このところずっと韓国ドラマ「恋愛体質〜30歳になれば大丈夫」を観ていました。「大丈夫どころかキラキラしててえーですなー、30歳」と思いながら。
ストーリーは、3人の同級生女子が主人公。それぞれに、じゃっかん悲のほうが多い、悲喜こもごもな人生を送り、30歳を迎えました。
ジンジュは、7年付き合ったり別れたりを繰り返した恋人と、ついに完全に別れた脚本家のタマゴ。人気女流脚本家のアシスタントでしたが、減らず口がすぎると首になったばかり。
ドキュメンタリー監督のウンジョンは、初監督作品を大ヒットさせて億万長者になりました。けれど最愛のパートナーを亡くし自殺未遂した後は、なにもやる気が起きない。気持ちを奮い立たせて料理してみるも、完成した韓国料理は見た目はいいけど、味は破壊的にマズくてトホホ。前に進むために、全財産を寄付することにしました。
シングルマザーのハンジュは、モテモテでもガードは堅い学生時代を過ごしました。猛アタックの末にそんなハンジュを落としたのは、初彼氏で元夫となったハクジュ。現在は売れっ子芸人ですが自分勝手な男で、「お前たちの幸せにオレは関係ない」とハンジュと息子を捨てました。ドラマ制作会社に勤める彼女は、作中でスポンサー製品を使ってもらうため、監督や俳優に頭を下げ頼み込む日々。
そんな3人は、ウンジョンの弟、そしてハンジュの息子と、女3人男2人の5人で一緒に暮らしています。
私がこのドラマに惹かれたのは、特になにが起こるでもない平和な日常を描いているところ。韓国ドラマによくあるドロドロとか、財閥御曹司が出てくるようなキラキラした恋愛話はなく、夜中に友だちと一緒に鍋からラーメンが食べたいなぁーと思わせてくれる、そんなドラマなんです。
そして、セリフが印象的でいい。
男性(女性)はこうあるべき、母(父)はこうあるべき、寄付をする人はこうあるべき、
社長はこう振る舞うべき、仕事はこうするべき……。
みたいな当たり前すぎて、「べき」や「ねば」にトラップされていることすら気づいていなかった心の制約に、ハッとさせてくれる。でも説教くさくもないセリフが心地よかったです。
私たちが、誰かの人生ではなく、自分にとってしっくりくる人生を生きるためには、「こうあるべき」という枠を外す必要があります。
「べき」とか「ねば」は、頭で考えた感覚なのですが、そこには体や心というホンネの感覚が置き去りにされてしまっていることが多いからです。
「こうあるべき」という枠を外すと、他人軸ではなく、自分軸(自分という感じや気持ち)で生きる必要が出てくるので、自転車の補助輪を外したときのようで最初はうまく前に進めません。
グラつきます。
あゆみ具合はぎこちなく、パッともしません。
でも、何度か転んだりするうちに、前よりも自由に、まっすぐ走れるようになっていきます。
あー、こういうことが私は嫌だったのね。こういうことが好きだったのね。
と自分で選べるようになると、相手や周りが変わっても、それに振り回されにくくなって安心です。
ドラマの話に戻ると、登場人物で惹かれたのはウンジョンとのちに彼女が取材するCF監督のサンス。目の使い方とか、口元の動かし方とか、二人の演技は本当に自然です。
サンスは、俳優のソン・クックが好演しています。浅野忠信とRAINピを足して割ったような爬虫類顔の彼は、素の状態なのかと思わせるほど演技がうまい。
気になる女性なのに、「君の瞳に乾杯」といって、ソジュ(緑色の瓶に入った韓国の焼酎)が入ったグラスをその目にくっつけたりします。一歩間違えたら奇人になるような変な男だけど、とても自然で好ましく演じています。
大声で怒ったり、ちょっと不謹慎な変なところで笑ってしまったり。
そんな登場人物たちを観て、無理して変わった人になる必要はないけれど、その人がその人らしくいることは贈り物なんだなと、改めて思わせてくれる話でした。
ちょっと最後の終わり方が尻つぼみでしたけど、最終話に韓国ドラマあるあるの結婚式のシーンがないっていうのは、それはそれとしてリアルでよかったです。
私自身はずいぶんと長い間、ありのままの自分を認められずに遠回りしたから、30歳のころの自分は彼らと違って、もっとずっと自分のことがわかっていなかった。
登場人物たちの正直に、でも肩の力を抜いて生きる姿はまぶしく、素敵だなと思いました。
参考:ありのままの自分で本当に幸せになれるの? マガジンハウスからホームレス編集者へ。アメリカ先住民ナバホ族の集落で死にかけて学べた私の幸福学
私たちはそんな多様性の時代に生きています。
「正しい、正しくない」や「面白い、面白くない」は、国や時代や人によっても変わりますよね。
だから自分を大切にするということを突き詰めると、それは自分の感覚を大切にすることだと思います。
とはいえ私たちは一人で生きているわけではないから、
部分(自分の感覚)にフォーカスしながら、全体(周りの感覚)を見ることが大切なんだと思います。
つまり自分の感覚をガイドにしながら、目の前のあれこれを感じるように考え、考えるように感じるということ。
参考:ハイヤーセルフと繋がる方法とは? 問題を解決する、自分を超えた答えのダウンロード法
あの人にとってそれが正しくても、私にとっては正しくないと思うことは、悪いことではないんです。笑えないときは、同じように笑ったりもしなくていいんです。
と同時に、相手がそういう状態になることもあるってことも認めてあげる。
そういうことが、お互いさま、ということなのかなと思ってみたり。
韓国ドラマの第一話って、笑えないどころか、だいたい悲惨な状況から始まります。仕事やお金を無くしたり無かったり、愛を失うか捨てられるといった、最悪なところからスタート。
それでもめげずに、たまに韓国焼酎のソジュを屋台で、ビールをコンビニの前の椅子に座って飲んで息抜きしながら、コツコツと自分にとってしっくりくる形で目の前のことをやり続けます。
するとやがてチャンスがやってきたり、でもまた裏切られたり、そんなことを繰り返すうちに相手の心を溶かしたりして、少しずつ世界が変わっていきます。
その変化は回を重ねるごとに回転遊具のように、速度の速さや回転の大きさが加速度的にあがり、気づけば主人公はしっくりくる人生を生きています。
それが人気ドラマの方程式なんだとしたら、不器用でもひたむきに生きる姿には、多くの人の心を動かす力があるのだと思います。
また、しっくりくる人生を生きるには自分自身にウソをつかないだけでなく、ちょっと肩の力を抜く”軽やかさ”や”ユーモア”が大切なんだなぁとも教えてくれるドラマでした。
まずは、気になるソジュを買いに行って飲んでみようと思います。