東大・京大で一番読まれた『思考の整理学』から、答えが欲しいときに必要な2つのこと

anwer

苦しいとき、どうしたらいいかわからないとき、答えが欲しいですよね。今はわからないことがあっても、すぐにネットで検索すれば解答がわかる時代です。だから、素早く答えが出ないのは意心地が悪い。なにかおかしいと不安になります。けれどもそれは体験を肥やしにするための大切な時間。東大生・京大生にも根強く支持されるミリオンセラー『思考の整理学』よりお話ししたいと思います。

東大・京大で一番読まれた本より、答えが欲しいときに必要な2つのこととは?

戦争が起きたり、ウイルスのパンデミックが蔓延したり。世界が大きく動いています。

そのうえ進路や人間関係に悩むことはたくさん。

そんな苦しいときこそ、早く答えが欲しいですよね。そしてどうしたらいいかわからないのは、不安です。

そんな答えがでない時間を、外山滋比古(とやま・しげひこ)さんは大切な発酵期間だといいます。ビールづくりになぞらえながら。

『思考の整理学』とは?

外山滋比古さんの『思考の整理学』はミリオンセラー。この10年間で東大生、京大生で一番読まれた本だともいわれています。

本書は1983年に「ちくまセミナー1」として刊行されて、驚異の126刷。263万部を超えています。

答えを知るのに必要な2つのこと。

この本の中で、外山さんは答えを導くプロセスをビールづくりにたとえています。

そして必要なのは、答えのための材料と、材料を寝かせる時間とか。

具体的に説明します。

ビールをつくるには、麦と水が必要です。そこに酵素を加えて化学反応させるとビールになります。

材料の麦は、まず数か月休ませる必要があります。

さらに発酵がはじまったら、一定の時間寝かさないといけません。だからビールとして瓶詰めされるまでには、さらに1か月かかるとか(サントリーHPより)。

一杯のビールとはいえ、数か月ものときを経て、私たちの食卓にのぼっているのですね。

これは、私たちが答えを得るときも同じ。

私たちが何か答えを知りたいとき。まずはなにかを感じたことで、その問いについて考えます。これがビールにするための麦の準備ですね。

感じたり考えたりしながら、麦が整っていきます。

ヒントや気づきを求めて、本を読んだり、人と話したり、動画をみたりもするでしょう。行動を移し、なにか経験することもあるでしょう。

これは酵母。

つまり答えを得るには、どちらも必要です。

内側の情報(内観)も外側の情報(外観)もいるんですね。

とはいえ私たちが普通に生きていると、内観よりもむしろ外観でいっぱいになります。

「べき」や「ねば」に世界が固められて、感じる余裕がないほど、頭が思考だらけになります。

そこで頭でっかちになることで行動が取れなかったり、逆に動き回りすぎて心の声に従えなくなったり。

私自身もそうでした。だから偉そうにいえたものではありません。

あれこれ考えて行動し続けた結果、重度の顔面マヒになって入院したこともあります。

なんでもないふりを、つくり笑いばかり浮かべていたから。文字通り笑えない状態になったんですね。

参考:アメリカの禅センターで体験したお金を交わさない豊かな暮らし。 交通事故、顔面マヒで入院し気づいた私のお金のブロックを解除する

というふうに私たちは考えることは十分すぎるぐらいやっています。だから、どちらかというと、感じることを意識することが大切だと思います。

さらに誤解を恐れずにいえば、善い人やできる人であろうとする前に、自分のホンネと向き合うこと。まずは自分を大事にしてあげることが大事。

つまり答えを得るための材料とは、プロセスを信じること。今日という1日をひたむきに感じて、考えつづけること。

感じたり考えたりをいったりきたりすることです。

このようにして材料をそろえたら、熟成させる時間が必要になります。

「わからない」という大切な発酵期間があるのです。

途中、悪臭を放つこともあるでしょう。心の中の恐怖と向き合うことになります。

でも「わからないこと」を恐れたり、不安になったり、「わからない自分」やその状況を責める必要はないんです。

ときが経てば、熟成されて、必ず旨味が出ますから。

ここでも感じる筋力が必要になります。つねに心を開いて、観察します。

今までのやり方でうまくいかないということは、あなたにそれだけ伸びしろがあるということ。

もっとラクで幸せな生き方につながれるというサインで、悪いことではないんです。一番大切なことを優先したらいいんです。

ゴミから宝物が生まれた実体験。

それはゴミから肥やしが生まれるコンポストづくりにも似ています。コンポストというのは、枯れ葉や生ごみ、動物のフンなどでつくる堆肥、肥やしのことです。

私は生まれて初めてゴミからコンポストをつくったとき。感動のあまり、泣いてしまったことがあります。

土居という名前のわりに、土いじりはあまり得意ではなく、どっちかというと苦手な私。

それでなんでコンポストづくりを?ということなのですが、たまたまご縁があったんです。サンフランシスコにあるThe Free Farm(フリー・ファーム)というコミュニティ・ガーデンを訪ねたんですね。

ここは誰でも散策したり、菜園を手伝ったり、植物の育て方を学ぶことができる場所。

収穫した作物や肥料などは無料で欲しい人に提供し、野菜や果物の栽培法も無償で教えるとか。私が訪問した当時は、毎週日曜日にガーデンの収穫物に加えて、隣人の庭やさまざまなファーマーズマーケットなどで余った食べ物を集めて、近所の公園で無料配布。お手伝いさせていただいたこともあります。

そのファームを訪ねたときに、堆肥づくりを志願したんです。一番抵抗感があったので、良い機会かなと。

堆肥のブレンドは、生ごみ、馬糞、落ち葉です。新鮮な空気をふくませるために、ひとり黙々と背丈よりも大きい鋤で、堆肥を掘り起こしてかき混ぜつづけます。

プラスチックゴミなどが混ざっていたら、素手で選り分けます…。内心ヒェーでした。

そこで、なるべくニオイを嗅がないように鼻呼吸を止めながら行っていました。

「半年前にはラム酒の専門バーでマルティニーク産のラムの香りに酔いしれていたなぁ…」と、華やかなアンアン編集者だったころに想いをはせながら…(37歳で会社を辞めてアメリカに行ったんです)。

しかし、私はここぞというときにどんくさい。不意に話しかけられたときに、思いっきりニオイを嗅いでしまったんです。

でも、「ん? 臭くない!」。

丁寧にブレンドされた堆肥は、草原のような柔らかい香りがしました。かつて取材で体験させてもらった高級アロマエステの匂いにそっくり…。

時間をかけて、丁寧に手入れされることでゴミが肥やしとなる。そして野菜やフルーツ、美しい草花の栄養となり、新しい命を育んでいくのかぁー。

「不要なものなんて無い。それぞれの役割を果たしながら、循環の中で生きる」。

フリー・ファームを管理するツリーさんの言葉が腑に落ちました。そして気づけば涙していたんです。

当時、アメリカ社会のゴミのようだった我が身に照らし合わせたのだと思います。

ゴミからはゴミしか生まれないなんて嘘だ。時間はかかっても栄養になり、命をつなぐ。ポジティブなサイクルを生み出すのですね。

あのときほど、それをストレートに実感できた体験はありません。

参考:ハイヤーセルフとつながるとは、「ゴミから宝物が生まれる」を深く知る体験。

感じる時間が「わかる」化学反応を起こす。

とはいえそのあとも平坦な人生だったわけではありません。

私は頭でっかちなところがありまして…。直感に従って行動するわりにあとで悩んだり、ぐちぐちと考えてしまうところがありました。

インスピレーションを得やすいわりに、素直に感じることは難しいんですね。

アメリカで暮らしていたときにこんなこともありました。

友だちから、あるナバホ族の集落について「彼らが抱えていることを日本の人たちに伝えてほしい。記事にしてあげてくれないか」といわれたんです。

電気も水もガスもない、ケータイも圏外。不法滞在の限界地域です。

そこでオンラインマガジン「グリーンズ(Greenz.jp)」の鈴木コウタさんに、原稿化の了解をいただき、向かいました。

結果としては自分の至らなさを痛感するだけ。なんの役にもたてず、恐怖感や被害者意識だけが残って山を降りました。私としてはショックな体験があり、自分という人間が壊されたんですね。まさにゲシュタルト崩壊でした。

2年後にようやく書けたその体験について:ありのままの自分で本当に幸せになれるの? マガジンハウスからホームレス編集者へ。アメリカ先住民ナバホ族の集落で死にかけて学べた私の幸福学。

「書かないと、書かないと」と焦りますが、2年も記事にすることができませんでした。

気持ちのまま書いてしまうと、悪口のようになってしまいそう。そんなエネルギーを発したいわけではないんです。望んで来たのに、被害者意識を持って帰った自分のことも責めつづけました。でもホンネの心は泣いていました。

ジャーナリングで心を整え、答えを導く。

そこでホンネの言い分を安全な形で聴くために、ジャーナリングをしました。ジャーナリングは、書く瞑想ともいわれ、思っていることを感じながら紙に書きます。人に見せるものではありません。

ジャーナリングについて:自然なあなたが一番美しい。ドス黒い感情やダメな視点にも価値がある! 不安、怒りを「書いて」陽転させる方法。

心が「つらい」「悲しい」と泣いているので、とにかく自分の言い分を誰にも触れない、安全な形で傾聴したんです。

そして発酵期間、約2年。

ついに原稿が書けたのは、一時帰国で参禅した總持寺の接心のあとです。

疎遠になっていたナバホ族のおじさんから「元気にしているか?」とメールを受けたのです。それに返信することができたあと、発酵のプロセスが終わったのだとわかりました。

外山さんは

くりかえし、くりかえし、同じようなことをしていると、だいたい、どれくらいすれば醗酵(発酵)が始まるか、見当もつき、心づもりをすることができるようになる

ー『思考の整理学』より

といいます。

でも、はじめてのことだとそれを当てにできないから、神だのみになってしまうことが多いとか。

私はこうも思うんです。

わからないことに向き合いつづけていれば、たとえはじめてのことであったとしても、少しずつ「わからない」発酵期間への耐性もできています。

宙ぶらりんな事態への筋力がつくんですね。

だから感情が乱されても、もとのニュートラルな状態に戻るのに必要な時間も、だんだんと短くなっていきます。

そして、そのあいだの自分のぐちゃぐちゃした思い。親身になって書いて受け止めるジャーナリングが、それに寄り添う助けになります。

インスピレーションノートを併用する。

またインスピレーションノートを併用するのも役立ちます。酵母になるような、ピンときた言葉や情報を書き留めるノートのことです。

私は分野ごとにわけています。

たとえば「スピリチュアリティ」「ビジネス」「心理学」「言葉」などです。ノートをすぐに見返すこともあるし、書きためて、あるときふっとした瞬間に読むこともあります。ときを待ちます。

そのタイミングがいつかという感覚は、ジャーナリングし続けているとキャッチしやすくなります。

日常的に自分の言い分に耳を傾けていると、心のゴミがスーッと減っていくからです。私は呼吸瞑想も組み合わせて、脳波をアルファー波に近い状態にしてからジャーナリングすることも多いです。

外山さんは、材料と酵母の二つを組み合わさって寝かす。すると、あるときハッとこういうことだったんだと気づくといいます。

つまり自分で感じて考える。ピンときた情報をキャッチする。そしてそれらが肥やしになる時間をゆったりと味わいながら過ごす。焦らないということです。

それでいいのです。