俳優 田村正和さんに学ぶ、「無私」の姿勢が個性を極めた高いサービス生むという理由

心不全のため、4月3日に77歳で亡くなった俳優の田村正和さん。その人気の高さより故人を惜しむ声が多く、主演ドラマ『古畑任三郎』の傑作選が、フジテレビ(関東ローカル)にて放送されるそうです。そこで田村さんのインタビュー映像を拝見していると、スターの姿勢を崩さないその姿は個性を極め、同時に真逆ともとれる「無私」という言葉が思い浮かびました。「無私」とは、禅でも目指される境地ですが一体それは何か。無私の姿勢が個性を極めた高いサービスを生む理由について考察しました。

「やっぱり本番は一回で済ませたい。NGが出たら、ちょっと狂っちゃう」

長いセリフもNGを出さない。さらには、共演者のセリフまで完璧に覚える。現場に台本を持ち込まないという田村正和さん。

ロケ弁、夜もご飯類を一切食べず、学生時代から体重が変わらないという、高い自己管理力とプロ意識を持つ方だから、第一線で走り続けることができたんだなぁと感服します。




人生の大半を「俳優田村正和」に捧げる。

質の良い黒を着て、プライベートはほとんど語らない。相手の目を見て、静かな重みのある口調で言葉を選びながら語り、ご自身の癖もあるでしょうが、必ず右手を頬に添える姿も優雅で、「俳優田村正和」というブランドに徹されています。

国内では娘さんと一緒に歩くこともないともお話しされていました。食事も別、年に一度だけ家族サービスで遊んでくれたというお父さんの坂東妻三郎さんのスターとしての在り方を受け継いでいらっしゃるのでしょう。休みの日は、ほとんど話さず、部屋にこもって本を読んだりと静かに暮らしていらしたとか。彼の人生は「俳優田村正和」が大部分を占めて、「個人田村正和」はほとんど無かったのかもしれません。それだけ人生をかけて、仕事に尽くしてこられたのでしょう。

為すべきことをする自分とつながり、良い黒を着こなす人。

田村正和さんが39歳ごろのときのことです。六本木で、黒柳徹子さんが車をバックして田村さんの車にぶつけてしまったとか。そのときも黒いスポーツカーで黒いコートを優雅に着こなした田村さんが「大丈夫です。早く行ってください」とスマートに対応されたそうです(1993年田村さん(49歳)の『徹子の部屋』出演映像より)。

仕事以外の時間も、このように「俳優田村正和」を貫くプロ意識の高さ。トレードマークのヘアスタイルをどことなくほうふつさせるような、もりもりと緑が生い茂った自邸だけが、「個人田村正和」のヴェールを外せる場所だったのかもしれません。

余談ですが、わたしがマガジンハウスでファッション誌の広告担当をしていたときのことです。編集長に「黒は無難に見えてクオリティが出るから、良い黒を着なさい」と教えていただいたことがあります。田村さんのシンプルなニットもコートも、良い黒のお手本です。

黒は、前に立つ必要がないときは、黒子でありたいという謙虚さも現します。同時にそこには為すべきことをやっている、自分との約束を守り続けているという控えめで静かな自信も現れます。そのために同じものでも彼のように着こなせるものではありません。

無私(むし)とは?個性を極めた高いサービスの背後にある意識。

田村さんのエピソードを見たり聞いたりすると、「俳優田村正和」という個性を極めた高いサービスを提供し続ける背後の意識には、「無私」の姿勢が見えます。

無私(むし)とは、私心、我利、我欲、エゴなどの「自分のため」といった感情がない状態です。無私の境地は禅修行でも目指されるところですが、「私、私、私」という心のフィルターを外すことで、出来事や相手や自分をありのまま認識できる状態になるといわれます。大乗仏教ではそのお手本となるのが、観自在菩薩です(自由自在に観ることができる菩薩という意味)。高い洞察力を持ち、思いやりを持って自分に何が求められているかを知ることで、それを分かち合うことができるのです。

無我(むが/アナッター)とも呼ばれますが、それは、般若心経で説かれる諸行無常の道理にも通じています。つまり、あらゆるものはそれ以外のものとの関係性で成り立っていて、すべて生成消滅のなかで変化し続ける無常の存在。そもそも「私」という独立した永遠の実体は無いのだから、自我を少しでも大きくしようとする生き方は、理にかなっていないというのです。

自分以外の力を受け入れ、相手との関わりや宇宙の計らいのようなものに素直に乗っていくと、自分を超えた根源的な力が働くようになります。

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実はコメディは好きじゃない。求められるものを磨きぬく姿勢。

田村さんは『古畑任三郎』や『パパとなっちゃん』『パパはニュースキャスター』などコメディドラマが代表作である印象が強いです。ところが「喜劇は、あまり好きじゃない」とご本人談。求められるものを期待を超える高いサービスで分かち合ってこられたから、ずっと第一線で活躍されてきたのでしょう。

「テレビ界は視聴率です。喜劇の方が、視聴率が取れるとプロデューサーのみなさんがいうので、企画がそう行ってしまう。(でも本人としては)コメディは、やるのも見るのも好きじゃない。映画はシリアスなラブストーリーが好きです。喜劇は、あまり好きじゃないけど、やはりやりたいものばかりやっていてもしょうがないし。開き直ってやっています」ともお話しされていました(1993年田村さん(49歳)の『徹子の部屋』出演映像より)。

とはいえ、キャリアを重ねられるうちに「人に認められたい」という思いよりも、他者との関わり合いのなかで無私に徹する。承認欲求を超えた自分との約束を果たすような、自分を信じてチャレンジと達成を積み重ねるような、自我を超える根源のようなものとのつながりを深められてきたのだろうなと感じます。2度目に67歳で出演された『徹子の部屋』での、18年前に比べてずっと自然な田村さんの笑顔にもそれが現れています。

古畑任三郎では2度共演し、古畑拓三郎というモノマネも人気だった木村拓哉さんは事務所を通じて、このような言葉で追悼しています。

「ユーモアがあって温かい思い出しかありません。ご自身に厳しくされてきた分、ゆっくりと休んでください」。

仕事の中身とメカニズムを知る。そのうえで自分の特別な資質や才能を磨いて人と分かち合い、誠実に周りの人たちに役立つことをやる。田村正和さんからは、そんな「無私」の姿勢が個性を極めた高いサービス生むことを教えていただきました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

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