心の悪魔を溶かす。エサレン研究所で体験した「ゲシュタルト療法」について。

gestalt_therapy

私が、カリフォルニア州Big Surの海岸に立つ、エサレン研究所で体験したゲシュタルト療法についてお話したいと思います。

ゲシュタルト療法とは?

ゲシュタルト療法は、フリッツ・パールズと妻のローラが始めた心理療法です。ゲシュタルトは、ドイツ語で「形」「全体」「統合」などの意味。ゲシュタルト療法におけるゲシュタルトは、「その人の全体像(自己全体)」のことです。

全体像って、どういう意味? ということですが…。

統合という言葉を聞かれたことはありませんか? スピリチュアルな世界でもよく使われますよね。

統合というのは、心、体、魂が結合した、私たちの本来の自分自身に戻ることです。

そのために、心理療法やヒーリング、コーチングなどでは、心の中の意識と無意識の領域を統合させるプロセスを経たりもします。

参考:インナーチャイルドを癒して、心と体を統合する具体的な方法。

ゲシュタルト療法では、さまざまな手法で、心の葛藤を再体験します。それは後ほど私がエサレン研究所で目撃したことから詳しくお話しします。

そうして今ここで感じている心や体の変化を認識しながら、過去に完了させられなかった欲求などに気づいて、ゲシュタルトを完了させます。

ゲシュタルトを完了させるとは、解決に向けた行動を自分でとれるようになって自由になるということです。つまり欠けていた自己を統合させるということ。

創始者フリッツ・パールズについて。

パールズはもともとドイツで暮らすユダヤ人の精神科医でした。ナチのブラックリストにのったことから、1933年に亡命。

彼がエサレン研究所に初めて訪れたのは、1963年のクリスマスあたりのことです。1964年には、エサレンに移住。エサレンでの、パールズによるゲシュタルト療法の最初のワークショップは、同年2月に催されました。

今では想像もできませんが、ほとんど参加者がいない、小規模なものだったそうです。

今ここの体験から、心のブロックを癒す。

そのパンフレットには、ゲシュタルト療法の目的は、「意識を広げて、現実との関わりを深め、主客分離をなくすことである」とありました。

つまり、心(主観)と対象(客観)が一体になった状態を目指すということ。東洋思想的であり、禅的な言葉で語られた、統合ですね。

参考:プルシャとプラクリティ

よりわかりやすくいえば、「なぜ」とか「なに」という思考を排除した、今ここで体験している感覚や純粋な気づきを重視しました。

もともとパールズはフロイトの精神分析学を学んでいました。けれどもフロイトが重視した、忘れられた過去の体験や、過去が生み出す無意識にとらわれることよりも、パールズは、今あるもの、つまり現在に集中することで無意識とのコンタクトを取ろうとしました。それがゲシュタルト療法です。

彼は禅修行を行ったこともあり、その影響も強く受けていています。そこで、彼自身、エサレンの人たちと、ゲシュタルト療法のことを少しふざけて「ユダヤ人仏教」や「禅的ユダヤ主義」と呼んだりもしていたそうです。

私はバークレーで心理学の基礎を学びました。けれども、自分が実際に本格的な心理療法を受けたことはありませんでした。

そこで、エサレンでハウスキーピングや雑草抜きなどをして働きながら暮らしていたときに初めてゲシュタルト療法を体験し、学びました。

エサレンで体験したゲシュタルト療法。

指導するのは、エサレン研究所の教員、ペリー・ホロマン氏でした。

ペリー氏は穏やかな話しぶりの、白髪が混じった癖毛の中年男性です。けれどもセラピー中の目つきはすごく鋭くなりました。すべてを観察しようとしているようでした。

場所はマズローの部屋で。

場所は、マズローが教鞭をとったという部屋です。マズローの部屋と呼ばれていました。心理学の巨匠の名前がついていますが、天然木と白い壁の牧歌的な、15人の生徒が輪になって座ってちょうどの小部屋です。

大学にあるような、立派で広大なレクチャー室ではありません。

毎週水曜日の午後2時間。私たち15人は、ゲシュタルト療法を受けました。4週間催されました。

マンツーマンではなく、1人がうけるセッションを周りのみんなが輪になって観察し、一緒に体験するんです。

会話は、必ず「私」を主語にする。

最初の授業で、ペリー氏は私たちに、「これからは”I(私)”を主語にして語るように」と言いました。自分の中でわきおこる感情や気持ちの変化と向き合うためにです。

具体的には「◯◯さんがこういったから、こう思った」ではなく、「私は、◯◯さんがこういったことを、こう思った」と言い換えます。

あくまでも自分の体験として責任を持つのです。

また、今ここで感じることを言語化します。

これは最初難しいなと思いました。まず日本語の特性もあります。

私たちの言葉は、主語を使わずとも会話が成立しますよね。英語もそういう部分はありますが、実際に、アメリカ人の人たちと会話していて、私はよく「誰が?」「何を?」と尋ねられたんです。

日本語では、その情報は相手が類推して埋めることで会話が成立します。むしろ主語を使わないほうが、自己主張として鋭く伝わりすぎず、自然だったりもします。

また、誰かがこういったからそうした、など。自分よりも相手のことを先に伝えたり、「わたしら」などと、「I」よりも「We」と、自己主張をぼやかす(曖昧にする)ほうが、いんぎんに聞こえるというところもあります。

たとえば、私の母は世代的なこともあり、「わたしら」を多発します。使用されるたびにわたしも、その主張に巻き込まれているような気分になって、少し奇妙に感じます。

けれども、彼女としては私も同じだという意味で使っているわけではなく、「わたし」を「わたしら」とすることで主張をオブラートに包んでいるそうです。

ということもあり、最初は、「I(私)」で話すことが少し難しかったです。

けれども、「あの人がこういったから」ではなく、「私はあの人に言われたことを、こう思う(こう感じた)」と、主語をI(私)に置き換えることで、より自分の気持ちと向きあうことができる。そのため、より正確に言語化しようとすることで、自分がどう感じているのかを明確にできることがわかりました。

ちなみにこの手法は、非暴力コミュニケーションのNVCなどでも使われます。

他の生徒たちにおいても、”I”と発言に責任を持つことで、1人ひとりがより正確に、今の自分の思いを言葉にしていることも伝わってきました。

正直苦痛だった、ゲシュタルト療法の時間。

とはいえ、私にはゲシュタルト療法の時間は苦痛でした。第一に英語のリスニングが、ものすごく疲れたからです(苦笑)。

ゲシュタルト療法での、セッションの対話は支離滅裂だったりします。自分の中でわきおこる感情や気持ちの変化を味わいながら発言するからです。

ジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』的な…(苦笑)。

いきなり話がとんだり、とても抽象的な話題になったり。言語情報だけに注目していると、英語を母国語としない私には、さっぱり訳がわからなくなってくるんです。

そして、ぽつん…。心がざわついて、穏やかな心でサークル(輪)を守ることができません。

理解できない世界に1人だけ投げ込まれるって、本当に苦痛ですよね。私はもう、アメリカでそれを、嫌というほど味わいました…。

そこで途中から、言葉がわからなくなってきたら、彼らの体の動き(前のめりになっている、顔によく手をやるようになる、瞬きが多くなった)に注目するようになりました。

というのも、アメリカで心理学とはまったく関係のない環境でインターンさせてもらっていたときの社長の言葉を思い出したからです。

彼は、すごく直感力のある人でした。

ある日「仕事に慣れてきたね」と言われたんです。

「なぜわかるんですか?」と聞くと、「肩が自然に落ちているからだよ。私はいつも人の肩を見ている。それでその人の状態がわかる」といわれたんです。

確かに、多くの人はストレスを感じると急所である首を守ろうと、肩をこわばらせます。深く納得しました。彼は、そういうことを動物的な嗅覚で察知していたんですね。

後ほど打ち明けてくださいましたが、社長には、軽い読み書きの障害があるんだそうです。その代わりに、彼にはビジュアルや形を捉える力を磨いたんだそうです。

振り返れば、アメリカで暮らしたことで良かったことの一つに、言葉以外の情報にも自然と注意が向くようになったことが挙げられます。

アメリカでは、言葉が正確にわからず、たとえわかってもニュアンスが捉えられていないことが多かったことで、誤解が生まれ、たくさん苦労や失敗をしました。

参考:ありのままの自分で本当に幸せになれるの? マガジンハウスからホームレス編集者へ。アメリカ先住民ナバホ族の集落で死にかけて学べた私の幸福学。

そこで赤ん坊のように、言葉だけでなく、その人の顔つきや声色、体の動かし方などを加えて、なにを伝えようとしているのかを類推するようになっていったのです。

言葉以外のボディランゲージを読み取る。

これはのちに知ったことですが、ゲシュタルト療法の創始者のパールズはボディー・ランゲージを読み取る優れた能力を持っていたそうです。集団療法では、それぞれの話の内容よりもむしろ、声の調子や座っている様子に注意することが多かったとか。

だから面白いことだったなと思います。

当時の自分は、英語ができないコンプレックスまみれだったので、気づいていませんでした。でも、英語ができないことで、かえってボディー・ランゲージを読み取ろうとする姿勢に自然となれていたんですね。

私はこれまで言葉を仕事にして、言葉に頼りすぎていたところがあったんです。それに気づかせてくれたのも、アメリカ生活でした。

本当に物事には、陰と陽、悪いことと良いことの両面があると思います。どちらか一方だけって、ないんですよ。

セッション中のみんなを観察していると、触れられたくない核心部にくると早口になる人。わかりやすい結論を早く出して、感じる心のシャッターを降ろそうとする人など。

変容の準備ができていない人たちがとる行動が、よくわかりました。

逆に、変わる準備ができている人は、ペリーの問いかけに心を委ねます。自分のペースを明け渡しています。まな板の鯉なんですね。

こういう姿勢でいる人は、変わることができるんだなーとわかりました。

それが顕著だったのは、1人の男性でした。彼は、長くドラッグ中毒だったそうです。薬物が抜けたということで、エサレンでワークスカラーとして働きながら学んでいました。

エンプティ・チェアで、現れた悪魔。

彼は、ゲシュタルト療法の手法のひとつ、エンプティ・チェアのワークを受けました。

ペリーは、二つ座布団を準備しました。

まず一つに男性が座ります。もう一方の座布団(エンプティ・チェア=空っぽの椅子)には、中毒中だった自分が座っていると想定して、当時の彼への想いを話してもらいます。

次にエンプティ・チェアの方に彼を座らせ、ドラッグ中毒中だったときの自分で、今の自分に話してもらいます。

恐ろしいことに、エンプティ・チェアに座ったときの彼は、顔つきも語り方も変わりました。本当に目がラリっている感じなんです。

私は彼とよく一緒になって働くことが多く、ペアで草抜きをしていました。とても礼儀正しく、寡黙な働き者でした。15人の生徒たちは若い人たちが多かったのですが、彼は年齢も近く、一緒に仕事していても落ち着きがあり、頑張り屋で気持ちいい人だったのです。

しかしエンプティ・チェアに座ったときの彼は、悪魔のような顔つきになりました。

すごくいやらしい、蔑むような目つきで、椅子の向こう側の彼に対して笑います。

そして「なぜドラッグをやらないんだ? こんなに気分が晴れるのに。そんなつまらない生活をしていたって、何にも変わらないぞ」と挑発します。

彼はペリーに誘導され、また向かいの席に移動します。いつもの顔に戻って、自分がドラッグを辞めてエサレンに来ることができたこと。今は薬が欲しいと思う時間がゼロではないが、充実した毎日を送り始めていることを語ります。

そうして4度ほど、エンプティ・チェアや向こうの座布団に移動して、彼はそれぞれの立場になって想いを言葉にします。

また、そのときどきの感情や体で感じることを味わい、言葉にして伝えました。

そして彼は、エンプティ・チェアに座りました。ボロボロと涙を流し始めたのです。

彼は真っ赤になって大泣きしました。子どもみたいになって泣いています。

私たちは輪(サークル)になって、なにも声をかけません。セラピストであるペリーも彼に対して説明や解釈を極力おこないません。

なるべく温かい空気を保って、彼の中から気づきが生まれるように見守ります。

このなにもしないけれど、見守るサークルのエネルギーって大きいんです。

そこでサークルの人たちが不安になったり、集中力が切れたり、心がぐらついたりすると、彼が安心して心を開けないんですね。つまりゲシュタルトを完了させられないということ。

彼が絞り出すような声で、言いました。

「ずっと寂しかった…」

「ひとりぼっちの暗闇にいるようだった…」

ペリーは彼に尋ねました。

「では今は何をしたいだろう?」

「もう少し、エサレンにいたいです…」

その後寡黙だった彼が、各所に掛け合って、面談などを受けていました。それからよく笑うようになりました。

しかし彼がエサレン滞在を伸ばせるかどうかは、わからないままでした。

私はエサレンを去った後、大切な友だちのオーガニックの梅農園を訪ねました。人手が必要ということで、働き者だった彼のことを思い出しました。

そこで2人を繋げられないかと彼に連絡したのです。

するとこのようなメールが来ました。

「本当にありがとう。大切な友だちを紹介しようとしてくれて本当に光栄に思います。

君の旅も、どうか安全にね。

実はエサレンに滞在できることになったんだ!」

彼は自分の意志で勇気を出して動き、エサレンに残れることになったのです。

4年経った今では、彼にはパートナーもいます。そして、SNSで久しぶりにみた彼の笑顔は、より自然なものに。その横には、弾けるような笑顔の小さな子どもたちがいました。