ホンネで生きると、誰かを傷つけてしまうのなら

散歩中に、プリングルス サワークリームオニオン味を見かけて、悲しくなって家に帰って泣いた。

私は、ポテトチップスは食べない。

結婚していたとき、私たちは共働きで忙しかった。平日はそれぞれ外で済ませ、休日のうち1日は元夫が行きたい店で外食し、1日は私が料理した。家で食べると、彼は「体に良いものを入れると、無性に汚したくなる」と言って、近所のコンビニでポテトチップスを3種類と1.5ℓの三ツ矢サイダーを買って一晩で平らげた。プリングルス サワークリームオニオン味はスタメンだった。

だからプリングルスを見かけると、私の心の何かが着火されて、いつも腹が立った。今は、ただ悲しくなる。

離婚して会社を辞めてアメリカで勉強をしていたとき、痛み止めや風邪薬を送ってくれた元夫。最後に友だちと三人で会ったとき「キミが挑戦したり、自分らしく生きようとするかげで、苦しむ人がいることを忘れないように」と言われ、もう会わないほうがいいと理解した。

それから2年ほどして、私はカリフォルニアにあるタサハラ禅センターというところで三週間住み込みのボランティアをしていた。タサハラは、水は川から、電気は太陽発電、ケータイは圏外という山奥にあった。毎朝5時に起きて坐禅し、料理を作り続け、夜にまた坐禅して就寝した。

ある日、山でひとり歩いていると、14年ぐらい前にまだ付き合う前の彼がお誕生日プレゼントをくれたときのことを思い出した。それは当時私が大好きだったマーク・ジェイコブスの名刺入れで、「あんなお洒落なお店に入るの、初めてだったからすごく緊張したよ。へへへ」と彼が恥ずかしそうに笑って渡してくれた。それを見てすごく心が温まったことを思い出した。とても優しい気持ちになった。

そんな映像が浮かび、

もう話すことも会うこともないけど、遠いどこかで、彼が幸せで元気でいられますように。今までありがとう。どうか幸せで。

離婚してから初めて、心からそう思えた。もう一生会わない彼の幸せを願えたこと、怒りやわだかまりが感謝に変わったことが嬉しくて、禅センターで出会ったユダヤ人老夫婦とその夜に語りあったことを今でも覚えている。

奉仕を終えて山を降りると、携帯電話に10年以上連絡をとっていない知人からの着信履歴が溜まっていた。

彼が倒れて突然死したということだった。

山で歩いた、あの翌日のことだった。数ヶ月後には、新しい恋人との再婚も控えていたという。

「なんで帰国して、お葬式に来ないの?」と言った彼女の言葉が思いやりからであっても、すごく残酷に聞こえた。こういうとき、こんな気持ちになるんだなと思った。いろいろ聞いても頭に入ってこなくて、何が起きているのかよく理解できなかった。すごい辛いけど、そんなときの人の気持ちがわかるようになったのは良かったなと冷静に思っている自分も居た。

それから1年経ってLINEの連絡先が知らない人の顔写真と名前に変わって、特売品で陳列されたプリングルスをスーパーで見かけたりすると、彼の死を実感する。祖母のときもそうだったけど、亡くなったときは実感できなくても、それが日常生活になったとき、その人が世界からいないことがどういうことなのかが少しずつわかっていく。

ホンネで生きることで、誰かを傷つけてしまう。

その言葉は、私の心の文鎮になった。良かれと思って、残酷なことをしてしまうところもある。今日もこの瞬間も存在するだけで、誰かを傷つけてしまっているのかもしれない。だけど、私はそれをやめられない。私であることを、やめられない。

無自覚に人を傷つけてしまうことを自覚しながらも、優しく生きようと意識するしかない。まず自分、そして人という順番で優しく。幸せのドーナツ化現象になると、幸せも不幸も他の人のせいにしてしまうから。そうなってしまうと力を失って、今の私を作り上げたすべての出会いや過程を信頼できなくなってしまう。だから、私がそうしたいのと同じように、他の人にも自分の幸せを大事にしてほしいと思える自分でありたいと願う。