home 会社を辞めて、こうなった。 思考ブロックが外れ始める。ギャングの巣窟で鍵をかけずに暮らし、ギフトし続けるヒーローたち#9

思考ブロックが外れ始める。ギャングの巣窟で鍵をかけずに暮らし、ギフトし続けるヒーローたち#9

カリフォルニア州、オークランド東部のFruitavale(フルートベール)駅。映画「フルートベール駅で」の舞台になったこの場所は今から11年ほど前、なんの罪もない黒人青年が鉄道警官に撃たれて死亡し、社会問題になりました。

 

ここは私たちがギフトエコロジーツアーで訪ねた頃(2015年6月)に比べると、今はオシャレなコーヒーショップなどが建ち始めて少し様変わりしましたが、当時は不法滞在するヒスパニック系移民やギャングが多く暮らし、物騒な事件が頻発する貧困地域。サンフランシスコを含むベイエリアと呼ばれる北カリフォルニアの経済とは、レストランなどで低賃金で働く、ヒスパニック系移民の労働で成り立つ部分があります。

 

ギフトエコロジーツアーでフルートベール駅に行くと、当時ハウスシェアしていたサンフランシスコの家の家主に話すと、「アヤのiPhoneと財布を盗んだ奴が住むような街だよ。なんでまたわざわざそんな危険な場所に行くんだ?」と言われしまい、おっかなびっくりでした。

 

フルートベール駅から15分ほど歩いた、同じ通りにギャングの基地が4つある場所で、ウィンドチャイムが安らかな音色を奏でながら、カラフルな平和の旗が風に揺れる淡いレモン色の可愛い一軒家がありました。近所の家には泥棒よけの鉄格子が何重にもかけられるなか、その家は鍵をかけず、ドアも開いています。

 

それがCasa de Paz(カサデパズ、スペイン語で“平和の家”の意味)でした。

©Hiromi Ui Bower

 

ここはパンチョとサムという二人の男性が最も危険とされる地で、ギフトの心を生きようと開いた場所。今回のギフトエコロジーツアーでは、3日間カサデパズで彼らと暮らし、その生き方を体験のなかで感じながら学ぼうということでした。宿泊場所や食事は、彼らからのギフトです。

 

右の男性がパンチョで左の男性がサム。手にしているのは参加者の1人、アーティストのNickyが描いた絵。

©Hiromi Ui Bower

 

メキシコからやってきたパンチョは奨学金を全額獲得して、名門カリフォルニア大学バークレー校大学院の博士課程で宇宙物理学を学んでいた超エリート。けれどガンジーの社会活動に感銘を受け、本当の意味で社会に役立つことがしたいと退学し、カサデパズでの活動をスタートしました。パンチョは自分に滞在ビザがある状態だと、不法滞在している人たちのことを深く理解できないとして、あえてビザを持たずにアメリカに滞在していました。それは宇宙視点で見れば、人間が作った国境なんて意味をなさないという“大いなる愛に基づく不服従”という彼の考えからです。

 

いっぽうサムは、“グリーンハウスミュージアム”というオンライン美術館で、環境芸術活動(自然との共生、環境問題などをテーマに、芸術の力で社会を動かす活動。絵画や写真、彫刻、野外でのアート活動などさまざまな表現法がある)や、芸術家や地域支援をしていました。

 

サムはパンチョのギフトエコロジーに基づく生き方に感銘を受けて、すべてを処分してカサデパズに来ました。そして彼らは毎週金曜日にカサデパズを訪ねた人全員に瞑想と分かち合いの時間、そしてボランティア活動などで得たオーガニックの野菜やフルーツをふんだんに使ったヴィーガン料理を無料で提供していました。

 

つまりカサデハズを始める前は、社会的な“成功者”だった2人。安全で美しい街にある瀟洒な家で、世間がうらやむような立派な研究者や芸術家として何の不自由なく生きることも選択できた人たちです。

 

「なぜそうしなかったのか?」

「そして彼らは今本当に幸せなのか?」。

 

それが当時の私が最も知りたかったところでした。当時の私はギフトの精神どころか、「お金が無い」「英語が出来ない」「無職」「若くない」「頭がよくない」「恋人がいない」という不足感のオンパレードを抱え、さらには強盗に携帯と有り金を強奪されたり、ハウスメイトに貸したお金は返されないとあって、疑心暗鬼になっていたので。それでもなお、心の奥では「与えることで栄え合える」という真理を信じたかった。だから切実にその答えが知りたかったのです。

 

カサデパズには夜遅い時間に到着しました。脱石油生活を志す2人なので、夜はキャンドル生活。覚悟はしていましたが予想以上の暗さで「もうどっちがパンチョでどっちがサムなのかもわからないよ!」と突っ込みたくなるほどでした。真っ暗なのです。そこで手探りで荷物を探し、キャンプ用ヘッドライトを頼りにスーツケースを施錠。人の脚なのか荷物なのかわからず、何かにつまづいたり踏みつけたりしながら、何とか歯ブラシとタオルを見つけ出して寝袋に包まれ就寝したのでした。

 

カサデパズの生活は、朝1時間の瞑想で始まりました。そのスタイルは誘導瞑想法ではなく、それぞれ自分のスタイルで静かな時間を持つというもの。つまり1時間、ひたすら目をつぶって座り続けるのです。私といえば朝食前ということもあって、調和どころか腹の虫との格闘で1時間を過ごしたり、連日の睡眠不足がたたって寝落ちしたり…。薄目をあけて周囲を確認し、「今ならバレない」とこっそり体育座りしてみたり。微動だにしないパンチョとツアーオーガナーザーの海くんの美しい座禅姿を盗み見て焦ったり。瞑想ならぬ迷走状態でした。

 

円陣を組んでのお話しタイムでは、パンチョに気になっていたことをぶつけてみました。このツアーの後に、カリフォルニア大バークレー校のプログラムに志望するためのTOEFL試験を控えていた私にとって、この機会はまるで神の計らいのようにタイムリーな出来事でした。

 

「手段としての博士号(Ph.D.)を持っていたほうが、共感できなくても権力がある人に対して、より愛を伝えられると思いませんでしたか?」と。

 

大きく世界を変えるためには、“敵”や“反対者”に見えるような、賛同できない人、信頼できない人の世界と自分の信じる世界、その両方を行き来する必要があるのではと感じていたからです。利他的に生きるためにも、博士号や社会的な地位や権力、お金などの力は助けになるんじゃないかなと。この質問は偶然にも、メキシコからの留学生だったパンチョが退学を決めた7年前(2015年6月時点からみた。現在からは約12年前)、両親から聞かれたものと同じ内容だと言われました。

 

「計画的ではなかったけれど、肩書や権威が無いから出来ることもあるんです」。

パンチョの答えは当時の私には、予想外のものでした。

 

パンチョによれば、カリフォルニアの警察と移民出入国管理局は密接につながって、この街の人達を脅したり強制送還したりしていたんだそう。ある朝“オキュパイ・オークランド(オークランド占拠)”という草の根デモに参加したパンチョ。催涙スプレーやガス、武器などで警察が介入するなか、ガンジーに習って暴力に対して非暴力で対話しようと道で坐禅したと言います。その結果、逮捕されたパンチョにはビザがありません。そこで、彼を強制送還するかどうかの大きな裁判になったのです。

 

そこで予想外のことが起こります。その裁判によってコミュニティが一致団結して彼をサポートし、強制送還されないという現状を導いたのでした。さらにこの出来事が警察と移民出入力管理局が区別されるきっかけにもなったのだそうです。

 

「私にビザや社会的な地位があればこうはならなかったと思います。自分ひとりで解決できたら、人から支えられて大きな変容を生む必要がありませんでしたから。だから実は肩書きというのは、そんなに中心的なものじゃないんです。大事なことは支え合って何かをやることです。

 

私が学んだことは、重要なのはPh.D.(博士号)という肩書きよりも、Ph.Be.(在り方)だということ。博士号を持っている人は世の中にたくさんいるけれど、今社会が必要としているのは、今に意識的に在るという地球市民なんです。例えば今朝みなさんが庭で静かにいろんなものを観察しながら歩いていましたね。花の香りに微笑んだり、小さな芽吹きに心踊ったり。落ち着いた感じで目の前の出来事を平和的に見ていました。社会的な肩書きよりもずっと、そういう心の在り方、地球との対話こそが重要なんです」。

 

パンチョの答えを聞いて、当時の私はとても混乱しました。バークレー心理学部を志望した一番の動機はある教授のもとで“利他的に生きると幸せになる”という研究について学びたいというものでしたが、深くその動機を見つめると実はそうなのかな?と。 何を書いても何の肩書きもない私では、誰にも読んでもらえない。だから学位なり何なり社会に信用されるための「外付けの何か」を得なければならない。つまり、純粋に「やりたい!」という動機だけではなく、そういう恐怖心から来ているのではと、ふと気づいたのです。

 

さらに、「パンチョやサムの考え方は素晴らしい。究極的には自分も国境も何の隔たりもない、支え合いで成立するギフトの世界で生きたい。でも今の自分には出来ない。電気がない生活も鍵を掛けないのも無理。ビザ無しの不法滞在なんてもってのほか!…そう思ってしまう私は、みみちい」。

と、自分のことをさらにちっぽけな存在に感じて、お得意の自己否定でいたたまれない気持ちになってもいました。

 

でも、ちょいと待てよ…。

私は「お金が無い」「英語が出来ない」「仕事ができない」「若くない」「頭がよくない」「恋人がいない」という“不足感”で武装して、「何もやらない」ことの言い訳をしているだけなのじゃないか? 

古いプログラミングに従っているだけでは?

 

「海くんやえりちゃんみたいに英語が出来なくても、私はお皿を洗うことはできる」

(私には、通訳やオーガナイズのほうが、皿洗いより優れた仕事だという思い込みがあるのか… でも、そんなことなくない?)

「パーマカルチャーやギフトエコロジーについて専門家のような完璧な原稿が書けなくても、トイレ掃除はできる」

(肩書きやしっかりした知識がないとダメだと思っているのか…でもなんのためにそんな決定をしてる?)

「今の自分が理解できるレベルで、素直に書いてananwebで伝えることは出来る」

(なんのために、私はこんなに自分のことを信じてあげられないんだろう? 本当に創造したいのは何?

 

やろうと思えば、出来る。

自分サイズなら、私だってギフトできる。

だったらやるなら、「今でしょ!」

 

今の自分が贈れることから始めてみよう。心が死んでしまう前に、小さな目標達成から始めてみよう。そんなことちっぽけで価値が無いと言われるかもしれない。損得勘定したら「全然、足りてないよ」って見られるかもしれない。

でも、それだってきっと価値がある。

パンチョやサムの意識レベル、私の意識レベル、強盗した人、それぞれの意識レベルによって体験する世界は違う。

目の前の現実は私の主観の産物だから、自分の意識に責任と信頼を持ってみよう

 

そこでいらない思い込みを洗い流し、心のプログラミングを書き換えたいと、汚れたお皿や床と向き合い続けることにしたのです。人気がないトイレ掃除も率先してやりました。それが自分が一番嫌だと思っていたことだから。「でも、本当にそうなのかな?」と。たまたまトイレの床を手で必死に拭いているところをパンチョが見かけたらしく、その後パンチョから海くんにインスパイヤされたとメールが来たそうです。でも当時の私はパンチョが言うシスターアヤなんていうそんな素晴らしいものではなくって、ただただ自分の中のもつれをほぐしたかっただけなんです。

 

そして今私が暮らすマキワリの家の家主ヨーコちゃんと出会ったのは、このギフトエコロジーツアー。すごい贈り物だと思っています。

私たちは今なお、自分サイズでこのギフトの冒険を続けています。

ー#10に続く