病気が贈ってくれた、ホリスティックの真の意味とそのギフトについて

昨年末にハント症候群という治りにくいタイプの顔面マヒになりました。後遺症も50%近くあると言われています。当初はあらゆる病状のオンパレードでしたが、もっとも強かったのは重度の顔面マヒとめまい(それに付随する吐き気)と倦怠感です。2か月経った今はめまいと顔のマヒが若干残るものの、担当医が驚くほど予後がよく、真顔であるぶんには不自然さは無いようです(ただし笑ったり、目をつぶったりすると、やはり左側の顔がまだおかしい)。このブログを通じてたくさんの方が祈ってくださり、明らかにその効果が表れているのでしょう。本当にありがとうございます。何となく完治する予感もしています。

そこで、今回は皆さんにこの病気を通じてより深く理解できたホリスティックのこと、今まで頭でしか理解できていなかったその真の意味と贈り物について、実体験で腑に落ちた気づきをシェアしたいと思います。

病気で知る、自分に課した謎の禁止事項の数々。

ずばり言いますと、私は頭(心)と魂と体がバラバラだったということがよくわかりました。ホリスティック気分でありながら、実のところは、ものすごい自分に対して頭の中がドSでした。好きに生き、行動ベースでは心と魂と体が求めるまま生きているのだと思っていたんです。しかし、病気になったことで身にしみて理解したのは、自分に課した謎の禁止事項がものすごく多かったということです。そしてそれを体は受け付けていなかったということ。

もはや誰も求めていないことなのに、心の中はドSで、ものすごく自分に厳しくダメ出しし続けていたのです。「これだけ好き勝手やっているのに、なんで苦しむのよ?」「もっともっと我慢できるでしょう、これぐらい!」「なんで数字がつかないのよ、あなた本当にダメね」というぐあいに。いつも思いますが、生きるということは、日に日に理解が深まっていくということですね、本当に…。興味深く、ありがたいことです。

病気になって物理的なストップがかからない限り、栄養があるものを食べたり、温かい場所で過ごしたり、ゆっくり寝たり、単に楽しいものに触れたりを自分にゆるせなかったようです。長らく修行モードで過ごしてきた影響みたいで、それが自分にとって負担になっていることすら気づいていませんでした。

頭から体にバトンが渡されたら…。

それで体がバタンキューするというこの病気になって、頭(心)から体にコントロールのバトンが渡され、いかに自分の心と体がチグハグだったかに気づかされました。その経緯をお話ししたいと思います。顔面マヒじゃないから関係ないと思われるかもしれませんが、具体的にお話しするとわかりやすいかな?と思ったので、ひとまず綴ってみます。

9日間の入院生活を経て、退院した私を襲ったのは、身体中に走る悪寒でした。今まで微かだった体の声がどんなに鈍い私にも聞こえるぐらい大声になって、とにかく体を温めよと求めるのです。無視すると常に倒れる勢いなので、ひとまず体との友好関係の再構築を最優先しました。

単にお風呂に入るだけでは一向に体が温まらないので、浴槽を傷めない エプソムソルトを購入し、先達(※)が残してくださった柚子と一緒に浸かり続けました。どうやら大量に投与したステロイドの影響で、もともと冷え性だった体が芯まで冷え切ってしまったようです。

(※)私が暮らすマキワリ邸の家主ヨーコちゃんは山伏。先達はヨーコちゃんのお師匠さん(先達は師弟関係じゃなくてみんな一緒とおっしゃるけど)。

さらにその後の数日間は、気分が悪くなって倒れてしまい、お風呂と薬を飲むために何か口にするとき以外は、ヒートテック毛布を重ねてくるまり、ミノムシのようになって眠り続けました。

寝るって本当に大切だと思います。頭の中の意地悪な声も弱まっていくし、睡眠時間が長くなるほど意識と無意識の境がぼんやりしていくので、直感も冴えてくるのです。頭の中がパニクってきたら、強制終了して寝る、これ解決法としてオススメです。

体との友好関係を築くと誓い、病気が治り始める。

そうして数日経た入浴中に、スーツケースをガラガラ引いてアドレスホッパー生活しながら、床で寝たりと何年もアメリカで無茶苦茶やってきたけど、体は何も言わずについてきてくれたんだなぁと深い感謝の気持ちが湧きました。

言わば三つ指ついて口ごたえを一切せずついてきてくれた貞淑な妻が、あまりに横暴な主人に対して反乱を起こしたようなもの。そりゃあんなに年貢が厳しいと一揆もするよね。

「今まで本当にありがとう。当然のように無理ばかりさせてごめんね」と初めて心から体に深い感謝と謝罪の気持ちが湧き起こり、柚子がかおるお風呂で泣きました。その和解の夜を経て、朝に目覚めるほどに身体が温かくなり、少しずつ体が回復していくのが感じられました。

それぞれの成長のタイミングややり方を見守るのも愛。

とはいえへたばっていたので、様子を見かねた親やヨーコちゃんが看病のために来京してくれると言いますが、助けて欲しいと願う以上に、こんなグロテスクな顔でこれほど具合が悪くて寝るしかない姿をみられたくないという気持ちのほうが勝り、ひとりで過ごしたいとお願いしました。ステロイドの影響で感染症にかかりやすい状態でもあったことも理由のひとつです。

けれども、人の好意を受け取れず、ありのままの弱い姿を見せられない自分は人間が小さい、だから私はダメなのだ、と当初自分を責めてしまいました。しかし、ふと「弱い自分を見せられずオープンになれない面があってもいい。そんな自分でもいい」と認めてみれば、スーッと気が楽になりました。

ここで気づいたのは、心理ブロックは解除しないととか、こういう一面を手放さなきゃとか、ラクになれるからこうしろ、ああせねばとその実追い込まれるのは、それが例え有効な助言だったとしてもしんどいものだなということ。

人にはそれぞれ成長のペースや変化のタイミング、やり方など、その人にあったものがあるから、その人らしくやることをただ見守ってあげることも無条件の愛なんだなぁと自分の体験で理解できました。助言は求められたときにする。人に対してもそうありたいと思います。自分の正解を強要せず、あくまでも提示するだけ。だからこれを読んだあなたもピンとくることだけを参考にしてください。そんでもって、読みたいときにいつでも来てね。

良い情報は体がリラックスするとダウンロードできる。

さて顔面マヒは見た目も超ブルーですが、左目が閉じられないことがものすごい激痛だったり、笑うとビビビビッと変な痙攣が起きたりするのが苦痛です。麺類を普通に食べられるようになりましたけど、しばらく飲んだり食べたりも口がうまく動かないためにままなりませんでした。どんなに気をつけても絶対にコップから飲むとこぼれるし、テーブルや服を汚してしまいます。肩こりも半端ないし、体って絶妙のバランスで動いていて、それがちょっとでも崩れると、ガラガラーーーッとなるんだなぁとつくづく思います。

だから追い詰められて頭で情報を集めると、このまま治らないと形成手術となり、まぶたに金のプレートを移植して、その重みで目を閉じさせるしかないとか。顔が動き出すと今度は神経が混線して、口を開けると目が閉じる後遺症が出る可能性があるとか。なんかすごいしんどそうな話ばかり…。YouTUBEで顔面マヒを克服するぞvlogとかを観ても、あれをしなきゃダメなのかな、私はこれやっていないけど大丈夫かなと、なんか不安になるし気分も滅入ります。情報の収集法として、なんか私に合ってないな。

そこで寝続けてボーッとしたリラックス状態で、体に色々質問することにしました。一体何して欲しい?どうしたらいいのかな?と。

すると、温めて欲しい。血流をよくして欲しい。良質のタンパク質を食べたいという体の声が聞こえました。

確かに病気になってからというもの、あれほど好きだったコーヒーと焼き菓子欲がしばらく無くなり、動物性のタンパク質を身体が欲するようになりました。朝一番に飲むのもコーヒーや紅茶ではなく、体が求めるのはお湯です。

「体に良さそう」とか「悪そう」とか。「美味しそう」とか「不味そう」という頭のイメージや知識は一旦おいて、体が求めることを全肯定して行動に移すことにしました。

20年来のヴィーガン寄りベジ生活終了!

すると、全く食欲がない数日間を経た後、なんと身体が発したのは「ケンタッキーが食べたい!」という声。驚きました。ヴィーガン寄りのベジタリアン生活を20年以上続けていたのですが、肉を食べたいと今まで思いもしなかったからです。

肉食に罪悪感を抱きながら、めまいでふらふらしつつ徒歩5分のコンビニに向かいチキンを食べたら、「うっまーーーーーー」。

そのときに、自分に課していた謎の禁止事項にハッとさせられました。食肉=悪、と思っていたのだなぁと。他の人がそうすることに対してそう思っていないけど、自分に対してそう思っていたということは、その気持ちがゼロでは無かったんだろうなぁ。ミンチン先生みたいに良いことをしている風にして強要する重たい感じ、一番好きじゃないエネルギーなんだけどな。自分がそれを発していたなんて!!

何をやっているかよりも、どうやっているかが大切。

私の尊敬する人たちには非肉食の人たちが多いですが、その一人のティクナットハン禅師は、「平和のための行進は、平和な心で歩かなければ実現しません」と言っています。平和の行為として「肉を食べたらダメ!」とめくじら立てている時点で、本質的には平和とは真逆の対立のエネルギーを発していたのだなぁ、アタシ。What(何を)でいっぱいになって、How(どう)をちょっと見失っていたのかな、と気づかされました。

インターネットで調べてみたら、私が今飲んでいる神経修復の薬はメチコバールというB12の薬ですが、B12は動物性タンパク質からしか得られないビタミンだということがわかりました。驚きました。体は答えを知っているのだなぁ。なるほどこれがホリスティックということか。

これからは頭で考えすぎず、感覚的にピンとくるものもオープンに取り入れていくことにしました。必要な量を感謝していただく、これが今の自分が心地よいポイントのようです。

良い栄養、体を温め、血流アップに集中する。

さてしっかり湯船に浸かり、よく寝て、動物性タンパク質を取るにつれて、体が少し温まるようになってきました。しかし未だに足先は凍えるようで、再び体に尋ねて靴下を変えてみることにしました。

冷えとりで何枚も靴下を重ねると足元だけ巨大に着膨れしてしまうのも不恰好だし、靴が履けなくなってしまうので、このシルクと綿が生地の裏表になり2枚で靴下4枚を重ねているようになる優れものを手に入れ、家にいるときはこれにさらに毛糸の靴下を重ね、今では手放せません。

先月はまだまだ顔が動かなく、本当に不安でした。顔面マヒの治療に鍼灸に通う人も多いのですが、残念ながら保険治療の医院がほとんど無く、週に二回通い続けるのもコスト的に難しいなぁ…。どうしようかなぁ….。

ある日韓国映画で気分をあげて号泣した後、顔面マヒの治療で鍼灸で刺激する経絡ってどこなんだろう?とふと疑問に思いました。ちなみにこういうエンタメドラマや映画もずっと自分に禁じていたものです。ただ気分が良くなるだけで、知識にならないから意味がないと思っていたところがあったんですね。がしかし、病気になって以来、エンタメ乱れ打ちです。でも、これはものすごく意味があります。

というのも私たちは抱く感情によって、見えるもの、認識できるもの、体験できるものが異なり、自分の意識状態に共鳴した情報をダウンロードするようになっているんです。気分が良くなることがどれほど最適な答えを得るために大切なことか、病気になって行動に移してみることでようやく腑に落とせました。

気分が良くて、今はいい情報がアクセスできそうだなというタイミングに調べてみると、鍼灸の経絡には肩や首の凝りをほぐして顔に血流を循環させるものが多いことに気づきました。顔面マヒは筋肉のマヒではなく、神経の損傷によるものです。つまり神経をつなぐための栄養や血流を送ることが大切なんですね。それは鍼灸でもいいし、そうではない方法をとってもいいということです。

そこで毎日出来ることをと、めぐリズムホットアイマスクを購入しました。翌日確かに眼輪筋が動きやすくなると感じました。しかし針治療に比べるとリーズナブルでも、一日一枚にしてもコスパが悪いと思い、またいい気分になるドラマを観続けました。その後自分に許可が出せて、電熱式ホットアイマスク を手に入れました。これは寝るときはアイマスクに、起きているときはスライドさせておでこや顔まわりを温め、効率的に顔全体を温められます。

この病気はゆっくり時間をかけて治っていくものなので、退院後も半年から1年間の通院生活と言われています。先月の外来では担当医に驚くほど顔が動くようになっているとビックリされました。それはやはりいい気分になることを許しながら、体の声を聞いたからだと思います。

出来ることを祝福するより、出来ないことに目がいきがちなパターン。

出来ることが増えるにつれて、それを祝福するよりも、まだ出来ないことの方に目が言ってしまうという自分のパターンにも気づきました。

入院した当初は、目眩でまっすぐ歩けないから「車椅子を使いますか?」と看護師さんに言われるほどでした。それに比べるとまっすぐ歩けるようになっただけでもすごい進歩なのに、10分先の図書館から戻るだけでぐったりする自分を「なんでそんなことぐらいですぐしんどくなるの?」と健康なときの自分と比較して責めてしまっていたりもします。うっかり油断するとすぐ頭の中がドSモードになって、無駄に自分に厳しいのです。そんなこと、誰も求めていないのに。一体なんのためなんでしょうか。謎の自虐モードです。

病気は、ホリスティックに戻るためのギフト。

ある日入浴中、「どうせ元気になったら、また優しくしてくれないんでしょう」という体の声がしっかり聞こえてビックリしました。微かな体の声が病気によってわかりやすく、大きくなったのです。なにぶん、無理をすると顔が動きづらくなるから、目に見えてわかりやすい。あぁ、このための病気だったんだなぁと痛感しましたね。

病気というのは、思い、言葉、行動のいずれかが本当の私から反しているというサインです。このパターンを軌道修正しない限り、病気を手放せないんだろうなと。すごいですよね、病気って。本来の私に戻ったらいいよ、もうそろそろそれでいいよ、とのサインを贈ってくれているのです。それは自虐モードを卒業して、ハイヤーセルフの愛の眼差しで自分を見続けよということです。

起こることは一見ポジティブだったりネガティブだったりするんだけど、それは全部ホリスティックに生きるという成長を促すもの。病気は体の強制終了モードでそれを教えてくれる、無意識の自虐を手放すためのギフトなんだと身にしみて感じる日々です。