home 東京薪割り生活 [6] キラキラが好き

[6] キラキラが好き

8歳の甥っ子がゲームにハマって会話してくれません。

次に会うときまでに「ニンテンドー・スィッチ」というものを買ってめちゃくちゃ練習してから臨んだら、叔母としての威厳を取り戻せるのでしょうか。

ゲームのなかの対戦相手、ネコやタカといった弱いものは可愛らしいつぶらな瞳をしていますが、なかなか倒せない相手は目つきが怖くて睨みをきかせています。薪割り暮らしのおばさんとしては、世の中の子どもたちがゲームに夢中になるうちに「優しい表情のひとは弱っちい」というステレオタイプがついてしまわないか心配です。おばさんとしては声を大にして言いたい、「それは逆よ」と。しかし残念なことに幼き聴衆者はゼロです。

5分と持たない、おもちゃの指輪セット。

そこで「子どもたちがのびのび育つようなゲームをいつか作ってみたい」とふと思ったものの、小さい頃からゲームにハマったことが一度も無かったことにはたと気づきました。ではわたしは一体何に夢中になっていたのかなぁと考えていたら、父が「すぐ壊れる500円の指輪セットを何回も買わされた」と言いだしました。それはキラキラと光るおもちゃの指輪がたくさん入ったセットで、にぎにぎしい見た目のわりに幼いわたしがうっとりはめたり外したりするうちにすぐ壊れて5分と持たなかった、と。

そして小学校3年生ぐらいのときに、いよいよ本物の指輪をはめる機会に恵まれます。それは母のカルティエの6連リング。母と一緒に「たーんたーかたーん!」と指輪交換の儀式よろしくウエディング音楽を真似して歌いながら盛り上がって着けました。子どもながらに、ぐるぐるっと6つの輪が回転するように指のうえですべってハマるさまがなかなか楽しい指輪でした。

お母さんの指輪が抜けない。

ところで当時わたしが通う小学校では指の関節をポキっと鳴らすことが流行っていました。わたしはなかなか大きな音が出せるほうで、女子だけでなく、「すげぇなぁ!」と男子たちの前でも得意げに毎日披露していました。そんなこともあったせいか予想外にも、当時8歳だったわたしのほうが母よりも指が太く、指輪が抜けなくなってしまったのです。

それは母がおばあちゃんから誕生日プレゼントにもらった大切な指輪。そこで母は一生懸命わたしの指を石鹸でぬるぬるにしたり、ロウを塗ったりして滑りをよくし、指輪を抜こうと奮闘します。

ところが「いたいいたいいたい痛いーーッ」と全然抜けません。指もだんだん腫れてきて、赤黒くなってきました。わたしはもう半べそ。そこで母とふたりで消防署へ向かうことになりました。

事情を説明すると、大きなメタルカッターを探し出してきた消防員さん。彼は「ほんまにいいんですか?」と母に最終確認します。「指を切るわけにはいかないでしょう」と言って母がうなずきます。「もう元には戻りませんよ?」と念押しされて、まず指輪がひとつバチンっと切られ、6連リングは5連リングになりました。ところがそれをぐるぐるっとやってみても、指が芋虫みたいに腫れてしまい、全然抜けません。

「ほんまにいいんですね?」と消防員さんが再び言って、母がうなずき2つめの指輪もバチンっ。指輪が切られるたびに、母はその身も切られるように悲壮な表情を浮かべます。わたしも消防員さんが「いいんですね?」と母に確認するたびに、身の縮む思いで母の顔を横目で見ます。

ぜんぶ視力検査のCの字になった。

そして、3、4、5と切られて結局6つの指輪は全て視力検査表のCの字のようになってしまいました。父は「アヤの手にかかれば、本物の指輪も5分と持たんな」と大笑い。

今は台所仕事をしたり、夢中で薪を切ったりする生活で指輪を着ける時間も少なくなりました。でもやっぱりきらきらは好き。ときどき亡くなったおばあちゃんから譲り受けた指輪をはめては眺め、小さい頃の思い出に浸っています。