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[46]たまにプレミアムモルツ

「やる気を出したら毎日だって飲めるけど、たまにだから美味しい。そこで我が家のプレミアムモルツは、3日にいっぺんなんです。お父さんは本来、プレミアムにふさわしい立派な人物なんだけど。見てごらん、草(カヤ。猫の名前)だって『わぁー、神々しい。なんて立派な人だぁ』って僕のこと見上げているじゃないですか」。

 

ふだんの発泡酒とは違ってプレミアムモルツを大切そうにコップに注ぐときは、必ずそんなふうにうそぶく父。いつも眠そうな目をこのときばかりはカッと見開く草が必死に彼を見上げるのは、おつまみのおこぼれを狙っているせいです。

 

わたしがアメリカで教科書とにらめっこし、授業の録音を6回も聴いて、ようやく薄ぼんやり内容を把握しては、また頭を抱えていたころ、こんな写真が両親から送られてきました。

眉間のシワがゆるんで、「はははは」と脱力しました。ラフターヨガ(笑うヨガ)なんかがセラピーにもあるけど、笑うって本当に大事。

 

帰国した昨年にそれを思い出して、「そういえばあんな表彰状よく家にあったね。わざわざ買ったの?」と尋ねると、「あぁ、あれね。いいや、もともとあったもので、昔会社に勤めていたときに買った」と父。

 

それは、ある年に父が勤めていた会社がボーナスカットになったことに端を発します。

「ボーナスないと、やっぱりやる気でないでしょう。だから『僕の部では、ボーナスを賞金制にします!』って、課題達成順で金銀銅ってして、賞金に賞状をつけてね。そしたら、みんな頑張って、すっごい達成率なの。これは、お金の力ってすごいなぁー、効くなぁーって何度かやっていたら、僕のポケットマネーだったから会社に『土居くん困るよ』って言われて終わっちゃった。で、その残った賞状を使ったの。なかなかいいでしょう?」

 

母は仰天して「そんなこと、やってたの?!?!」。サラリーマンの家で子どもが二人私学に通い、家計は火の車だったときのことです。「お母さんも知らなかったの?!」。全員で大爆笑しました。

 

“呆れ”を超えて感心するほど、このような「自分大好き男」「超ポジティブ人間」な父が、しんみり言ったことがあります。

 

「ずっと欲しいな。乗りたいなって思ってて、ようやく今になって手に入れたけど。やっぱりあのときの「ええなぁ」「手に入れたいなぁ」と思った気持ちにはなれなかったわ。だから、やっぱり「やってみたい」とかって感じたときは、そのときに叶えないとあかんね」。

 

それは、立派な皮ばりのついた深い緑色の2種類の自転車でした。

父は長い治療生活を経たのです。

 

彼には、二人の子どもの父であることを選んで歩まなかった人生がある。

ひょっとしたら別の人生では、深い緑色の自転車で休日の街を探索していたかもしれない。

真新しい革製の座椅子が飴色になるまで乗り回して。

アメリカに残って、好きな研究を続けていたかもしれない。そんな父が歩んだかもしれない人生たち。

 

「一台はダイト(兄の子ども)が中学生になったら乗るって。

もう一台はよかったら、アヤちゃんにあげるわ」。

 

食卓では言い合いしているようでハラハラするけど、父は生まれ変わっても母とまた結婚したいそうです。

母は「えぇー、そうなん?!」と驚いていましたが。

そして二人はどちらか早く逝ったほうが、死んで魂があった場合は、サインを出してそれを知らせるという約束をしています。

 

「アヤちゃん、上手に泡入ったよ。どうぞ」

 

父から受け取ったプレミアムモルツの苦味が口に広がって、わたしは結婚がうまくいかなかったけど、二人のそんな他愛もない話を聞くとなんだか素敵なことだなと思うんです。