home 魂ナビ パンデミックの時代に心の種に水をやろう。幸せのための集合的無意識の活かし方。

パンデミックの時代に心の種に水をやろう。幸せのための集合的無意識の活かし方。

集合的無意識という言葉を聞いたことはありますか? 心理学者のユングという人が広めた言葉です。それは「私」と「あなた」という違いも、民族や国、文化の境界線も超えた、全人類の無意識の深い部分にある共通の意識、考え方や行動様式のことを指します。

 

例えば長野県で出土した縄文時代中期の土偶「縄文のヴィーナス」は、頭に冠のようなものをかぶり、前方に突き出すような胸の形、へその存在、太ももと腰がしっかりと張った様子である身体つきがシュメールの女神「イシュタル」像に大変似ていると言われています。これはユング心理学において元型(アーキタイプ)を言われ、遠く離れた地で文化交流も無かったような時代にこのように共通の女神像を持っていたことは、私たち全員がアクセスしている共有の集合的無意識の存在があるということ。そしてこのような像とは集合的無意識から取り出されたイメージや象徴の表れだと考えられています。

 

ところで私たちは現在ウイルスの脅威にありますが、地球にはビッグファイブ(大量絶滅)といって、約5億年前から計5回も数多くの生物が絶滅した時期がありました。

 

英科学誌ネイチャー・コミュニケーションズに発表された研究論文によると、気候変動の只中にある現在の地球の状況とは、過去の大量絶滅の原因(噴火によって二酸化炭素などの温室効果ガスが大量に放出された)となった気候の激変と類似しており、現在は6番目の絶滅期に突入していると研究者たちが警鐘を鳴らしました(1)。

 

またローマ法王が新型コロナウイルスのことを、「環境危機に対する自然の反応」の一例だと述べましたが(2)、確かにパンデミック以降、各国が経済活動を抑制した結果、NASAや欧州宇宙機関(ESA)の衛星画像では、二酸化窒素の排出量が激減されていることが確認出来ます(3)。

 

今の事態は、化石エネルギーの独占状態から代替エネルギーの分配や、戦争による利権争いから協力と信頼に基づく外交、自然破壊から自然との共生、といった解決策を人間に任せていてはどうにも無理そうで地球が破滅してしまうので、もう待ちきれずに自然がその手を打ったようにも見えます。

 

でも本当に私たちではこれらを解決出来ないのでしょうか。

そこでお話したいのは、私たちの集合的無意識の善なる一面と悪なる一面です。当然善悪という判断は、究極的には真理では無いのでしょうが、ここでは便宜的に私たちにとって善であり悪である、という意味とさせていただきます。

 

まず善なる一面から。大量絶滅以外に地球規模で発生したある出来事があります。それは今から約2500年前、インターネットで情報共有など出来なかった枢軸時代のこと。世界各所で同時発生的に精神革命が起こりました。仏教、ユダヤ教、キリスト教やイスタム教に強い影響を与えたゾロアスター教の教え、孔子の思想などが時を同じくして、人々は「人間はいかに生きるべきか」と考えるようになりました。そして偶然にもこれらの教義に共通する教えは、思いやり(Compassion)でした。

 

文化や宗教や国や個人の違いを超えて、人々が「やっぱり思いやりが一番大切だ」としたというのは、私たちには共通である善なる存在の根本、知恵の泉を共有しているということです。

 

と同時にその泉には害となる種も識別なく集積されています。

 

例えば第二次世界大戦中に何百万人とユダヤ人を強制収容所に輸送し、殺害したナチス戦犯のアイヒマンの裁判を見た心理学者のスタンリー・ミルグラムは、「結婚記念日に妻に花を贈るような平凡な市民であった彼が、一定の条件であれほど冷酷で非人道的な行為に手を染められるのか」と驚愕します。そこで被験者を生徒役(サクラ)と教師役にして、生徒が答えを間違えるたびに電気ショックを与えるという状況を作った心理実験を行いました。

 

生徒(サクラ)は実際には電気ショックを与えられませんが、電圧スイッチを入れるたびに姿が見えない別室から「うぅ…」「心臓に持病があるんだ!」という叫びや、金切り声が聞こえます。なんとそのなかで最大電圧数までスイッチを入れた被験者は、過半数の65%にも上ったそうです。戦争中でもなく、強制されたわけでもないのにです。ナチス支配下、また日本の太平洋戦争中の思想統制下などでは、当然それをずっと上回るパーセンテージになるでしょう。実験で「この場ではこうふるまうべきだ」という状況のなかの役割を果たそうとするあまりに、隣室の人に痛みを与え続けたのです。つまり私たちの集合的無意識にはそういう種もあって、誰もが状況さえ揃えば、大なり小なりその種が芽吹くまで水を与え続ければ、まったく意識することなく例外なく冷酷非道になれるということです。

 

ユングの集合的無意識という側面から言えば、私個人が自分の中の害ある種に水を与えれば、それは全人類と共有するものでもあるので、すべての人の害ある種に栄養を与えることにもなります。そしてそれが芽吹くタイミングは、その人が置かれている環境や状況によります。どん底の貧困にあったり、憎み合うしかないような人間関係の中にあれば、そうでは無い人に比べて、芽吹く可能性は高くなります。

 

逆に言えば、個人が自分の中の清らかな種に水をやれば、それもまたみんなで共有する集積ストックのなかにあるので、いずれかでそれがどこかで芽を出します。

 

そこで心が温かくなったり、優しくなったり、洗われたりすることを出来るだけ行うことは、緊急時変であるときこそ貴重な行為だと思います。それは自分の根本にある意識されない部分を変容させるだけでなく、大いなる全体の一部として、とても小さな、でもとても大きく確実な実践だと信じています。そこでこういう時期こそ、時間と状況が許す限りは不安を煽る情報の代わりにインスパイアされる人の自伝を読んだり、思いやりのある言葉をかけあって他の人の清らかな種に水をやるように努めたり、心も体も温まる飲み物をホッと飲んだり。鳥や自然の息吹に目を向けて心の栄養とするのも素晴らしいと思います。

「一緒に不安にならなくてもいいのかな」と後ろめたくは思わず、「私は今、集合的無意識の良い種に水をやっているのだ」と自信を持って責任を持って行い合いたいなと感じています。それは自分にとっての幸せであり、全体の幸せであり、また全体の幸せが自分にとっての幸福につながるから。

  1. https://www.sankei.com/life/news/150822/lif1508220002-n1.html
  2. https://www.cnn.co.jp/world/35152106.html
  3. https://www.cnn.co.jp/usa/35151251.html