ハイヤーセルフの声を聞いて、心の重荷を降ろし、軽やかに答えを生み出す方法。

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木よりも森を見るような広くて深い理解力を持ち、愛に包まれ、伸び伸びワクワクしているとき、あなたは高い意識状態のハイヤーセルフと一致しています。ハイヤーセルフとつながっていると、「べき」や「ねば」という自意識の制約を超えられるため、考え方も捉え方も柔軟で軽やか。問題の解決法や理性を超えた正しい選択なども生み出されます。そこでハイヤーセルフの声を聞いて、深い知恵とつながる方法をお話しします。

元夫が拾ってきた猫と一緒に暮らしています。彼がコンビニでサイダーを買いに行ったときに、空き地で出会い、そのままついてきて住み着いた猫です。離婚した後は、動物を飼うつもりなどなかった私と一緒に暮らすことになりました。そんな猫から、ハイヤーセルフとはを学ぶことが多々あります。

参考:ハイヤーセルフと繋がる方法とは? 問題を解決する、自分を超えた答えのダウンロード法

「独身が猫を飼い始めたら、もうおしまい」とは、よく語られるところです。婚期が遠ざかるのだとか。

そう言われるのも納得で、猫との距離感は想像以上に心地いいものです。

こちらに嫌なことがあると、気分を察して寄り添ってくれるし、忙しいときは必要以上に迫ってこない。もちろん、徹夜でも朝5時には朝ご飯が食べたいと容赦なく起こしてきたり、5キロの図体で突然お腹のうえにボーンと飛び乗ってきたりとやりたい放題なところもあります。

しかし憎めないばかりか、一緒にいたい。むしろお世話したくなるのは、猫はただ望みに真っ直ぐだから。

「ご飯が食べたい」「喉をなでてほしい」「温かいところで寝たい」という欲求にストレートなんです。でも、シュークリームを食べる私に嫉妬したり、マッサージチェアがないことに落胆したり、しっぽに白髪が出始めた自分を責めたりもしません。

「たくさん食べたから、もうダメ」と言われたら、不服そうな顔をして「ニャーニャー」としばらくは鳴きます。けれども、今このリクエストは通らないんだとわかったら、すぐに切り替えてほかの心地よい世界にシフト。温かくて安眠できる毛布というオプションへ移動します。なんとも軽やか。猫っぽい人がモテるというのも納得です。

ただ「やりたいこと」、「やりたくないこと」というホンネに集中し、必要以上に他人や自分自身に心や時間を奪われません。そんな生き方を、わがままと評されるかもしれません。けれども、自分の望みのために誰かを蹴落とそうとか、人と自分を比べて魂をすり減らさず、邪気がないのです。雑念がないためにその存在は軽やかで、一緒にいて心地よい。つまり波動が高いということですね。




猫を見ていると、波動を上げるというのは、頑張るんじゃなくって、ゆるめるということなんだと思います。
ありのままのリラックスした自分でいるとき、私たちの心も体もゆるんでいます。それを一番簡単に体感できるのは、瞑想や呼吸法です。目を閉じて背筋を伸ばして、鼻から息を吸います。吐くときは意識してゆっくりと長く、そして体の緊張をぬきます。その繰り返しを行います。

参考:動画で解説! 不安、ざわざわがリラックスする、5分間の心落ち着き瞑想。

そこで、気ままで心も体も柔軟な猫は、ハイヤーセルフとつながるための私のメンターでもあります。

例えば、怒りたい気持ちが出てきたら、ビルの屋上に上がった気持ちで、さらには猫の気分で捉えてみたらどんなふうかなぁと思ってみたりします。

景色を見下ろすのと同じで、高い場所へ行けば行くほど、見晴らしが良くなります。

また、心地よいに忠実になったら、目の前のあれこれを人生ゲームのように楽しむための余裕も生まれます。「こうしたい」「こうありたい」「これは嫌だ」という自分の深い願い、ホンネの幸せも選べます。

思うにハイヤーセルフとつながるとは、私たちが考えるよりもずっとシンプルなことなのでしょう。シンプルすぎるからこそ、「そんなことで良いはずがない」と、難しくしてしまうのかもしれません。

かくいう私は、本当に長いあいだ、「自分は足りない」と苦しんできました。

そのためにアメリカ先住民ナバホ族の集落では死にかけたし、禅センターでは腰を傷めて鍼治療通いだったし、帰国してからは節約しすぎて抵抗力が落ちて耳の帯状疱疹になって、重度の顔面マヒで緊急入院しました。

参考:ありのままの自分で本当に幸せになれるの? マガジンハウスからホームレス編集者へ。アメリカ先住民ナバホ族の集落で死にかけて学べた私の幸福学。

たくさん失敗したり、悲しい気持ちになったり、能力以上の無理をしたり、遠回りをして。自分で自分を不幸せにしていたと思います。

そんな経験から深く思うのは、足りない自分に人生をのっとられると、欲する自分を自己嫌悪するようになるということ。

参考:マガジンハウス社員からホームレス編集者へ。 アメリカの禅センターで体験したお金を交わさない豊かな暮らし。 交通事故、顔面マヒで入院し気づいた私のお金のブロックを解除する

ホンネなんて後回しで、歯を食いしばって頑張ることで誰かに認めてもらえ、夢や願望が実現して、ようやく「もう私は大丈夫!」と、ホンネも晴れて認められる日が来るのだと、生きてきました。

しかしいつまで経ってもそんな晴れ晴れとした日々は、やってきません。そりゃそうです。そもそもそのスタート地点で、望む自分を嫌悪しているのですから。

その結果、心理学では投影と言われますが、自分が満たされることを許せないという自分の心を映した現実、つまり他の人やものごとに腹が立ったり、ガッカリさせられたりします。

先日、昔に働いていた会社の先輩が自分の本を出したこと、また後輩が賞をとって小説家デビューしたと聞きました。

以前の私だったら、表向きには彼らの成功を祝っても、心の中ではそうではない自分のことを「足りない」と責めていたと思います。私にとって自分のメッセージがつまった本を出すことは、子どもの頃からの大切すぎる夢。そして、自分には縁遠いと認められなかった望みだからです。

けれども病気を経た今は、「羨ましいなぁ」「素敵なことだなぁ」というホンネを認めて、彼らの本を予約し、さらには自分の本を書き始めてみました。いろいろ調べたり、自分の体験を棚卸しながら、毎日コツコツと本の原稿を執筆しています。

とはいえ本を書くとはいっても、出版社からリクエストがきたわけではありません。留学や禅センターで暮らしたときと同じ、自分の心が向いたからという理由だけ。なんの保証もありません。

でも猫をお手本に、やりきれない気持ちを抱えて「生きづらい」と過ごしたり、何かを期待したり、現状が魔法みたいに変わるのを待っているより、一冊の本を書き上げるほうがワクワクするし、自分に優しい選択だなと。誰かや何かの後押しがなくてもホンネを大事にすることは、本当の意味の自己愛(セルフ・コンパッション)かもしれません。

何かが起きたとき、ムッとしたり慌てたり、自分を責めたりするのは視野が狭くなっています。

猫を見ていると、暑い日は一番涼しくて風通しの良い場所を。寒い日は一番暖かくて心地よい場所を見つけるのが上手です。自分にとって、一番心と体がゆるむ場所を見つけてそれを自分に与える名人なのです。

その在りようは、ハイヤーセルフの声を聞いて、心の重荷を降ろし、軽やかに答えを生み出すためのヒントになります。

私たちもそんな猫のように、もう少し「やりたい」「やりたくない」という気持ちを許してみませんか。