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望む現実と体験を一致させるための最初のステップ

5年のビザが切れる2日前のこと。サンフランシスコ発日本行き、香港トランジットの帰国便出発日です。深夜3時、AirBnBでグーグー寝ていたところ、航空会社からの「飛行機が飛ばないかもしれない」という不穏なSMSを着信。最後の最後までコレかー!! 漢文が混ざった英文で、凄みがまして迫力ハンパない。

 

インターネットニュースを見たら、「逃亡犯条例」改正案に抗議するストライキが香港で始まり、香港国際空港を発着する200便超が欠航する見通しとか。今考えてもしょうがないと、ひとまずもう一度寝ることにしました。

 

友だちのボリスが空港まで送ってくれることになり、大行列を覚悟しながら到着したら香港便の窓口はがら空き。飛ぶと言われて安心し、搭乗手続きをしてスムーズに発券しました。

 

「ジャーナリストなのにファーストじゃないんか」と、おとぼけボリスが突っ込んでくるのでうるさいな。「ファーストなんて一度も乗ったことないよ。乗り心地いいの?」と聞くと、「実際のところエコノミーを3席買ったほうがコスパもいいし、快適だな」というボリス。

 

搭乗したところ格安チケット1席分の金額で、機内にはほとんど人がおらず3席占有状態でした。その写真をボリスにSMSで送ると、「わぁ、すごい変な感じ! さっき話したばっかりのことじゃないか。やるなぁ(OMG! So weird we just talked about it. So Cool)」と返事。これが私のアメリカ電話最後のSMSです。

家なし職なし肩書きなしの状態で帰国という、5年弱の間、怯えまくっていた現実をまさに今体験中。「怖い」「怖い」とずっと思っていたことが実際現実に起こると、「なるようにしかならないよな」とイメージしていたよりもずっと冷静で覚悟できる自分が居ました。寛いでさえもいる。まな板の鯉だから、しょうがないしなぁ。新聞を読んでいると、フライトアテンダントの女性が「どうぞゆったり使ってください」と3席利用を勧めてくださり、「なんか幸先いいなぁ」と。

 

ラブコメでも観てさらに気分をあげるかと、機内でやっていた映画『アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング』を観て、大号泣。機内でラブコメ観て思いっきり号泣する中年女ってホラーでしかありませんが、まぁそれを見る人はほとんどいません。

映画の主人公は、ぽっちゃり目でブスな自分にコンプレックスまみれな女性です。自分のことを「ダメだ」「ダメだ」と思って、セルフイメージがすこぶる低く、ほっそりしたモデルのような美女をみるたびに「あんなふうならいいな」「私も彼女みたいだったら人生違っていたのに」と人生全般において諦めモード。

 

「痩せねば!」とジムのエアロバイクを必死に漕ぎまくってみたところ、バイクから落ちて頭を打ったことで脳の回路がおかしくなり、自分のことを絶世の美女だと思い込むようになります。

 

自分のことを「イケてる!」と錯覚するようになった後は、観念(現実とはこういうものだと信じている考え。彼女の場合、「自分はブスだからなにもかもうまくいかない」から「絶世の美女だから、なんでもうまくいく」に)が書き換わったことで、感情(「クヨクヨ」「諦めモード」→「わくわく」「強気」)、そして行動が変わっていきます。

 

例えば、太っちょでブスを自認していたときは遠い憧れでしかなかったコスメ会社の受付職の面接を「私のためのポジションよ!」とばかり自信満々に受けて採用され、クリーニング店では列の前後に並んだ男性に「連絡先教えてあげてもいいわよ」と半ば無理やり電話番号を渡した結果恋人に。

 

美人だらけで一般消費者から遠い社員だらけのコスメ会社で、「ブス」を自認していただけに縁の下の力持ちキャラである持ち前のガッツと気配り、“キレイになりたいけど、自信がない”リアルな消費者目線を知り尽くした着眼点で助言し、見込まれてどんどんキャリアアップしていきます。

 

欠点を克服して自分ではない別の人になるのではなく、そのままの自分を輝かせて、もともとある才能や可能性を開くことでより良い自分が実現されていく。自分が「アリ」か「ナシ」かは、他人ではなく、その最終ジャッジをする裁判官は自分なのだ、そして現実は自分が信じていることを映し出す鏡なのだ、というなかなか深い内容なんですね。

 

でも彼女のように頭を打って、奇跡的に脳の回路を「自分はダメだから、うまくいかない」から「自分はOKだから、うまくいく」に切り替えるわけにはいきません。ではどうやったら効果的に観念を書き換えていけるのでしょう。

 

それは、まず彼女のように「やりたい!」を知って、小さなことからでもそれを実行すること。

ここで私が暮らしていたカリフォルニア州にあるエサレン研究所というところで習った簡単なテクニックが活用できます。それは、まず悲しいことや嫌なことがあったときに「私は」と一人称にして語ってみること。

 

さてエサレンはアメリカにおける最先端のオルタナティブな心理学、スピリチュアル治療や講義が行われるヒーリングワークの中心地。ここは1964年、「ゲシュタルト療法」という心理カウンセリングの創設者で精神分析家であるフリッツ・パールズが訪ねて以来、「ゲシュタルト療法」の震源地にもなっています。

当時は毎週水曜日に私たち学生向けにグループカウンセリングが持たれていました。その手法に「◯◯さんが」とか「会社が」と周り目線で話さず、考えや感情を「私は」と自分目線で話して、心の傷と求めるニーズを自覚しやすくするというものがありました。

 

私たちは言いにくいことや重大なことを話すときに、何気なく自分ではない「彼は」「会社は」「社会が」を主語にして話します。何かのせいにしたほうが、その奥に潜む本当の不安を見つめなくてもいいからです。でも本音がわからないと、どうしたいのかという自分の希望や欲求も見えてきません。だからまず「私は」どう感じているのかと第一人称で語ることで目の前の現実を捉えます。

 

例えば「有能な人しか会議で発言しても聞いてもらえないだろうから、意見してもムダ」から「私は会議で発言するのが苦手。だって、私は拒絶されるのが怖いから」と言い換えます。「私は」と自分自身について話すことで、今の自分を認識して、ニーズ(拒絶されるのが怖い)をつかみます。特に不快感を感じたときには、かならず一人称で現実を捉えるようにします。

 

嫌な気分になるのは、望む現実と体験が一致していないサインです。一致させるためのニーズは自分で満たしていきます。他人任せにすると、人が自分の思い通りに動いてくれない限り不快であり続けるという不安定な状況を作り出してしまうことになるからです。

 

そこで、自分の中にいつでも「どうしたい?」と確認してくれて、思うことや言うことを「わかるよ」と受け止めてくれる理想の恋人か最高のカウンセラーを作ります。その人物はいつでも状況をただ観察していて「どう感じている?」「どうしたい?」とチェックしてくれます。ニーズを把握したら、それを自分で叶えていきます。

 

例えばコーヒーショップで本日のコーヒーとカプチーノがあって、飲みたいのがカプチーノならその欲求を叶えてあげます。お風呂に入ったら心が落ち着きそうなら、ちょっと早起きして朝からでも入る。やりたいことをするとは、そんな些細なことからで、別に大きなことじゃなくてもいいんです。

 

癒しというのは、本来の自然な自分であることを許してあげることです。
お気に入りのコーヒー豆を挽いて丁寧にコーヒーを淹れてみたり、鉄板で元気になる映画を観たり本を読んだり。

やりかたはなんでも構いません。素直に自分が嬉しいことを叶えます。

 

自分は今のままで十分。完璧。でももっと良くなることもできる。
そのために他の人が変わることを期待しない。変えようともしない。別にその必要もないから。

 

連日徹夜の入稿作業、心理学の研究室で発表できない自分を責めたり、

禅センターやスピリチュアルセンターで修行や奉仕をし続けてようやく至った学びですが、

人生は修行して何かを達成するためにあるのではありません。

 

ひとつの命を預かった自分を大事にするためにあります。

そのために他の誰かより抜きん出る必要もありません。

今までの体験は厳しいものだったかもしれません。

でも古い感情を癒すと決めたなら、今後はもう同じ体験を選ぶ必要はありません。

 

自分を愛するとは、お気に入りを発見していく旅です。

自分を満たすとは、お気に入りの世界を自分で完成させていくという、

もっとリラックスしてもいい道のりです。

自分を受け入れて大事にしていくという、素敵な体験です。
私たちは幸せに戻るために生きています。