東京23区で薪割り生活

4年半のアメリカ生活を終えて、ふたたび大都会 東京暮らしが始まりました。立派なビル群を背景に、足早に闊歩するキレイな服の人たち…。ところがどうやら今のところ、わたしの新しい東京はそんな様子とはいっぷう違うようなのです。

ここ東京?! 目覚ましはヒヨドリ、23区で薪割り生活。

まず私の一日はヒヨドリに起こされるところから始まります。真っ黒でつぶらな瞳のヒヨさんは虫も殺さないような顔をして、ガラス窓をくちばしでガツンガツンとダイナミックに襲撃。律儀にもベランダの手すりに謎の木の実を数粒と糞を置き土産にして去っていきます。

目の前に広がるのは、鬱蒼とした林。しかし最寄り駅まで徒歩15分という立地なのに、チャンネルが合わない人は、絶対に踏み入れることのない場所にポツンと立っている古い家です。私自身も、住所をたよりに初めて訪ねたときは見つけられずに遭難しました。アマゾンや郵便配達の人にも「一体どこなんですか?!」と何度もキレられるありさま(今では、住所の部屋番号を書くところに、見つけ方のTIPSを書くという対策をしています)。

ヒヨドリ目覚ましで起きると、次は部屋の温めに入ります。庭に出て木っ端と丸太を拾ったら、暖炉に入る30cm程度の長さにノコギリでカット。木は、よく乾燥して燃えやすいものを吟味します。

カラカラと十分に水分が抜けた丸太は、幅半分ほどノコギリで切れ目を入れて地面に叩きつけます。するとパーンッと気持ちよく折れてくれます。どっこいまだ湿っていて折れなかった場合は、手首と腕全体にズシンと鈍い痛みが走って悶絶することに。この体験を繰り返すことで、木を吟味する時間をはしょると後々面倒になることを学びました。

さてノコギリを引いているあいだも、焦ってはいけません。というのも早く淹れたてのコーヒーが飲みたくて沸かす湯を横目に作業し、親指の先を少し切ってしまったことがあるからです。まだまだマキワリ生活入部したてなのです。そしてマキワリ生活は、すべて教科書なしのぶっつけ本番、自然が先生です。

そんなこともあって私の手は野ばらの茂みにやられたり、すっかり謎の傷だらけ。今はかつての目黒区在住女性誌編集者時代とは全然違う、短い爪のこざっぱりした両手です。これはこれでまたなかなか気に入っています。

これまでのお話:マガジンハウスからホームレス編集者へ。アメリカ先住民ナバホ族の集落で死にかけて学べた私の幸福学




木とノコギリとわたしだけの世界。

道元という永平寺をひらいた禅のお坊さんが説いた、ありふれた日常のあれこれを在るべきように勤めることですべての時間が修行になるという教え。料理の方法、掃除、洗顔、用便後の尻の拭きかた(!)に至るまで、24時間体制ですべての所作を丁寧に生きて、在るべくようにつとめなさいと指導されました。深い智恵だと実感します。

木を切っているあいだは、この広い世界の登場人物は木とノコギリとわたしだけ。そう感じると、ふぅーっと時間も世界も広がっていきます。そしてとても不思議なのは拡張したはずなのに、「このままオンナ一人老いさらばえて、どこへ行く?」というもやもやした不安は心に入り込むスキが無くなります。一度にひとつのことしかしないと、考えるよりも感じる心が高まり、恐れを生み出すような思考が薄れていきます。

参考:5分歩くだけで不安や怒りが消える。自分の部屋でできる歩く瞑想の行い方

そしていよいよ暖炉に火をつけます。これもコツがいって、最初から大きな丸太に炎は広がりません。すぐ消えてしまうんです。何度もマッチを無駄にして学んだ、大きな目標も小さな一歩からという人生訓。

まず集めておいたチラシや書き損じの紙、レシートなどを少しクシャッとシワにして火をつけます。そして木っ端や乾燥したツルにじわじわと火を広げて…次はダンボールです。

紙類は丸太に炎がうつるまでにすぐ燃えて無くなってしまうことが多いですが、ダンボールは力強い炎を比較的長く出してくれます。そこで薪にきちんと着火してくれる、頼りになる助っ人。

燃えた後の灰は、家主のヨーコちゃんに教わったように木の根元に戻します。栄養になるとか。生も死も、始まりも終わりもないという循環の営みを少しだけ肌で感じます。

昔の仏教の修行僧たちは、死体が野ざらしにされて鳥獣に食い荒らされる風葬場で一晩中座って瞑想したそうです。腐敗していく死体をみながら、肉体への執着を捨てて、あらゆる変化のこだわりから自由になったとか。しかし、すごい話だなぁ。

参考:病気が治らないのはナゼ? 癒しを最大化させる「無願(Apranihita)」の力について



生前を知らないご先祖さんと5分間の語らい。

部屋が暖かくなっきたら神棚と仏壇の水をかえて、線香を一本備えます。この家を守っているヨーコちゃんのご先祖の霊魂と少し坐ります。この時間はわたしの毎日に欠かせないもので、気のせいかもしれないけれど、彼らから大切なことを教わったり気づかされたり、励まされたりしています。だからひとりだけど、一人で暮らしている気分がしません。

そして大好きなコーヒーの時間。このあいだ図書館の帰りに見つけた焙煎コーヒー販売スタンド SECOND STORY COFFEE ROASTERSの豆を手挽きのミルで挽いてハンドドリップで淹れます。

朝の常連客 オレンジ色のしま猫登場。

コーヒーを飲んでいると、いつものオレンジ色のしま猫が朝食の催促にきます。喧嘩の痕跡か左耳の先が無く、野良猫にしては恰幅のよい彼女(彼?)。「ニャアニャア」とガラス越しにかなり積極的に催促するわりに、鰹節をよそおうと外に出るとザッと茂みに隠れます。部屋の中に入ってガラス戸を閉めると、彼女はガツガツと勢いよく花鰹を食べ、平らげるとさっさと糞をして去っていきます。

このしま猫は、今のわたしの人生の師匠のひとりです。「親切をする」のに無意識に感謝を求めるという私のはまりガチなパターンを「そんなの糞」と去っていくためです。「ただやりたいからやってる、と自由になればもっともっと毎日が楽しいよ!」と。

心から楽しんでわたしをサポートし続けてくれた、以前に暮らしていたカリフォルニア ベイエリアの恩人たちのようです。みんなに会えず寂しく感じるときは、このようにしてオレンジ色のしま猫を来客に自分の中にベイエリアのみんなに生きてもらいます。

キャストは、猫と野鳥、巨大グモにタヌキ、そしてときどき山伏。

月に一度はヨーコちゃんと、彼女の山伏修行の先生の先達が帰ってきます。この家が人の交流で目覚めるときです。そうでないときは毎日の訪問客は鳥や猫(常連客のオレンジ色のしま猫以外にも黒いのと、ブチ猫もたまに訪ねてきます)などの動物たち、3日前にはハクビシンやタヌキにも遭遇しました。東京23区の個人宅でも見かけるものなのですね。ハクビシンは、本当に眉の周りの毛が真っ白でした。

おばけみたいな巨大クモもときどき出没するので初めは見るたびに叫んでいましたが、淡路島で水晶を販売しながら暮らすハルカちゃんに「それ、ゴキブリを食べてくれるよ」と教わったので、お互いのパーソナルスペースを保ちながら共存しています。

その話について:アシダカグモ恐怖症を克服する

4年半のアメリカ生活を経て、そんな東京暮らしが始まりました。



2件のコメント

  1. 文章を読んでイラストを見てワクワクがどんどん溢れてきて今幸せな気持ちです。
    読んでいて子供の頃を思い出したり、ずっと探し続けてきたもの(心にしまっておいていつのまにか蓋をしていたもの)
    にまた出会った気がしています。
    私も自分の仕事を通じて、ワクワクしてもらえるような仕事がしたいと思ってます。いま、模索中です。
    ananの記事も読ませていただいてます。

    1. Mihoさん、コメントありがとうございます。ananwebも読んでくださって、とても嬉しいです。Mihoさんの温かなコメントは、私にワクワクを届けてくださいました。だからそれがきっと見つかりますし、Mihoさんはもうすでに私にそうしてくださったようにいろんな方にワクワクを届けられているんだと思いました。本当にありがとうございます。

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