緊急事態宣言が発令され、日々新型コロナウイルス感染者数状況が報道されます。そんな一年半前では非日常だった毎日が日常となった今、究極の脱三密社会を描くアイザック・アシモフの『はだかの太陽』が思い出されます。関わり合いによる煩わしさを避けたロボット社会では、どんな課題が浮き彫りになるのか。そこでスピリチュアルな観点による人間関係とはなんなのか。今感じる人との関わり合いについて自由に綴りました。
目次
「三密を避けよ」の究極の形を描く、『はだかの太陽』とは?
『はだかの太陽』は、1957年に発表されたアイザック・アシモフというロシア出身のアメリカ人作家が書いたSF小説です。連載されていたのは1956年で今から65年も前ですが、まるで現在の「三密を避けよ」の未来を描くようです。SF作家であり生化学者でもある彼にとって、戦争や感染症のパンデミックの先の人間がどういう社会を描くのか。関わり合いの煩わしさを避けると、一体どんな課題が浮き彫りになるのか。そんな未来を予見するのは、たやすかったのかもしれません。
宇宙国家ソラリアは、スキンシップゼロの超ロボット依存国家。
『はだかの太陽』に登場するソラリアは、宇宙国家の一国です。地球よりも発展した星で、人間(DNAが地球人の宇宙人)ひとりにつき1万体の召使いロボットが仕える超ロボット依存国家です。とりわけロボット社会が発達した星なのですが、家族は一緒に暮らしません。夫や妻、子どもそれぞれが一人で大きな屋敷生活を送ります。家事や必要なことはすべてロボットがやってくれるので、人間は悠々自適な毎日を送っています。嫌な労働はしなくてもよく、ある意味人間にとって理想郷ともいえる暮らしです。
「クサイ」「不潔」と、人の接触が耐えられない。
他人との接触を避けるソラリアで暮らす人たちは、「クサイ」「不潔」と、人がそばに居ると耐え難い嫌悪感を抱きます。同じ空間に身を置いて、一緒に空気を吸ったり吐いているという状況は、ソラリア人にとっては不潔極まりない衝撃的な光景です。それはまるで新型コロナウイルスで三密を避ける現在が極端化したようです。
コミュニケーション手段は、お互いの立体映像(ホログラム)を眺めるだけ。立体的なzoom会議のような感じです。家族であろうと、友人であろうと実際に会うことはほとんどありません。触れ合うこともありませんので、人工生殖で子孫を残し、子育てはロボットがおこないます。
zoom打ち合わせや飲み会というニューノーマル。
私たちも、当たり前のようにzoomで打ち合わせをするようになりました。ニューノーマル、ニュータイプの時代 です。
もう随分前から、ペンタゴン(米国国防総省)では、戦場でのレジリエンス(逆境を耐え抜く復元力)を鍛えるためにVR(仮想空間)で戦士たちの戦争訓練を行っているそうです。
また、サムスン・ギアのヘッドセットをつけて観て臨場感満載のV R映画もあります。リアルとヴァーチャルの境がますます薄れ、アメリカ人作家のウィリアム・ギブソンやフィリップ・ケー・ディックが描いたようなサイバーパンクの世界が繰り広げられています。
参考:戦争か共生か、最先端神経科学が頂点に立つ”ニューロ・キャピタリズム”時代が向かう道
今月末に無人決済式のファミリーマートも丸の内にオープンしましたね。アメリカに続き、中国でもAutoXによる完全無人タクシーが一般向けにスタートしました。今まで人間がやっていた作業をロボット(AI)がどんどん行うようになってきました。
オックスフォード大学のニック・ボストロム教授が専門家たちに調査したところ、AIがほとんどの作業を人間並みにできるようになる可能性が50%に至るのは、中央値で2040年か2050年。あと20〜30年先という目の前の未来です。今まで人がやっていた仕事がロボットに奪われる!という危機感を抱かざるを得ない論文も発表しました。
ロボットが働いてくれるのだから、人間は働かなくてもいいんじゃない? ベーシックインカムが保証される社会が来るだろう(富が健全に分配されれば)と悲観視しない見解もあります。
その延長上にあるのが宇宙国家ソラリスでしょう。人間は全員が富を享受するトップ階層となり、ロボットたちがそれを支える下層労働階層という社会の仕組みです。スパルタ社会のような完全な二極化社会ですが、そこでは人間内での富の不均衡はありません。
参考:生活費は国から永遠に支給? ベーシックインカム制度、ギフト経済、どうなるコロナショック後AI時代のお金と働き方
人間にとって理想郷とも見えるソラリスですが、それは究極のソーシャル・ディスタンス(「社会的距離」。コロナ渦では2メートル以上の対人距離を呼びかけています)社会です。しかし、殺人事件が起きるのです。
人間同士の肉体接触がないのにどのようにして?
関わり合わないのになぜ殺人事件が?
楽園に見えるソラリスの闇とはいったい?
という謎解きミステリーが『はだかの太陽』です。
人とのつながりや接触がなくなることのスピリチュアルな意味とは?
自分とまったく同じ人は存在しません。違う価値観や考えを持つ人と過ごすと、まさつや煩わしさが生じます。
たとえば、私はアメリカで暮らしていた頃、禅センターやエサレン研究所というスピリチュアルセンターで共同生活をしていたことがあります。多いときは、100人ぐらいの人、平均して20人強と暮らしていました。
いつも誰かがいると寂しさに浸りすぎることもなく、病気になったときは壁伝いで「ビタミンC要るか?」などと気遣ってもらえます(壁が薄いので、お互い自室にいながら会話できるので苦笑)。
雪の日には人数が揃うので、子どもの時のように雪合戦をしたりもできます。グルテンフリーのパイを焼いて振る舞ってみたり、街に行きたいと思ったら誰かが車を出してくれたり、それぞれの知恵や持っているものを持ち寄ることもできます。
その半面、人疲れもします。
スピリチュアルセンターというのは、魂の学びを求めて人がやってくるのですが、人生ハード設定な人も多く、トラウマを抱えた人も多いです。
元物理学者のとなりで元ドラッグ中毒者が一緒に台所で肩を並べて玉ねぎを切っていたりします。目に見えないけど外の世界では確実にある社会的ヒエラルキーが崩れるような世界です。
私にとって禅センターは、アメリカのキャンパスライフよりも自由で闊達なアカデミックな雰囲気がありました。
またアメリカは自己主張の国なので、禅センター修行だからと空気を読んで「あ、いいです」「じゃあ、私やっときます」と譲り続けると、”とりあえず彼女に頼めばいいか”というキャラに陥ります。その結果、勉強になったけど、「しばらく一人で静かに過ごしたいな」となりました。
そこで帰国してからはほぼ部屋に引きこもってひとりで本を読んだり、書いたりできることに無常の喜びを感じていました。テレビもなく、wifiもなく、底なしの沈黙にふかぶかと浸かっていると孤独感もありましたが、気が滅入るほどのものではありませんでした。
しかし疑問も感じていたのです。
「煩わしさがなくて幸せだけど、私はなにかを失っているのかもしれない」。
ほぼ人と会わなくても、ウイルスで大病になった。
そして昨年は、限られた人たち以外会っていなかった私ですが、年末にウイルスによる顔面マヒになりました。ハント症候群といって、昔にかかった水疱瘡が再活性化してかかる病気です。後遺症が残ると言われていた顔のマヒですが、3か月経った現在はほとんど治りました。三半規管はまだおかしく、めまいや気分の悪さは残っています。
参考:風の時代へ。冬至の心の毒だし、バシャールの現実創造で何が起こる? 突然顔面マヒに、ラムゼイハント症で緊急入院した話。
肉体を持つ限り、ウイルス感染をゼロにはできないでしょう。『はだかの太陽』作者のアイザック・アシモフ自身も、手術で使用された血液がHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に汚染されていたことで、エイズで亡くなりました。
そこで、もう一度思ったのです。
「この病気はなにを教えてくれているんだろう?」「人とのつながりや接触がなくなることのスピリチュアルな意味を表してくれているのでは?」と。
病気は、思い、言葉、行動のいずれかが本当の自分と反しているサイン。
霊的理由でいえば、病気というのは、思い、言葉、行動のいずれかが本当の私から反しているというサインです。私自身も病気(ウイルス)と同調する観念があり、今の病気になっていると実感しています。
私に起きている顔面マヒも、ステロイドの後遺症で半顔吹き出物だらけになったことも、疲れるとめまいでぶっ倒れることも、何ひとつ私が望んだことではありません。でもやっぱり自分の観念で思ったようになっているんです。
というのも病気になる前の私は、一人でボーッと寛いでいると、どこか罪悪感を抱いていました。
”マイペースを赦せない自分”を軌道修正しない限り、病気を手放せないんだろうなと実感しています。病気だと、のんびりする言い訳が立つから、きっと病気なんだろうなぁー。
さらには入院中に大量にステロイド投与されたのですが、その後遺症で感染症にかかりやすくなっているということで「一人で家に引きこもること」について後ろめたく感じる必要がなく、むしろ奨励される形にもなりました。
そこで思い浮かんだのが、子どものときに熱があると、母がリンゴジュースを飲ませてくれたことです。学校も休めて、それがマラソン練習の日だったりすると、「なんてラッキーなんだ!」と高熱を出しながら幸福感に浸っていました。
つまり、”ぐうたらな自分の一面を自分が赦す”を心底、魂が望んでいるんだと思います。
思い通りではないけれど、思った通りにはなっている。病気が自分を労る指針になってくれています。顔に後遺症が残るかもしれないと言われ、早く治りたいと焦る気持ちは当然ありますが、深い部分で病気である状態を望んでいるところもあるのです。
参考:病気が贈ってくれた、ホリスティックの真の意味とそのギフトについて
参考:チベット死の書、聖書、瞑想マスターから学ぶ、幸せな死にかたのヒント
予想外の展開も、完璧な出来事。すべて魂が設定した学びを体験するため。
vortexでハイヤーセルフと繋がってオラクルカードを描くというプロジェクトを始動しました。メッセージもハイヤーマインドから送り出します。完成したら、毎日引いてみるのが楽しみ!
そして今月から再び共同生活をすることになりました。自分のコントロールの外、予想外の展開です。
心理学や禅の学習、スピリチュアルセンターで学んできたトランスパーソナルの学び。それらを実生活で体験すればするほど、人生で起こることはすべて完璧で、自分の魂が設定した学びを最適なタイミングで最適な形で行うためのものだと痛感します。病気と同じように、思い通りではないけど、思った通りにはなっているということです。
人疲れするのは、誰かと一緒ではありのままの自分でいられない自分に疲れていたからです。誰のせいでもありません。好かれるために自分が我慢し、本音とズレすぎてしんどくなって、心の羽根を休めるために一人を選ぶというのが私のパターンです。
ところが魂が求めることとは、エゴ(分離に基づく自我意識)を超えたところにあります。深いレベルで、自分と他の人と宇宙とのつながりを感じたいと願っているのです。
魂レベルでの人間関係の目的は、本当の自分がどういう人間かを決めて、真の自分になることです。『神との対話』でニール・ドナルド・ウォルシュは、他者と関わる目的は、本当の自分が何者なのかを決定し、宣言し、創造し、経験し、最高の姿を表現するためと言います。
そこではおそらくニーバーの祈りのように、変えられないものを変えようとせず(つまり相手を変えようとしたり、嫌な気分を感じている自分を抑圧しようとせず)、変えられるものを変える知恵をつけるということでしょう(つまり自分で心地よい、ホッとできる、安心するを選択し、いつも実行する)。
参考:ありのままの自分で本当に幸せになれるの? マガジンハウスからホームレス編集者へ。アメリカ先住民ナバホ族の集落で死にかけて学べた私の幸福学。
それもいつもスマートにうまくいくとも限りません。
人生では、ゴールに達することが重要なのではなく、そこに至る過程を楽しむことが大切。重要なことはゲームの結果ではなく、いかにゲームをプレイするかということ。
つまづきや気づきもあるでしょう。腹が立ったり、不安になったりする自分、心地よさやホッとできることを選択したい自分を赦しながら、真の自分を選択し、現していく…。
それが人と関わるスピリチュアルな意味なのだと思います。