home 東京薪割り生活 [25]シノさんとゴリラ

[25]シノさんとゴリラ

240度で20分。これがマキワリオーブンで焼き芋を作るベストレシピだとつかみました。表面にほんのり赤茶色の焼き色がつき、中は甘く柔らかく仕上がります。

 

ジャガイモならそれに軽くSBのカレー粉と塩をしたり、サツマイモならそのままワイルドに齧ってみたり。意識したわけではないのですが、ここ最近は自然とパンや麺や米からではなく、炭水化物を芋から取っています。人為的に加えられるプロセスが少なければ少ないほど、口に入れた後に食材そのもののポジティブな個性のようなものが受け取れるような気がします。でも焼き菓子はやっぱり私にとって口福だから、たまのご褒美で食べます。無農薬とかそういうものじゃなくても、私の体には焼いただけの芋や生の葉野菜、フルーツが合っているようです。

 

芋や野菜やフルーツを主食にしていると、ゴリラになったような気分になります。特に朝からバナナを食べていたりなんかすると。全身はダークチョコレート色の硬い毛にびっしりと覆われ、黄緑色のモミジの新緑をみながら、カレー味のベイクドポテトを食べる雌のゴリラ。それが私。料理をするときや原稿を書くときは、指がよく動くほうが便利なので、人間に戻るのです。そしてちょっと新しい発想や視点を持ちたいときは、ゴリラに変身。

 

そんなことはSTAY HOMEで誰も気がつきません。郵便屋さんが来たら、また何事もなかったかのようにそそくさと人間の私に戻ればいいのです。世界中を見渡して、実はひとりぐらいそんな人がいても、素敵だなと思います。芋化生活をしていると思い出す記憶も少し違ってくるようです。ゴリラな自分の一面を妄想していると、会社勤めをしていた頃の上司、シノさんのことを思い出しました。

 

シノさんは猫6匹と一軒家で暮らしていて、ムッシューという雄猫がシノさんの盟友であり恋人でした。彼女はおとぎ話の妖精か魔法使いのような独創的な洋服を着こなすおしゃれな人でした。

 

シノさんは私が初めて配属された編集部のデスクで、入稿や校了時は終の住処のようになるそこで、私たちは手作りおにぎりをよく交換しました。シノさんのおにぎりは特大サイズで、秘密のお楽しみのように珍しい佃煮や綺麗な色の焼じゃけなどが中に隠されていました。私もシノさんを驚かそうと、いろんなものを忍ばせました。

 

ある日シノさんとミナペルフォネンの展示会に顔を出した帰りに、柄物をほとんど着ない私は「シノさんは一体どこで洋服を買われるんですか?素敵ですね」と尋ねました。すると「ありがとう。でも猫ほどおしゃれなのって無いわね。みんなそれぞれ少しずつ柄が違っていて、着の身着のまま、一着しか無いのにいつもツヤツヤで綺麗。アサリもそうよね。貝殻を見ていると、あっという間に時間が過ぎてしまうな」とシノさんが答えました。シノさんの答えはいつもこんなふうで、「こう聞けば、こう返ってくるだろう」という私の予想を超えたものでした。

 

美肌特集の原稿を提出したら、シノさんが「ドイちゃんと私は、二人とも男刑事だったときがあったように思うの。あれは迷宮入りした、とてつもない事件よ」と言いました。「そのときも『シノさん』って呼んでいたんでしょうね。刑事っぽいですしね」というと、シノさんはにっこり笑って、原稿を読み始めました。

 

「実はときどき家でひとりゴリラになっているんです」とシノさんに告白したら、きっとシノさんは真顔で「そんな気がしてた。でもどっちかというとドイちゃんは、「すあま」なんじゃない?」というだろうなと思います。贔屓にしている和菓子屋で「すあま」を見るたびに私を思い出すと、よくシノさんに言われていたから。

 

退職して、今日になって突然シノさんのことを思いました。芋を食べ続けた挙句に、来月、しのさんと初めて会ったときのしのさんの年齢になるからかもしれません。