スサナルと断食とあんぱん。

庭の山吹が満開です。ウグイスも鳴き始めました。季節最初のウグイスの鳴き声は、尻切れとんぼだったりちょっと音痴だったりして可愛いですよね。

 

ホーホケッ(あ、途中で終わっちゃった)

…フケキョ(老け居ですって?!)

ホーホケキョ(語尾が上がってる)

 

自分のことは、ちゃんと出来ないと落ち込んだり腹が立ったり自分を責めたりするのに、ウグイスの鳴き声が上手じゃないことに対しては、なんでこんなに温かい気持ちで見守れるんでしょうね。それはウグイスが一心に勤めているのが見て取れるからでしょう。下手も上手いも関係なく、ただ一心に鳴くのみ、というひたむきな態度に打たれて、そこに美しさと正しさを見るのです。

 

そんな折に、最近お知り合いになったサエリさんが淡路島旅行のお土産にスサナルという秘密の(?)液体をおすそ分けしてくれました。

 

それは飴色の液で匂いをかいでみると、わずかにお酢っぽい酸味が。淡路島の古代層の土の微生物を使った微生物発酵液なんだとか。

 

説明書も渡してくださって、それを読んでみるともともとスサナルは農業資材で、これを納めることで水を清めて、大地を潤し、川を潤し、海を潤し、エネルギーの高い作物を提供することを意図して作られたもののようです。

 

ス:意識が最初に肉体を得た状態

サ:〜のようにうながす

ナ:何もなかったところに実態が現れる

ル:回転しながらとどまる

 

ナル:実態の存在感が周囲に広がり渡る

完全なる無垢なわたしであることが世界に響き渡る     とありました。

 

びっくりです。というのも私が人生をぐるんぐるん遠まわりしているのは、結局「どんな状態だろうが、そのままでいい」ということを、頭のなかだけじゃなくて経験して腹に落としたいからなんだろうなぁーと思っているから。

 

人に「終わってる」と思われようが、自分でも自分のことが信じられなくなったとしても、高い目標や努力を掲げてそれを達成しなくても、周りと自分を最大限に大切に出来たらそれがいい、ということです。

 

多分、今回の人生のテーマはこれを体験し尽くすということなんだろうなと思っています。

会社を辞めてアメリカに行って一番良かったことは、私がどんな状態になっても両親は親であり続けてくれるということ。それが身に染みたことです。つまり、自分は愛されているんだと実感できたことですね。頭のなかだけじゃなくって。昔みたいにたくさん知り合いはもう全然いないけど、今は少なくても心から尊敬できて、自分のことのように私を思ってくれて、私も自分のことのように思いやりたいと思う家族みたいな友達も出来ました。これを思うたびに涙腺がじーんときます。

 

それでもなお、「こんな自分は恥ずかしい」「このままじゃダメだ」「ああならないと」という考えに囚われて縮みあがりそうになることが毎日です。「昔はこうだったのにな」とか「あの人と比べて私、全然ダメだな」とかね。結構この囚われ、しぶといんです。

 

水は新型コロナウイルスも邪気も流してくれるといいます。そこでまずスサナル風呂なるものに入ってみました。

 

お湯の温度は39度。ペットボトルのキャップ1杯ぐらいスサナルをお湯に入れて、還元作用の高い塩を小さじ2杯ほど入れたら

「このお湯が浄化されて地球も私も癒されますように」と祈りながら、

お湯を時計回りに20秒ほどかき混ぜるそうです。なんだか儀式的。

 

浄化されたい一心でこのお風呂に2日ほど入っていたら、次はこのスサナルを体の中に入れて一体化してみたくなりました。そこで大きなBallのガラス瓶にスサナルをペットボトルのキャップ半分ぐらい入れてお水をいっぱい入れて飲んでいると、突然断食がしたくなったのです。

 

で、今日が断食三日目。全く何も食べないのは無理だったので、トマトとキャベツは食べて良いことにしました(どういうメソッド? ちょうど冷蔵庫にあったのがトマトとキュウリだったんです)。加熱はせずに生でいただきました。塩もみしたり酢でしめたりして。2日目の朝は爽快に目覚め、いつもより2時間も早く起きました。そして本がすごく読める!

 

そこで分厚すぎて数か月間放置していた、サンフランシスコ禅センターを建てた鈴木俊隆老師の『まがったキュウリ』を読んでいます。ちょうど太平洋戦争中で食べ物が無く、ひもじい思いをするシーンなどは「…わかる…」と妙に実感したりして。これはとても面白い本です。でも夜は、辛かった…。ひもじさを超えて、痛い。お腹はものすごい勢いで鳴るし、頭のなかはなぜかあんぱんでいっぱいだし。そして3日目の今日は、キビキビ歩けるし、もうお腹も鳴りません。ここ数日台所にほとんどいかなくなったので、水を汲みに行ったときに台所から縁側を覗くと黒猫とオレンジ色のシマネコが花カツオの催促で待ち構えていました。

 

3日断食明けの明日は絶対あんぱんを食べるのだ! と、もう今からワックワク。あんぱんが食べられるという嬉しさが強すぎて「私はこのままでいいんだろうか….」というおきまりの自己批判もほぼ無し。ものすごいお腹が空くと、人格も少し違う…。

 

食べたいという欲求に対してどこまでもストレートだし、それが満たされないとなると体は順応して、全身のサバイバルモードにスイッチが入るような感じです。全身が「生きたい!」と叫んでいるようで、考え方が後ろ向きに傾かないように感じます。

 

たくさんの食べ物が必要でなくなるし、余計なことも考えなくなる。でも口福の幸せは大切にしたいので、断食をこれからの生活に取り入れようと思いつつも、明日のあんぱんがとても楽しみです。