まります。

まず自分。

そして家族だったり、よく一緒に過ごしていたり、そうではなくとも魂のつながりが深いもっとも近しい人たち。

これを読んでくださっているということは、あなたもまた私の魂に深い縁があって、マキワリ日記を見つけ出してくださったのでしょう。

ありがとうございます。

参考:感情の22段階と現実の7次元について。忘却のゲームから抜けて、統合に向かうためには

人によっては魂のつながりの深い人が家族ではない場合もあります。

でも大抵の場合は、生まれる前の魂が親を選んでいるようなので、家族が亡くなっていたりする場合でも、その人と交わしたエネルギーが甦ります。

そして、その癒しは水に投げられた石が放つ波紋のように広がって、自分、一番身近な人、親しい人、知り合い、あまり知らない人、相入れない人と、次第に近いところから遠いところへ変容が波及していくのではないでしょうか。

だから目の前の現実がなにも変わらないように見えたり、あなたに対して誰かが辛くあたったりしても、それは波紋が届く途中なんです。

心配する必要はありません。

あなたは変わっています。

いつも良い方向に。

ほとんどの人にとって、覚醒や悟りというのは、それが起きたら一度ですべてが変わってしまうような出来事ではなく、体験のなかで味わうプロセスなんだと思います。

「なにも変わらない、ダメだ」と思うよりも、「悲しいな」という自分の感情を大切にして、エネルギーが整うことをする。

つまりホッとしたり、心から笑顔になったり、肩の力を抜いてみたり、心惹かれることをしてみたり、なにもやる気が出なくて立ち止まる自分を許したり。

本当の自分は誰かを決めて、本当の自分であること。

そこに集中していたらいいんだと思います。

Makiwari Radio