2022年、ホンネに耳をすませて最高の答えとつながりたいあなたへ。

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「どう生きたらいい?」「ホンネでやりたいことは?」。変化が激しく、情報があふれる時代に生きる私たちは最高の答えを求めています。しかしたくさんの情報が気軽に手に入る一方で、自分の価値基準がないと氾濫する情報と価値観の大海で溺れてしまうというのも事実。そこで大切なのが、あなたという感じ方です。今年もオンラインマガジンgreenz.jpさんの「作文の教室」で“傾聴ジャーナリング”の講座を持たせていただけることになりました。クラスの目的と内容、前回どんな方が参加され、なぜそれがホンネとつながって最高の答えとつながることにつながるのか。お話したいと思います。

2022年、ホンネに耳をすませて最高の答えとつながりたいあなたへ。

グリーンズの「作文の教室」とは?

オンラインマガジン greez.jp (通称:グリーンズ)の「作文の教室」。16年つづく人気講座です。そちらで前回に続いて、今年もマインドフルネスとジャーナリングを組み合わせた“傾聴ジャーナリング”のクラスを持たせていただくことになりました。

前回のお知らせ:グリーンズ「作文の教室」あなたの深い答えを知る。心の声を体で感じて書く、”傾聴ジャーナリング講座”。

今回のグリーンズさんのお知らせ:「あなたにしか書けない」が見つかる、greenz.jpの中心メンバーが勢揃いの人気講座 「作文の教室」第11期〜2022年最新版!

「作文の教室」だからといって、編集者やライターを目指す方だけが参加されるものではありません。

文章を書いて社会とつながるとは何なのか?を考える時間と、

たしかなスキルの習得を同時に実感できる機会を提供する。

このふたつを大事にされているグリーンズの「作文の教室」。

オンライン講座ということもあって、前回は、時差にもかかわらず海外からチェックインしてくださった方、朗らかなお坊さまなどさまざまなバックグラウンドの方も参加してくださいました。(アーカイブ動画での受講もできます)。

受講生のみなさんは、Slackというビジネスチャットアプリを介して、授業時間以外も活発にやりとり。前回そのやりとりを拝見させていただきましたが、深い洞察とお互いへの思いやりがあふれるものでした。「グリーンズの読者さんたちって、すごいなぁ」と実感したんです。

”いかしあうつながり”を理念にメディア活動する「グリーンズ」。そこに共感して集まる、さまざまなバックグラウンドの仲間ができることも大きな魅力です。

受講後にはグリーンズでライターとして起用されたり、グリーンズのスタッフとして働くようになった方も多くいらっしゃるとか。

こちらは卒業された方のコメントです。

ただ技術を学ぶのではなく、自分との対話や社会とつながるという内容に惹かれ、思い切ってチャレンジしました。

授業は期待通り、とても充実した内容。毎回、講師陣から「なるほど!」という視点をいただきました。また、講師のみなさんがとても優しく、オープンな雰囲気だったので安心して受講することできました。

多様なバックグラウンドを持つ参加者のみなさんとのグループワークも学びがいっぱい。最初こそ緊張したものの、とても刺激的な時間でした!

テクニックだけでなく、考え方や書くという作業の本質について触れることができ、今後への励みになる教室でした。挑戦して本当に良かったと感じています。

 

地方移住した矢先の新型コロナウイルスのせいで、物理的に対面イベントに出席できなくなりました。その一方、ネット環境さえあればどこにいても参加できるようになったことは、私にとっては嬉しい変化でもありました。

そこで、ずっと読者だったgreenz.jpの作文の教室に、今なら参加できる!と勢いで申し込み。文章の書き方だけでなく、書きたいテーマをいろんな側面から考える「観察」の手法は目からウロコで、とても学びになりました!受講後はGCCとしてライター活動を始めることになり、「自分が書いた記事を通して、読者にどんな発見があるだろう?」と考えながら、楽しく記事を書いています。




「作文の教室」のスケジュールと内容

2月19日からスタートし、週に一度、全6回の講義があります。

それに加えて、今回は2回のオフィスアワーも開催されるとか。

オフィスアワーってなに?

オフィスアワーでは、メディア運営のプロがみなさんの気になる悩みや相談を受けつけて、お答えする時間です。

担当されるのは、DIYでリノベーションした団地で暮らすローカルコミュニティや福祉などを専門に執筆されるライター・編集者の福井尚子さんと、ノルウェー留学で北欧のサスティナビリティに触れ、ブランディングデザインのプロジェクトマネージャーをしながらライター活動を行う松沢美月さん。

6回の講義の内容は?

講義の前半では、グリーンズ副編集長のスズキコウタさんとライターの水野淳美さんがライティングと編集の基本についてお話されます。さらにお二人からみなさんが書かれたものに校正を受けていただくこともできるとか。

そして第4回ではプロのコピーライターである丸原孝紀さんが、ささる見出しとタイトルのつけ方について指導されます。

私は、第5回を担当させていただきます。

みなさんが「伝わる文章」のテクニックを学び、執筆し、添削や校正アドバイスをグリーンズの編集者さんたちに受けられた後に催されるクラスです。

日程は、6月25日(土)14時から17時の3時間。

傾聴ジャーナリングとは?

このクラスは、私にとって涙や失敗から学んだことがいっぱい詰まった本当に大切なもの。説明とお話で半分、実際に行っていただくワークの時間が半分を予定しています。

具体的には、呼吸法やジャーナリング(書く瞑想)を用いて、自分も気づいていないような深い心の声を感じながら言語化していただきます。

参考:自然なあなたが一番美しい。ドス黒い感情やダメな視点にも価値がある! 不安、怒りを「書いて」陽転させる方法。

そして、そのホンネを自分以外の誰かの価値に変えるために私が行ってきた方法をお話します。主にハイヤーセルフ(高次の意識状態の自分)の目線やハイヤーセルフとのつながり方について、より現実に即した形で噛み砕いてお話します。

参考:ハイヤーセルフと繋がる方法とは? 問題を解決する、自分を超えた答えのダウンロード法

それは体のサポートを借りて「みんながそうしているから」「こう言われたから」を超えた、あなたという価値を書く豊かな時間です。

「作文の教室」の中の講義なので、書くこと・伝えることを主軸にお話します。

けれども私は「傾聴ジャーナリング」は、その奥にあるものだと思っています。書くことはその一つの現れです。

つまり私たちがどう生きるのか、何を選びたいのかという、人生の答えに触れるものだと信じています。

前回参加していただいた方のコメント

こちらは、前回受講していただいた方のコメントからの抜粋です。一緒に素敵な時間をつくっていただき、本当にありがとうございました。

―大げさな言い回しですが、魂を揺さぶられる体験でした。

―思いが身体に流れ込んでくるようで思わず涙が出ました。

―ホンネを感じて書いた後は、景色がいつもよりスッキリします。

―受講後に改めて感じたのは、自分で書いて読み返しても愛おしいとか貴重だと思える文章は、混じり気のない自分の思いを表したものです。傾聴ジャーナリングではその思いに立ち返って、自分の感覚を研ぎ澄ますことができます。

私のバックグラウンド&クラスが生まれた背景

なぜ私がこのクラスを世の中に送り出していきたいと思ったのか。

私自身が一人の人間として、「こういうことが知りたい」とずっと求め続けてきたからです。

そこで、私のバックグラウンドを説明しますね。

私は新卒でマガジンハウスという出版社に就職し、14年半勤務しました。広告局ではマーケティング営業を、編集者としてはHanako編集部とanan編集部に所属しました。

参考:ありのままの自分で本当に幸せになれるの? マガジンハウスからホームレス編集者へ。アメリカ先住民ナバホ族の集落で死にかけて学べた私の幸福学

どうやったらたくさんの人に伝わるんだろう?

なにが多くの人に注目されて、人気なんだろう?

どうやったらこの商品の魅力を感じてもらえるんだろう?

そんなふうに自分以外の人の視点を考えて誌面作りをすることの大切さをたくさん教わってきました。今でも日々学習中ですし、その学びは本当に貴重な経験だったと心から感謝しています。

と同時に、それだけでは行き詰まりもあったんですね。

プライベートでも30歳を過ぎて夫婦関係はすれ違い。頑張ればなんとか回るとやっていたときに、震災が起きました。

何時間もかけて歩いて帰宅。家には猫1匹とひとりでした。情報も錯綜していて、自分軸を持つという意識も低かった当時の私。なにが正しいのかまったくわかりませんでした。

テレビには津波で流された家屋や爆発する発電所が映っていました。私は阪神淡路大震災も被災したので、16年前にみた真っ赤な炎に包まれた家屋の映像もフラッシュバックしました。

そして翌日は、歩いたりいろんなものを乗り継いだりしてなんとか出社。

シミを無くすメイクの校正を戻しながら、「これを伝えたいと思って編集者になったのかな?」「私の人生は、これをすることを私に求めていて生かされているのかな?」としみじみ振り返ることになりました。

見過ごしていたズレや違和感を見つめ直すことになったんです。

そこから「じゃあ、自分はなにを伝えたいのか?」「どう生きたいのか?」「ホンネではどんな人間なのか?」と考えるようになったんです。

やがて離婚をして、その2か月後に台湾出張を命じられます。

そこで教わったのがゆっくりとお茶を味わって飲む時間の豊かさ。その体験から、ティク・ナット・ハンというお坊さんが教えるマインドフルネスに行きつきました。

その一年後には、韓国で催されたマインドフルネス合宿に参加。彼から直接、坐禅や歩く瞑想、ゆっくりと味わって食べる瞑想などを教わりました。合宿中は、5日間泣きっぱなし。自分でもこんなに涙があるのか、体が干からびそうだと思うほどでした。

いかに自分が考えるばかりで感じてこなかったのかを実感したんです。

そして迎えた合宿最終日。うって変わって高校時代の部活帰りのようなハイテンションになりました。見るものすべてが鮮明で面白いんです。子どものようでした。

「これはすごい!」と思いました。

今ここに心を置いて感じることのすごさが、体験から腑に落ちたんです。

そしてもっと多くの人に知ってもらいたいと思いました。

そこでアンアンだけでなく、他のマガジンハウスの雑誌にも編集長宛てにマインドフルネス特集の企画書を提出しました。

結果は、すべてボツ。

でもそれも仕方がなかったと思います。

当時はマインドフルネスという言葉も浸透していませんでした。瞑想というと宗教色が強く、怪しいイメージもつきまとっていました。

そこで、各誌の編集長がとった判断は、メジャー雑誌の編集長として妥当だったと思います。

じゃあどうやったら、胡散くさくなく伝えられるのかな?

知識だけじゃなくて自分も体験できるのかな?と、意識が自分に向かうようになりました。

誰かになんとかしてもらえないということは、自分を変えるタイミングだと思ったからです。

そんなときに、ちょうど取材させていただいた映画監督の清水ハン栄治さん。彼がアメリカでは心理学や脳科学の分野でマインドフルネスの研究が進んでいると教えてくれました。

帰国後、清水さんを取材させていただいた記事:北朝鮮の強制収容所を描く3Dアニメ映画 『トゥルーノース』清水ハン栄治監督に聞く、どんな時も希望を指す心の羅針盤の見つけ方

「これだ」とピンときました。

けれども37歳で無職になって身寄りもなく、生まれて初めて海外で生活するのはめちゃくちゃ不安。なかなか踏み出せませんでした。

その後、仕事では1年間で3人編集長が変わりました。そして飽きるまで悩んだ末にようやく会社を辞めて渡米しました。

けれども勢いよく行ったわりに、とくにアメリカ生活の初めのほうは、本当に全然うまくいきません。笑っちゃうぐらいダメダメで。

日本で暮らしていたときには信じられないようなこともたくさん起きました。

当時はホームステイして語学学校に通いながら、絵本を読むところから英語を学び直していたんです。バスに乗る5歳ぐらいの子どもの方が全然ペラペラ。そんな状態だったときに突然家を追い出されたり、血眼になってcraigslistという掲示板で部屋を見つけて契約したら、今度は真っ昼間に強盗にあったりもしたんですね。

私がジャーナリングを始めたのは、そんなときのことです。

当時はジャーナリングについて知らなかったので、誰にもいえない不安や怒りを書き殴るうちに、それが自然とジャーナリングになっていたという感じです。

のちにカリフォルニア大学バークレー校で心理学を学んだときに、ジャーナリングだったんだと知ったんです。

参考:怒り、不安は15分書けば癒せる。効果的なジャーナリングのポイントは7つ

それまでにも仕事でかれこれ14年以上書いたり、書いたものを確認したりしてきましたが、それは全部人に伝えるためのこと。意識は常に読み手にありました。

またアンアン編集者時代は会社員だったので、書いたものや編集したものに署名がつきません。パーソナルなものではないことをわきまえて、より読者さんが知りたいことをわかりやすく伝えることに集中していたんですね。

ところが会社を辞めてananwebで連載をもたせていただいたときから、すべて自分目線で書くことに。

そんなことには慣れていないので、何を書いていてもどこか人に読まれることを気にしてしまう自分がいたんです。

ブログ形式の署名原稿だから、これは主観を入れる練習をしたほうがいいなと思いました。そこで、アメリカではまず記事にできないような、誰にも言えないよどんだ気持ちを日記帳に書き殴ることから始めたんです。

そんなスマートな理由だけでなく、もちろんアメリカ生活のはじめはとにかくつらかったので、自分の言い分を表せる安全な場所を欲していたというのもあります。

朝に覚めて天井を見つめては「…アメリカだった…」と絶望。そして、自分の意志で渡米したことを思い返して、さらに絶望という毎日だったので。誰にもいえないうっぷんが溜まりまくっていました。そこで、日記帳には暴言や弱音を吐きまくり(苦笑)。

「なんで洗濯させてもらえないんだー。指定された洗剤を買ったのにー」とか、

「なんで貸したお金が返ってこないんだー!バカやろー!」だとか、

「英語ができないことぐらいで、バカにすんな! 日本語話せんのか?」なんていうのも…。

日本語だからおそらく誰にも読まれることがないだろうという安心感も後押ししてくれたのでしょう。自然とホンネを表すことができて、ジャーナリングのファーストステップを踏んでいたんです。

書けば書くほど、頭や心の中がぐちゃぐちゃだったのが、少しスッキリしたんです。

言語化されることで整理されるのと、自分の言い分を100パーセント聞いてくれる相手(=自分のこと)が見つかったからだと思います。

ジャーナリングは、人に読ませるためのものではありません。誰にも見せない日記を書くようなものです。自分の言い分に耳をすませるためだけに書きます。

半年ほど続けたとき、感じ切って書くことにはカウンセリング効果があるんだな、と実感しました。とくにつらかったことを書けるようになったときに、強くそう思いました。

実際に心理療法である認知行動療法(CBT)でも、強迫観念に駆られている患者の治療にあたり、つらい思いを短い段落で詳しく書いてもらうものがあります。

その人の心をぎゅっと締めつけるような、その思いの影響力が弱まってくるまで、何度も段落を書き直してもらうのです。すると患者はやがてその強迫観念と距離を置けるようになるとか。

誰にもわかってもらえないだろうという言い分も書いて吐き出すことで、「聴いてもらえた」とスッキリするんですね。



私の場合、そのあとで状況を少し冷静に見られるようになったら、記事にできそうなものを連載に書いていました。

当時は日本に帰るつもりはありませんでした。そこで、相手あってのことで詳しい事情など書けないこともたくさんあったのですが、どうでもなれいとホスト先から突然追い出された話や英語がわからず孤独な日々、年齢や学歴コンプレックスなどを赤裸々に綴りました。

出来事をしっかり感じながら綴るので辛くて思わずコーヒーショップでひとり号泣ということも多々ありました。

記事が掲載された後は、「バカだなー」「ブレブレだなー」とかのアンチコメントもつきました。

書いた当人である自分も当事者じゃなかったらそう思うだろうなーと思っていました。
だから一度公開してしまったら、もう自分が書いたものは怖くて恥ずかしくて読めませんでした(笑)。

それでも泣いて書き出して、さらにはそれを公開すると、より深く体験を手放すことができるんだな。前に進むことができるんだなと、発見できたんです。

そうはいっても人に話せないぐらい体験が鮮明なとき、自分でもそれが自分にとってどういう体験だったのかを冷静に考えられないときもたくさんありました。

そんなときは、原稿は書かずジャーナリングで内観し続けました。

とくにアメリカ先住民ナバホ族の集落で自分のことが最高に嫌になったあと。その後は8か月以上まったく原稿を書かず、心理学の教科書をひらくこともなく、禅センターやスピリチュアルセンターでお皿を洗い続け、100人近い人の料理を作り続け、ジャーナリングと坐禅をし続けていました。

振り返れば、あの時間はものすごく今の自分の軸をつくってくれたと思います。

参考:ありのままの自分で本当に幸せになれるの? マガジンハウスからホームレス編集者へ。アメリカ先住民ナバホ族の集落で死にかけて学べた私の幸福学。

帰国してからもとくに辛い体験をしたとき、「書くこと」は私の支えになりました。

ラムゼイ・ハント症候群という耳の帯状疱疹で重度の顔面麻痺になったときも、さらに集中してジャーナリングと瞑想をしました。

そこで知れたのは、「感じること」の大切さです。

とくに五感や呼吸など、言葉にならない自分という実感に耳をすませて答えを選ぶことがどれほど重要なのか、身にしみて知りました。

というのも私の場合、意識しないとすぐに思考偏重気味になるところがあります。感じていることを頭でコントロールしようとしがちになるんですね。

そこで体と頭の声の両方をバランスよく聞くということ。

例えば、

疲れたら休む、食べたいものを食べる、温度など住環境を整えるなど。

体がストレスだと思うものをなるべく排除し、体が求めるものを与えることで、「やりたいこと」「やりたくないこと」がより鮮明にわかるようになりました。

とくに「やりたいけどムリ」「やりたくないけどムリ」と思うものほど何か思考の枠があるので、自分のホンネと辛抱強く対話しています。

すると、周りの声にもあまりブレなくなりました。

その結果「治らない」と言われた病気も今では軽いけいれんが感じられるぐらいで、おかげさまでほとんど治ったんです。とくに今月半ばぐらいに入って、グンと改善が感じられるようになりました。

こちらの読者さんにもたくさん祈っていただいたこともあり、おかげさまで今は仕事も私生活も、自分が深く納得して選んだ生き方を送っています。

長い文章を読んでいただいてありがとうございます。

ここまで読んでいただいて、自分の感覚に従うとはワガママになってしまうのか?と思われた方、そうではないので安心してくださいね。

むしろその逆かなと思います。

自分の感覚や感情を認められるようになると、「聞いてほしい」「わかってほしい」という承認欲求を自分で満たせるようになります。

すると「なにかが満たされていない」という気持ちに振り回されることが少なくなります。そして「じゃあどうしたらいいのか」と、自分のホンネと周りのホンネも見えやすくなります。

その結果、自分が感じていることだけでなく、他の人の考えや価値観、彼らとの関係も大切にできるようになるんですね。

それは言い換えれば、自然な状態の自分に戻るということです。無理にいい人になろうとするというのでもないんです。

自分以外の誰かになろうと無理はしません。頑張りません。けれども、あなたという感覚を大事にするほど自分らしさが発揮できて、パワフルな状態になります。

唯一無二のあなたという価値が生まれ、他の人にもそれを贈ることができます。

それはミツバチが自分のために花から花へと飛び回ること。それがおのずと花の受粉の手助けになっていたり、おいしい蜂蜜という価値を生み出すことにも似ています。

あなたのホンネは、もっと話したがっています。そして、あなたに聞いてもらえるのを待っています。

24時間365日あなたと一緒の唯一の存在であるあなた自身。

そんな存在にもっとも親身になって、寄り添いましょう。

ホンネはあなたの一番の味方になって、その理想を実現したいと願っています。その願いに耳をすませましょう。

必要なのは、ペンと紙、そしてあなたの心だけです。あなたにお会いできたら、大変嬉しいです。

詳細・お問い合わせはグリーンズさんの「作文の学校」ページでぜひ。