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無意識と対話し悩みや心のブロックと語らう、あなただけの物語の書きかた

朝一番に見てしまったメッセージで最悪な気分になって、まんじりともせず天井を眺めてベッドから起き上がれない。でも、あと5分でゴミ収集車がやってくるぞ。今日は生ゴミの日だ。心のなかも、外の世界も洪水みたいな雨でも、この機会を逃してはならない!

 

昨日読んだ自己啓発本で生まれ変わったみたいにスッキリしたのに、ゴミ捨て場からずぶ濡れで生還したら、やっぱり自分が惨めで行き場がないように思えちゃって、2枚のはずのチョコチップクッキーを胸焼けするまでやけ食いしちゃったなぁ。

 

ナルシシスト男にハマってしまったのは、「ひとえにあなたに自己愛が足りないからです」ってQuora Digestに書かれていたもんだから、

自愛の一環としてスーパーの配達サービスを利用しようとワクワクしたら、

300円のサービスが無料になるまであと550円買い物が必要って、あぁもう!

 

現実は認知と解釈というイマジネーションの産物だってわかっていても、自分を否定する思い込みがあまりにもたくさんあると、こんなふうな些細な出来事だって引き金になって、壊れたテープレコーダーみたいに、同じ歌詞をリピートしてしまいます。

 

それは例えばこんなふう。

 

「お前には、価値がない♪」

「お前には、価値がない♪」

「なんなら才能だってないし、世界はお前を愛さない♪」

「もっと頑張れ!」「もっと苦労せよ!」「ずぶ濡れでもがけ!」

「その尻をムチでたたけ!」

「なんにも足りない、なんにも足りない、なんにも足りない」

「お前には、価値がない♪」

「お前には、価値がない♪」 

 ルラララララ♪…

 

そして、そこまで重症じゃないとき、ハッと気づくんです。

この音楽はもう聞き飽きたということに。

 

嫌いな自分に浸って、ダメなわたしを告白して自分や他の誰かの注意をひくっていうのに、心から飽き飽きしたんです。

もうそんなこと、本当にこれ以上やりたくないんです。

 

I love many things about you but the best is your joy, laughter, and energy.

Which of course I know is not always there…

But when it is it’s beautiful.

 

大阪大学教授でユング派分析家の老松克博博士。

老松先生は、悩みや葛藤は原因を知るだけではなく、その目的を知る必要があるといいます。

 

「自虐的になってしまう女A」という表札をひっさげて、しかめっ面で腕組みしながらそこに居座ってしまうのには、意外すぎる事実ですが、そこにはわたしのエゴが守られるためのなんらかの“メリット”(目的)があるのです。

 

例えば、細菌に感染したときに熱が出ます。悪寒や頭痛がするからといって解熱剤をとるとします。自然治癒に任せるべきではない危険な高熱でもない場合、たとえばマイルドな発熱というケース。

 

発熱は、細菌そのものやそれに伴った毒素を殺そうと生じているので(目的)、解熱剤でそれが阻止されると、感染症そのものが治らないままになってしまいます。

 

そこで現状を無視してポジティブになろうとしたり、無理に物事の良い面に意識を向けようとしても、またすぐに偏屈屋の「Miss A」に元どおり。

 

でも誰だって、好んで不快な悪寒や頭痛を感じたくない。

 

そこで博士が編み出したのは、まるでケータイで話をするように無意識とコミュニケーションを行う方法「モバイル・イマジネーション」。

それは短編小説を書くようにして自分の力で心の葛藤を癒していく方法です。

 

わたしの「書く」の手法はふだんの目線を少しスライドさせて、自分が体験してきたことを書いて再体験し、長い時間をかけて失ってきた大切なものを取り戻すことを目的にしているので少し違います。

 

けれども無意識に行い癒されていたことに重なるところがあったので、老松先生の「モバイル・イマジネーション」を、僭越ながらわたしのやり方を参考に比較しながらご紹介します(1)。

 

(その1)想像の物語の出発点を決める。

物語の設定、どんな場所や場面から始めるかを決める。いまの悩みや葛藤と関連があるものでなくてもいい。むしろ関連がまったくないほうがやりやすい。オススメはなんでもいいから好きな絵葉書を一枚選ぶこと。写真だったら、訪れたことがない場所がいい。せっかく想像の世界を創造していくので、現実に縛られないほうがいい。イマジネーションを無理なく進めるための場所選びに「好きな」という気持ちも重要。

(わたしの場合)

わたしはまず絵を描きます。その時点では、どんな文章を書くかはまったく決めていません。絵を見ながら浮かんできたストーリーを、わたしは自分が現実に体験した物事に結びつけて展開していきます。

 

(その2)主人公を決める。

選んだ風景のなかにひとりの主人公がいると想像する。主人公は自分ではない想像上の人物か動物。性別や年齢は、本来好きに設定してOKだけど、自分と同じ性別で似たような年のほうが自分と似た見方や考え方をするという前提で物語を進められるのでベター。

 

自分を主人公にするのは人によってリアリティが強くなりすぎて危険。そこでそっくりだけど自分とは違う存在を主人公にする。安全を重視するタイプの人は、人間でもない動物を主人公にする場合が多い。

(わたしの場合)

主人公は自分にします。でも“マキワリ”、“会社を辞めてこうなった”、ではその主人公への距離感が違います。辛かった体験も笑ってすませられるようになると、自分の姿が見えるようになります。また書き進めるにしたがって、少しナレーション的なところに移動してきたようにも感じ始めています。いまだに不愉快な出来事では当事者です。心理的な距離はコントロールしていないので、今後どうなるか自分でも楽しみです。

 

(その3)主人公がどこでなにをしているのか想像する。

①の「なじみはないが好きな風景」で「そっくりだけどあなたではない」主人公がいるところを想像し、自由にイマジネーションを展開させる。

 

なんのためにそこにいて、その行動をしているのか、自然に思いつくなら決めてもいいけれど、必ずしも設定する必要はない。物語が展開していくうちに、おのずと明らかになるので。その目的を知ること自体が、今現在の悩みや葛藤の目的を知ることにつながっている。

 

(その4)しばらく周囲の環境や状況を観察する。

どんな季節で、朝か昼か夜か、気候は? 環境や状況を主人公によく観察させる。

今元気はあるのか。どんな気分がするのか。持ち物は。その場でふと思い浮かんだ考えでいい。それを無批判、無条件に採用することが何よりも大切。主人公がなにをしようとしているかあきらかになってから、周囲を観察するほうが、行動の一歩を踏み出しやすい。

 

(その5)何かが起きるのを待つ。

周囲の観察は何かが起きるまで続ける。ずっと観察し続けても場面が全く変わらない場合は、イマジネーションが動画ではなく一冊の絵本になっているものと考えてページをめくったら次にどんな絵が描かれているか想像すればいい。

 

(わたしの場合)

例えばバナナブレッドを焼いた日に、美味しそうだったのでバナナブレッドを見ながらその絵を描いているうちに、アメリカのPeet’s Coffeeでバナナブレッドをあきるほど食べたなぁと思い出し、文章を書きすすめました([49]バナナブレッド。その後Peet’s Coffeeの店内に身を置くと、デイジーがやってきました。彼女のことなんてもう3年以上思い出すことがなかったから、驚き。

 

(その6)起きた出来事にどう応じるかを考え、実行に移す。

主人公はあなた自身ではないが、あなたと同じ見方や考え方をするという約束を忘れてはいけない。急にスーパーマンや超能力者にはならない。さぁ、主人公はなにをするだろう? 大切なのは、その事態に直面した主人公(あなた)がなにをすべきかではなく、なにができるのかを考えること。

 

あくまでも等身大の主人公という設定を維持しよう。主人公に投げられたボールを主人公がボールを投げてきた相手に投げ返す。そして続く(7)では相手が主人公から受け取ったボールをまた投げ返してくることになる。

 

(その7)相手からの出方を見定める。

相手が投げる番では、今度は主人公が100パーセント受け身になる。相手の番でボールが投げられたときに、おのずと思い浮かんできた次なる展開を無批判、無条件に受け入れる。それが相手の投げてきたボールだから。受け取りにくいボールを投げてくる場合もあるけれど、こちらの都合に合わせて取捨選択をしてはいけない。それは(6)で、どんなボールを主人公が投げたかの結果。

 

(その8)相手の出方に合う応答をする。

相手の出方を見定めたなら、次はそれに応じたボールを投げ返す。こっちの考えや要求をそのまま推し進めてよさそうか、少し加減するのがよさそうか、あるいは完全に引っ込めるのがよさそうか、判断しなければならない。

 

コミュニケーションのキャッチボールである以上、やみくももよくないし、届かない球を投げるのもよくない。相手のキャッチしやすさを考えてボールを投げれば、向こうもそんな変なボールを投げ返してこない。

 

(その9)イマジネーションの物語を進展させる。

(6)〜(8)を繰り返すことにより、物語を紡ぎだしていく。

 

(その10)物語を文章や絵として記録し、くりかえし見返す。

イメージは放置すると消えてしまう。色褪せないうちに文章や絵として残し、味わって意識に定着させる。

 

モバイル・イマジネーションの記録を見直すと、あなたの性格やずっと抱えてきた葛藤が色濃く反映されていることがわかる。つまり、いま現実でまさに悩んでいる問題を直接とりあげなくても、その核になっている「隠れたX」がちゃんと入っている。そのXになにができるのか、どう対処すればよいか、くりかえし記録を見返す。問題の直接の解答ではないが、だからこそ、これからさきにずっと応用が利く心の世界の探求になる。

 

(わたしの場合)

わたしは書いたものをくりかえし見返すことはあまりないのだけど(文章を校正する目的以外では)、もやもやした実体のない不安や恐れを、創造のエネルギーに転換させることで闇から抜けられると感じます。そこにはっきりと分析できるものがなかったとしても。

 

そこには時間もない。意地悪を言う自分もない。会社をやめてからこれを5年半ほど行い続けていますが(最初の数年間は自分に意地悪をいいまくっていましたが)、その行為自体に在るときは、上手いとか下手とか、人に評価されるかされないか、そういうものを超えた何かがあると実感します。

 

その心の採掘場に毎日顔を出し続けるうちに、次第にいままで凡庸とか、当たり前だと思って見過ごしていたもののなかに、ハッとさせられる奇跡やそっと光る物語を見いだせるようになっていきます。そうなっていくと、しだいに物の見方という点で、イマジネーションの世界を超えて、現在進行中のあれこれにも応用でき、今までは価値を見出せなかったもののなかに喜びや愛を発見する筋力がついてくるように感じます。無理にポジティブになろうとせず、ネガティブにも浸らず、じっと観察する辛抱強さもちょっとはついたかな。新しい角度から自分を見直すことは、なかなか面白いですよ。

このどこか祈りにも似た美しい体験を、よかったらあなたにも感じてもらいたいです。

 

参考1.老松克博著『ユング的悩み解消術 実践!モバイル・イマジネーション』(平凡社)