home 東京薪割り生活 [43]サボることで開くもの

[43]サボることで開くもの

どこかのなにかで猫は四六時中寝ている生き物だから、「寝る子」と書いてネコになったんだ、という風説を読みました。だいぶ信ぴょう性が疑わしい主張ですが、猫の暮らしぶりを見ているとその通りかもしれないと納得します。

 

わたしは中高生ぐらいまで大変よく寝る子どもでした。ほっておくといくらでも眠ってしまうので、両親が心配して「死んでるんちゃうか」と何度か部屋に入って生存確認していたそうです。

 

父方の祖父もよく寝る人だったそうです。祖父はうちの家系から考えて大変長生きでした。父曰く「お父さんはほとんど寝ていたから、実質稼働時間が短いぶん長生きしたんちゃうかな。だって寝ているときって、ほとんど死んでいるようなものじゃないですか」。

 

たまには目覚ましをかけずたっぷり寝たり、パソコンの手を止めてボーーッと窓から見える電線にとまった鳥を眺めたり、カフェでひとりケータイも本も見ずただゆっくりサンドイッチを味わったり、ちょっと作業をとめて散歩したり、朝に入ったお風呂に夜もゆっくり浸かってみたり。

 

そういうことをすると、体が「ホッ」とゆるんでくるぶんに、それに比例してちょっとイケないことをしているような気分になりませんか。

 

もっと色んなことができるはずだ。

効率的に過ごしていない。働かないと。

時間をムダにしている。

サボっている。これではダメだ。

 

わたしも油断するとすぐそういう考えになりがちです。

 

何かやっていたほうが、意味がある。

もっともっと出来る。このままでは、充分ではない。

嫌われる。認められない。死んでしまう。

 

でもそれは全部頭の中の声なんです。自分の心が発する悪魔のささやき。

 

サボるというと言葉が悪いですが、言い換えるとそれは、体の声を聞いて、頭だけで人生全てをコントロールしようとする心をゆるめること。

 

わたしたちは全身で生きているんです。肉体を超えた霊性をコンパスにして。

頭は霊性とつながるアンテナみたいなもので、そのキャッチ力をベストに保つためには、

「休みたい」「緩めたい」「動かしたい」という体の言い分を聞いて、快調な状態に整えておく必要があります。

 

だから、”サボる”ことは重要なのです。休みたいときに休むことは大事なんです。

 

心理学者のミハイ・チクセントが提唱する、創造性がもっとも発揮するとされるフローという心理状態では、一時的に個人の感覚を失います。これも思考のコントロールがゆるんだ状態です。

 

ニール・ドナルド・ウォルシュは神とひとつになった状態とこれを呼びますが、そこに至るためには、ダメだと思う自分の一面を赦すことだといいます。

自分の神性でないと思う部分を赦すまでは、自分の神性がわからないだろう。そして他者についても同じことができなければ、他者の神性を見抜けない。赦しとは、認識の拡大である。自分や他者の神性でない部分を赦すとき、自分や他者のほんとうの神性を経験できる。そのときあなたは、赦しは必要ないことを理解するだろう。誰が誰を赦すというのか? 何を赦すというのか?

——わたしたちはひとつである。

—ニール・ドナルド・ウォルシュ著、吉田利子訳『神とひとつになること』(サンマーク出版より)

 

体と心はつながっています。

自分のことを“ダメだ”と思うとき、体の筋肉は硬くなっています。肩や首が緊張し、呼吸は浅くなります。

 

頭の意地悪いささやき、ダメだしを、同じように頭で抑えつけようとしてもなかなか難しいものがあります。そんなときは体の筋肉を緩ませるといいです。

 

赤ちゃんや子どもたちが眠くなると手足が熱くなりませんか。あれは脳に集中していた血液が末端に向かったから。この状態では物思いに沈む哲学者のようには考えられなくなります。

 

だから気分が滅入ったときは、お風呂がいいです。ゆっくりお湯に浸かって、ホーッとため息をつくんです。お風呂上がりにお気に入りの音楽でも聴きながらストレッチしたら完璧です。