home 東京薪割り生活 [13] コーヒーのほろ苦さ

[13] コーヒーのほろ苦さ

美味しいコーヒーを出してくれて、wifiも電源もあって、だいたい私のほかにあと一人お客さんがいるかいないかという、おっとりとした雰囲気の良いカフェが近所にあります。街で暮らす楽しさは、こういうお店に歩いて行けることですね。入稿や翻訳のためにネットワークが必要なときに出向きます。

ここのメニューはラムレーズンが入ったあんこトーストかシナモントーストのみという潔さ。私はコーヒーにはオールドファッションかスコーン派なので、京都では必ず六曜社に向かいますが、ちょっとラム酒が効いたあんこのトーストというのもなかなか面白いものです。木のお盆で出てくるのもいい。“コンコン”とノックされて差し入れされる、伊佐坂先生的な気分を妄想だけでも味わえ、悦に入ります。まだ一冊も本を出したこと、無いけど。

ところで私はコーヒーに目がないのですが、女性誌の編集者時代は不眠気味になったことで、スッパリ止めていました。当時は野菜ジュース、朝と昼はナッツ、はたまた生のものだけ食べる、などありとあらゆる健康法を試しては止めてまた新しいものにトライするといった様子だったので、実家を訪ねると母に「で、今何が食べられなくって、何が食べられるんだったっけ?」と聞かれてしまう有様でした。

今は肉以外なんでも美味しくいただいています。そしてようやく食べ物って本当に幸せな気持ちにさせてくれるなぁって実感しています。ところで今日はコロナ騒ぎでスーパーがごった返しでした。

レジは長蛇の列で「随分とお待たせしていること、お詫び申し上げます」という放送が流れ、アメリカじゃこんなときほったらかしで丁寧なお客様ケアなんて無いから「やっぱり日本はきちんとしているなぁ」と改めて感心しました。しかもwifiが入るから、お気に入りのスピリチュアル系YouTUBE動画をここぞとばかり連続で観ちゃって、わたし的にはいい時間の過ごし方でした。

昔は太るのが怖かったし、外食も「このお店に◯◯さんをお連れしないと」みたいな気分でセッティングしていたから、良いものをいただいてもちゃんと味わえていなかったように思います。もったいないことをしたなぁと思います。でもそういう時期があったから、今こうしてしみじみと食べる喜びが感じられるのかなとも思います。

料理を丁寧に作って食べることが、暮らしを大きく彩ると教えてくれたのは、お母さんとおばあちゃん。忙しさを理由におろそかにして忘れてしまっていたけど、バークレーのあきよさんやゆかちゃんやカズさん、禅センターやエサレンでの生活が再びそれを思い出させてくれました。

たまの外食で味や提案のヒントを学び、それを家で再現してみることは、とってもクリエイティブだし、料理のプロの人たちへのリスペクトを育め、自分を満足させながら節約も出来ます。さらに創意工夫した料理を誰かに振舞うことで、お母さんやおばあちゃん、バークレーの恩人たちと一体化することも出来ます。最近は予算の中で上手に買い物をすることで、旬の野菜や魚も少しずつ覚えてきました。

人は生まれるときと死ぬときは一人だと言います。だからそもそも人は一人なんだと。実際にわたしは今一人だけど、でもそれは少し言葉足らずなんじゃないかなと思います。

まず一人であることを自覚して、魔法使いみたいな誰かが現れてわたしの全てを叶えてくれるなんていう妄想をして一喜一憂するのは止めて、自分の出来る形でわたしの嬉しいを叶えていく。わたしにとっての嬉しいは、大事な人たちに教わったことばかりです。だから、たとえ一人でそれをやっていても、嬉しいを叶えることでその人たちがわたしの中で生きていくのだと思うのです。例えば美味しい料理を味わって食べると、いろいろな笑顔やおしゃべりや思い出が追体験されます。だから一人をじっくり味わうと、一人ではなくなるんです。

ところで1年ぶりにめまいが出たので、なるべく身体を冷やさないためにもしばらくコーヒーを毎日飲むのは控えることにしました。だからコーヒーは、このお店を訪ねるときのお楽しみ!マイペースに通いながら、いつかこのコーヒーの淹れ方をマスターして、ヨーコちゃんに淹れてあげようっと。