home 東京薪割り生活 [45]夏至を過ぎた黒揚羽

[45]夏至を過ぎた黒揚羽

体調が落ち着いてきたので、ゆるやかにKazさんの『般若心経本』の翻訳仕事を再開しました。なんだかふわふわしています。

 

それは嫌な感じではありません。そう、思い出すのは小学生頃の放課後にタニグチ先生が教えてくれたトランポリン。思い切ってポーンと飛び跳ねると怖いぐらい自分の体が高い場所にあって、次の順番を待つヤーちゃんと交代しようとトランポリンから降りると突然沈み込んだ地面の重さとかつての空気の軽やかさの誤差で体と心がぼーっとする、あの感覚に似ています。重力のある場所に再び戻ってすぐ、それはまだ薄いもやが世界にかかったようで、でも悪くはありません。

 

庭に目をやると、このところ雨続きだったせいで椿の緑が一層深い。静かに心踊るのは、椿と紅葉や榊とが重なり合う様子を目にしながら、あっちに枝を伸ばし、こっちに葉を生い茂らせ風に揺れながらこすれる木々の葉がサラサラと立てる音に耳をすませるとき。命の源のようなものが肘から下、手のひらにかけて走って、ゾクゾクします。

 

すると手のひら大の立派な黒揚羽が飛んできました。夏至を過ぎて、一回り大きくなった揚羽蝶。ヴェルベットのような漆黒にキリッとした真紅のアクセント。その姿があまりにもエレガントで、庭の緑もこの時間もすべて蝶のために用意された幻想的な舞台のよう。

 

「遅れたぶんを取り戻さないと」と考えていたのですが、手帳に今日の翻訳時間を記入してキーボードの手を止め、滅多にない機会だと黒揚羽の舞台をひとり鑑賞することにしました。

 

神使いとも言われる黒揚羽は時間と空間を自由にしながら、緑の濃淡が違う木々を渡ります。

 

憧れの道連れのよう。ずっと見つめていたいと美しい黒揚羽への思いが強くなった瞬間、蝶はふっとそれを吹っ切るように深い緑の向こうへ飛んで行きました。

 

茶葉を少し多めにした濃いめの熱い紅茶を淹れようか。鍋に火を掛け再び手帳を開き、さぁ翻訳の続きに取り掛かります。