home 会社を辞めて、こうなった。 貧すれど全く悟れない我が身を嘆く。ギフトエコロジーって一体何?! #8

貧すれど全く悟れない我が身を嘆く。ギフトエコロジーって一体何?! #8

無職にもかかわらず、何十万単位でお金が湯水のように出て行く、恐怖サンフランシスコ生活。それはまるで脚本の無いホラー映画のようです。お洒落なシングルオリジンのDandelion Chocolateの板チョコなんて、一枚1200円ですよ!  本店は目と鼻の先にあるのに、しかもanan編集部にいたときは、日本未上陸の要注目スイーツTOPICS!なんて取材なんぞもしたのに、そんなもん食べられへんわ! ラテを飲みたいけど、倍以上の料金になるのでwifiのために入るコーヒーショップで注文するのは本日のコーヒーという日々(家賃相場は東京に比べて倍以上ですが、コーヒーだけは安かったんです)。

 

古巣のwebmagazineに困窮の日々を不定期で綴っていると、元上司に「いやぁー、土居さんのサンフランシスコ通信はいいねぇ! なんというか、海外留学して“イケてる自慢”なところがゼロでさぁ!」と褒め(?)てもらいましたが、自慢どころか生きるのに必死というレベルなんです…。

 

だってシティカレッジの学費を払おうとしたら、その4日前に強盗にあって現金やiPhoneは強奪される。従姉妹から送られてきた甥っ子段ボール製の手作り武器のギフトを見てほっこりし、ハウスメイトにお金を貸したら返ってこない。小洒落たIT成金がMIKADOなる寿司バーに通うそうですが、本家本元メイドインジャパンの私はTOEFLの単語を暗唱しながらフードバンクの列に並ぶというひもじさ…。コンラッド東京に特注バースデーケーキを発注して超人気俳優の表紙撮影をしていた日々って、あれって夢かあるいは幻か?!?!

 

スタバのトイレは暴動のあとのように汚いし、「なんやねん!この強奪の街は!!」と誰に頼まれてやってきたわけでもないのに、アメリカに対する怒りが頂点に達していたあの頃。共生革命家のソーヤ海くんと鈴木栄里ちゃんが主催する10日間の研修ツアー“ギフトエコロジーツアー”なるものがあると、見かねた友だちから連絡がきました。なんとその参加費はギフト! ツアー自体がギフトなんです、とあって代金は応募告知に一切載っていない。

 

一体どういうこと?ということなのですが、「志望動機と、あなたがこのツアーに対して、ギフトしたいこと、ギフト出来ることを書いてください」とだけ、あります。そして選抜された人が参加者になるという仕組み。

 

そこで、ギフトエコロジーとは一体なんなのか全く知識が無い人間であること。むしろ真逆な生活を謳歌し、資本主義経済を享受してきたこと。がしかし、今は仕事もお金も無いこと。でもまがりなりに編集者として勤めてきたので、このツアーで体験したことを正直に書いて伝えることがギフトになるかもしれない。でも頼まれた内容は書けず、あくまでも私が素直に感じて、他の人たちに伝えたいことのみを書きます。という、選ぶ側として全くメリットが無さそうな、でも正直な志望動機を書いて、面接を受けました。

 

ギフトエコロジーとは、平たく言えば支え合いや与え合いの中で生きる世界のことです。比較するとわかりやすいのが、私たちの慣行経済である資本主義経済です。

 

資本主義の場合は、お金が価値を表象しますよね。例えばサービスの与え手と受け取り手の間に何も関係性がなくても、お金があればほとんどのものが交換出来ます。お金が価値を伝える使者として働いてくれるからです。お金の力でトラブルなく、同等の価値を持つものとそれを交換できるのです。

 

一方でギフト経済の場合は、お金だけを資本とせず、優しい言葉、笑顔、重い荷物が持てない人の代わりに買い物をしてあげるなど、受け取る人がハッピーになるものは全て資本としてカウントされます。そこではお互いの信頼や関係性がベースになり、お金がなくても、その社会資本があれば必要なサービスが受けられるのです。そこで大切なのが、与える側は「それをしたい」と思って行うということです。義務や責任、世間体を気にしてなどではなく、心からそれをしたい、そうするのが自分にとって自然なこと、と与えるのです。その経済様式が生態系となったものをギフトエコロジーと言います。

 

この考えのベースになるのは、そもそも地球には酸素や水、食物、住む場所などの人間が必要なものはすべて無料で揃っているという話。例えば太陽だって「時給3000円で12時間照らしますね。月末締め払いでお願いします」なんて言わずに、毎日その光を与え続けてくれています。日の光が無いと作物は育ちません。育ったニンジンは「1本100円ね」と八百屋のおばちゃんは言うけど、ニンジン自身はゼロ円で身を投げ出してくれています。そして木が酸素を排出してくれるから、私たちは呼吸して生きることが出来ます。

 

お金はとても役立つものだけど、それだけに価値を置いてしまうと、「持っている人」と「持っていない人」という区別性が生まれます。すると、受けられるサービスや命の価値に至るまで、お金の多い少ないで決まってしまういびつな価値観の中で生きることにもなります。そして関係性や信頼に関しては、お金で解決したらよい、という意識が少ながらず生まれてしまうことにもなります。そこではお金が無くなった場合には、つながりもまた喪失するということになります。お金は私たちの大切な助っ人ですが、それにとらわれ過ぎてしまうと、つながりを作ることよりも、お金を作ることが優先事項になってしまいます。バランスが大切なのです。

 

ギフトエコロジー・ツアーの趣旨は、お金との良い関係性を知るためにも一旦常識的な価値観を取っ払って、生態系や経済の仕組みを深く洞察してみようというものでした。そこでこのツアーでは、資本主義経済の中で生きる私たちが、ギフトエコロジーを取り入れて生きる人たちに会ってそれを体験して、また違う価値観について学んでみる。そしてツアー自体もギフトエコロジーとして実験してみようという、かなり画期的なものでした。

 

幸運にもそのツアー参加者として選んでいただいたのですが、その後、当時の私には、すざまじいもやもやが始まります。

 

お金を稼いで、サービスはそのお金を払って得るものだ。そこでお金がなければ、サービスとは受けられない。お金を稼いでいない自分には、価値が無い。存在価値も無いから、早く学位をつけるなりなんなりしてここから這い上がらねばならない。

 

そんなふうに信じて生きてきたからです。そこで、以下のような黒い自分のどうしようもない自問自答が始まります。晒すのがお恥ずかしいような内容ですが…。

 

「とはいえ、ゼロ円っていうワケにはいかんでしょ。レンタカーやガソリン代、食事や宿代は、この資本主義経済で生きる限り必要経費としてかかるんだから。しかもソーヤ海くんは東京から来るから飛行機代もかかるよね?

 

でもこのギリギリ生活の私が払える額なんて、たかがしれてるしなぁ。『やっぱり、全部折半で!』と言われたらどうしよう。やっぱり参加しないほうがいいんちゃうかな。サンフランシスコ周辺に滞在する時は家から通ったほうが費用の負担を抑えられるかも!

 

それは、あかんって言われた….。10日間みんなで衣食住を共にすることに生態系が生まれて、実験の意味があるらしい。

 

まぁ折半になったところで払って明日死ぬワケじゃないしな。でもそしたら心理学の勉強出来なくなるんじゃない? 一昨日TOEFLの試験代約3万円払ったところだよ(高っー!)。学費いくらかかると思ってるの!?

 

で、そもそもなんで心理学勉強したいんだっけ? 利他的に生きると幸せになれる研究している研究室で学びたいからだったよね? え、でも今の私はギフトを与えるどころかギフトをもらう意識しか働かない自己中でどケチな女…。このどケチマインドゆえに、強盗やらお金が返ってこない事態やらを引き寄せているのでは…。

 

えぇ、私はどケチですよ!でもただ単に自分のエゴを満たすためだけに勉強したいんじゃない! いずれ学んだことを皆さんにシェアするために地味に机に向かっているんだ。

 

でもここまでそう信じてきたけど、やっぱりただ自己満足なだけかも。誰もそれを望んでいるワケじゃないしな。あぁ、虚しい…。どケチ精神で生きているから、いろんなものを奪われてしまうんだなぁ。仕事辞めなきゃよかった。アメリカなんか来なきゃよかった。この悪夢が夢ならいいのに。。。私の考える正解は全部間違いなのかも。トホホ、自己嫌悪です(そして最初に戻って、永遠のループを繰り返す)」。

 

さて、永平寺を建立した13世紀の禅僧 道元は、

貧なるが道に親しきなり(貧乏でなければ道を悟れない)。

 

と説きますが、私は貧乏をちょっと体験しただけで、悟りから対極にある自分がどんどん浮き彫りになっている状態です。

貧乏と豊かさ、与えることともらうこと、所有と棄てること、利他と私利、幸せと不幸せ…。わ、わ、わからない。。。

 

バークレーへの提出用TOEFLを悶々と勉強しつつ、こんなダークな内面と向き合い続けることになり、ツアー前は遠足前のようなワクワク感はゼロ。自分で応募したくせに日が近づくにつれて憂鬱度が増し、ツアー当日まで「参加したい」と「参加したくない(なんならその時間TOEFL勉強できるしな)」という気持ちの間で揺れていました。

 

しかし無情にもツアー当日はやってきます。そこで、とりあえずあるだけの現金と、米やパン、野菜などの食物、洗剤など家にあって使えそうなものをかき集め、寝袋をかかえて待ち合わせ場所の空港に向かったのです。

-#9へ続く